ビゼン「新」ブログ

2019年01月31日

今、私ができる精一杯の事。

頂いた梅干しを
より食べやすいように
梅肉和えとして、ただいま調理中です。

私は、香りを嗅ぐだけで
唾が出てきそうな梅干しに
かつお節とお砂糖でさらに漬けて
甘くした調理した梅肉和えが好きです。

実はこの味で育ったところもありまして、
実母のレシピです。

大変ありがたいことなのですが
大量に漬けられた梅干したちの瓶詰を頂きますと
梅干し好きにはたまらないほど
そのものだけでも美味しく頂けるものかと思いますが
中には酸っぱさだけ際立ち、
私のように甘めの梅漬けが好きなタイプとしては
そのままだと中々手が伸びません。

そんな時。

タッパに小分けしまして
私は’てんさい糖’を使用しますが
その甘味料を結構量入れまして
ひたすら混ぜ混ぜします。

36.jpg

こんなかんじのピュウレ状になったら
かつお節をさらに大量に入れまして。

37.jpg

ある程度、種から果肉が取れた頃、
網を使って、さらに、種にまだ残っている果肉をそぎ取るようにして
種だけを抜き、一定期間保管して、ようやく食卓に並べます。

いい箸休めになりますし、
お弁当、おにぎりだけでなく
生野菜の即席漬けの元として使えたり、
茹でた鶏肉の上に乗せれば、
いいおかずになります。

夏であれば、やっこもさいこうです。

今、主人の実家に一時的に住んでいますが
嫁いだばかりのとき、
この梅干し5Lくらいの瓶詰が4本ほど
まったく手が付けられない状態で放置されていました。

「酸っぱくて食べられないの。捨てようかと思っていて。」
という義母とは逆で
私には食材の宝庫に見えてしまい。笑。

今では、甘い梅肉和えに姿を変え、
私たち夫婦の大切な食のお共です。

目をギラギラして生きている方と過去、
’人のために尽くせること。社会のために尽くせること。’
という話題に、なぜか避けられず、
話合いの席に半強制的についてしまった事がありました。

そのときの話題の一例です。

「偉大なあの人が貢献に微力ながらも自分が支えになれたらと誇り高いことです。だから私はその人に尽くしています。」
と胸を張って言われるので、
「その偉大な人はあなたとはどういったご関係ですか?」
と返答しますと、失礼だと激怒されました。笑。

「偉大な人の貢献が冊子になっていて、これを買うことそのものが立派な社会貢献になるので、あなたにも買ってほしい。」
と言われるので、
「社会の貢献って、そもそも収入を得ていれば、必然的に住民税だって納めていますし、一歩外へ出てお買い物すれば、消費税を納めているわけだし、逃げたくても逃げられない税金ですから、敢えて動かなくとも、立派に社会の貢献を自然にしているものですよね?なぜさらに買うことが社会貢献なのでしょうか。」
と返答しますと、鼻で笑われました。

「この記事には素晴らしいことが書いてあるから、だから、自分で買って、読んで欲しい。」
と言われるので、
「今の時代、本屋へ行き、立ち読みできます。それは買う前に、ある程度中身を見てから、買うかどうか決めるために試し読みができるわけで、例え、本屋が扱っていなくても、インターネットで無料で見られるだろうし、わざわざ買わなくても目は通す方法ってありますよね?素晴らしいことだと言われますが、自分の心で感じ取るからこそ素晴らしいことであって、第三者が押し付けることってずれていませんか?」
と返答をしますと、にんわり笑って、何も返答してこなかったり。笑。


’人のために尽くせること。社会のために尽くせること。’

その方は自分なりに考え、
尽くせることとして一貫しているようでしたが
明らかに私の返答に対して、
穏やかな表情ではなく、
ひきつり、
さいごは怒りの表情でした。

通常、人との会話は、
自分の考えと違うと相手が言われても、
「そういった考えもあるのね。私は自分で経験してきたからこそ、こう感じ、こう思うわ。」
という、あくまで自分の人生経験が自分の考えの軸となり、
その上で新たな考えの理解を広げるような
穏やかな会話へと発展していくものかと思っていますが
目をギラギラさせる方と
同じようなシーンになりますと
自分の人生経験の自分の考えの軸が
偉大な人に置き換えられていて
ちょっとずれていませんでしょうか、と
そこをじんわりつつきながら
私は私なりに冷静に穏やかな表情で伝えたつもりなのですが
相手は明らかに冷静さを失っておられました。

その姿からは、
悲しいかな悲壮感しか漂わず、
何を言っても駄目かもしれない、と
私は口にチャックをしました。

前述した梅肉和えは
そもそも、
私が目の前のすべき優先順位を家事にしようと自分で決めているので
「さあ、作ろう」となっています。

それは、主人のためであり、
結局は自分の生活のためです。

仮に私が生活を第一に考えず、
つまり、自分の生活以前に
第三者を支えることに主軸を置いたら?

きっと、
家を掃除したり、
家族の為に食事したり、
住まわせてもらっている地域の活動など
自分の生活にほとんど手をつけず、
第三者のためにお金も生活も
すべて何もかもを投げ出して優先していくでしょうし、
私のような相手の気持ちを逆なでるような人とはぜったいに関わらず、
同じ考えの人とだけと交流し、生きていくと思います。

だって、それが
’人のために尽くせること。社会のために尽くせること。’
自分の考える尊いことだから。

ギラギラした目の方と
過去の自分の在り方をリンクさせながら
冷静に振り返ることがきっかけになり
ようやく今になり、
その心の仕組みを自分なりに理解しつつあります。

今、自分ができる精一杯の事。

あくまで人生の主軸は自分であり、
そこさえずれず、その1つの道をひたすら貫いていけば
自ずと自分で答えが導きだせるのでは
ないでしょうか。

自分の人生の責任は、自分ですから。

それを第三者にしてしまうことで、
自分で自分の人生を歩んでいると勘違いしたまま
右にも左にも分かれてしまい、
どこかのタイミングで
それに自分が気づければ起動修正はできるもので
そこすら目を向けられず、気づけず、そのまま年を重ねてしまったら?

やはり、私は
たとえ酸っぱい梅干しでも
網を使って丁寧に自分の手でこしながら
美味しく食べられる方法を見つけ、手間をかけ、
ささやかながらも幸せや豊かさを味わえる
人生に活かしたい、と改めて心から強く感じました。

さあ、梅肉和え、沢山できたので
周りの大切な方におすそ分けしよっと。








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posted by Michi at 10:15| 主婦の家庭料理

2019年01月30日

自分の心でしっかり感じて1票を投じたい。

私が住む三河地区では
今週末2月3日に行われる
愛知県知事選挙に立候補する応援活動車が周り
生き生きとした声で
うぐいす嬢の演説が
私の部屋まで響き渡っています。

選挙の応援活動といえば。

私が高校生の頃ですが
母方の身内の叔父さんが
とある選挙に立候補した時、
うぐいす嬢として何度かお手伝いをしました。

今では、
何の選挙に立候補したことすら忘れてしまいましたが
遠くとも血縁だからと、祖母に頼まれ、
しぶしぶ行かされ、
そのお手伝いの私の楽しみは
不謹慎にも食、でした。

そのおじさんの家には
誰の繋がりなのか知らない婦人たちがより集まり
ワイワイガヤガヤ楽しそうに炊き出しをして
活動で出入りする人たちのために
率先して台所仕事を担ってくれていて
それを唯一の楽しみにして、
うぐいす嬢に励んでいた経験です。

また、
だいぶ大人になってから。

都内で生活している頃、
とある秘書をしている知人社長のお誘いで
永田町の会館を何度か行き来しながら
活動の催しのお手伝いを
ボランティアスタッフとして数回やったり
また、
昨年まで住んでいた那覇で生活していた時も
お手伝いをかねて
とある議員さんの事務所へ
何度か行き来し、
お手伝いをしたこともありました。

私個人的には
その手のお手伝いはちょこちょこさせてもらいましたが
選挙そのものにはうとく、
まったく何も語れません。

ただ、何となくながら、
その世界の中を見て感じたことは
選挙は、立候補前からその活動が始まっており、
その責任は当本人だけでなく、
家族にもその視線が厳しく向けられ、
多額のお金が動き、多くの人を巻き込むので
私の人生は選挙活動と無縁の場所で過ごしたいなあと
正直に思ったものです。

ギラギラと
使命感に燃えた人たちと言えば。

この時期になると
不思議な行動を始める人が
表れるものだなあと
客観的に見ている私がいます。

「あの人の活動は素晴らしいの。だから今度の選挙、あの人に1票入れてね。」と
わざわざ電話をよこす元友人や、
日頃何度も私と顔を合わせているのに
ほとんど会話もせず、
「ゆっくり話をさせて下さい。」
と、この時期になると途端に言い始める人や。

「あの人の活動でこのような社会が現実に変わっているのです。だから今度の選挙、あの人に1票入れてね。」
家に押しかける人もいたり。

必ず目をぎらぎらさせて、出没します。笑。

一見、応援活動に使命感を抱き、元気に
はきはきしているようですが
「なぜ、人としての繋がりを
日頃からしっかり築かないのだろうか。」
と、ひねくれた私からしたら
その動きに矛盾しか感じられず
そこに気づけない姿が不思議でなりませんし、
特に投票は、
立候補者がどんな思いで日頃その活動をしているのか、
自分の目で見て、自分で判断することであって、
第三者が薦めることではないのになあと
思っています。

目をギラギラさせている人たちを見ていますと
日頃から周りの人との関係を良好に築かず
このときばかりがチャンス!と言わんばかりに、
自分の言いたいことだけを言い放っている自分の残念な姿に
気づけないものかなあと思えてなりません。

私はこれまで数回ですが
選挙関連のお手伝いとして、
実際に現場に立った私が言えるのなら、
「土足でもよそ様の領域に入り、1票入れてもらうよう応援活動をせよ!」
とは、一度も指示を受けたことがありませんので
過去の経験を振り返ってみても、
どうしてもその在り方には、すっきりしません。

これって、
こんなことにたとえられませんでしょうか。

複数人で会話をしていて
その中にダイエットをしてもなかなか痩せられない人がいたとして、
「何かダイエットでアドバイスはありますか?」
と、当の本人から自分へ直接質問をしてきたら、
そのときはじめて、
アドバイスを伝えるのが
通常の会話の流れかと思います。

そして、質問を受けたら
基本的には自分の成功例をお伝えしませんでしょうか。

しかし。

当の本人が何も質問をしていないのに
たまたまその話題が挙がったからと言って
私がいきなりダイエットのアドバイスをし始めたら。

「何も聞いていないのに何言ってるのだろう。」

聞いている周りはドン引きで、
押し売りのような、
お節介のような、
所謂、会話のキャッチボールが出来ない
残念な人として指を差されて終しまいです。

仮に、
自分が10キロ痩せたダイエット方法があるから
自信をもって教えられるわ!
と自負できても、
やはり、前提には、
それを知りたい相手がいるからこそ成り立つ会話であって、
この順序を無視して一人勝手に暴走している姿と
似ているなあと。

私自身もあるのですが
特に、女子会でおお盛り上がりしてしまうときなんて
女子特有の楽しい会話に、
時々、暴走して、反省することがあります。

そんな時、
「いかん、お節介の域にはいってしまった。」
と、我に返ります。

なぜ、そこに気づくかと言えば、
会話には、必ず、
相手の顔の動き、
身体から発せられる表情、
返答など、
相手の無表情さと言いますか、
相容れないという表情と言いますか、
うまくかみ合わないなあという
違和感を抱いているサインを
発してくれているものです。

だから、さっと身を引くことが出来るわけで、
逆に相手も自分と同じような感覚で
会話をしている方なのかどうかも
感覚で分かるものです。

前述した、
他者の活動の担い手として
使命感にメラメラ燃えている人を目の前にしますと
仮にその人が仕事として収入を得ている活動であれば
ある意味、理解できる範囲ですが
自分の意志で、
任意でその使命感を貫いておらる姿は
やはり度を超えており、
また会話のキャッチボール以前に
「ちょっと待った。私は何も質問をしていませんよ。ずかずかはいっていますよ。」
と、じわりじわり引いてしまいます。

何のために、選挙活動をお手伝いしているだろうと
その人の心を私はどうしても感じ取ることができず、

ご家族の御飯はちゃんと作っていますか?
自分の生活のために家でやるべきことはないですか?
仕事には支障でていませんか?
その応援している方は身内だからやっているんですか?
ガソリン代は応援事務所が負担してくれているから回られてるのですよね?

と、近所のおばちゃんのように
心配になってしまいます。

まずは、自分の生活を成り立たせることが
人として基本かと私は思っています。

仮に必死に、生きぬこうと
走っている本物の人の目と比べてしまうと
たとえたダイエットの会話のキャッチボールが出来ない姿と同じで
一人暴走している行き過ぎた人たちとは
本物の生きた使命感を感じ取ることが出来ず、
静かに線を引いている自分がいます。

さあ、今週末は投票ですので、
それぞれ立候補者の方が
どんな思いで日頃その活動をしているのか。

私は、自分の目で見て、
自分の心でしっかり感じ取って、
清き1票として投票したいと思います。







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posted by Michi at 11:27| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月28日

今、自分には何が欠けていて何が足りないのか。

今日は、講習へ行ってきます。

講習内容は美容ではなく、
労務向けの事務講習です。

昨年秋ですが
会員費を納めている
ある団体の広報部から
その案内が届きまして
先着順での無料講習との案内が目に入り、
所定の申込みに従って、
今日の受講となりました。

さて、
自分が労務に携わったと言えば
もう10年以上前になりますが
自営業として初めて従業員を正社員として雇用した時の事です。

それまで私は勤め人でしたので
労務と聞けば頭が痛くなりそうな
手渡された保険証を受取り、
給与から天引きされる社会保険料や
源泉徴収の内容をさらっと目を通す程度でした。

それが、自分が手続きをする側に立ちまして
従業員を雇えば
法令に従った加入の義務があり
法令で定められた手順で必要書類を揃え
行政の機関へ提出しなければなりません。

その一連の流れには、
それなりの知識が必須で
労力や手間がかかることを
立場が変わり初めて理解しました。

また私の場合、
契約していた顧問会計士の先生が
ある程度サポートをしてくれていたので
分からないことがあれば先生に聞こう、
という甘さがあったので
自治体や行政機関が無料で講習会を開催しているところには
目が向きませんでした。

また今の時代、
分からないことがあれば
インターネットで検索をかければ
情報を簡単に得られますし、
今日のような本格的な事務講習を
あえて受講せず、今日に至っています。

任意の講習。

義務や責任ではないけれど
自分に何が欠けていて、
何が足りないのか、
そこに意識を向けられたから
目を向けられました。

今回、私が受講する会員向けに開催されているサービスは、
会社によっては必要であり、
会社によっては必要ではないので
今回このタイミングで受講できることが出来て
私にとっては幸いです。

さあ、頭をリセットして
労務の基礎に目を向けてみようと思います。








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posted by Michi at 10:18| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月27日

不調をきたしてはじめて有難みを痛感する。

師走まで走り切って、
その疲れを年末年始休暇で癒し、
新年明けて通常の日常を送り、
再び身体が忙しさに慣れてきた頃、
ぷつっと糸が切れたように
体調不良に見舞われる。

でしょうか。

先週末から主人が
胃腸風邪で寝込みました。

無理がたたったのか。
それとも、
自分の免疫力が相手にもならない
強力なウイルスの威力に負けてしまったのか。

「一緒に仕事をしていた人がマスクをしていてしんどそうだったから、あの人からうつったかもしれない。」
と本人は言っていましたが
めったに体調を崩すことがない、と言いますか
私は主人と出逢ってから体調不良の姿を一度も見たことがなく、
「3年ぶりくらいに風邪で寝込んだ。」
というので正直驚きました。

前兆は、先週木曜日の夜から始まりました。

その日、いつも通り夕食を終えると
「今日は眠いからこのまま寝てしまうかもしれない。」
と19時には布団に入り、数時間後、
「寒気が止まらない。」
となりました。

たまたま私が別の治療で処方されていた
ロキソニンが残っていたので
それを服用。

じきに寒気は治まり、一先ず、朝を迎えましたが
熱は38度以上のまま、翌日金曜日は
身体を引きずるように仕事に出ました。

帰宅後、お昼のお弁当半分を残したまま帰ってきて、
その不調さがひしひしとこちらまで伝わってくるようでした。

薬を飲むためだけの御汁を食しただけで寝込みまして、
不幸中の幸いなのか
たまたま先日土曜日は仕事が入っていなかったので
丸1日ゆっくりと身体を休め、
一日3回の抗生物質のおかげか、食欲も戻りつつあり、
日曜日の今日の朝は
ようやく平熱に戻り、
無事仕事へ出ることが出来ました。

ほっ。

生意気のようですが
私からみると主人は鉄人か!と思う程
身体が強いのです。

平熱が高めなので免疫力が強いのか、
あるとき、一緒に居た私が突然39度の発熱に襲われ
風邪をこじらせてしまい、その看病をしてくれたのですが
まったくうつりませんでした。

仕事は8割がた、肉体労働なので、
元々筋肉質がさらにがっちりとした
体格を築いていますし。

そして、危険が伴う仕事でありながら
今のところ大きな怪我をすることもなく、
年数回襲ってくるぎっくり腰をのぞけば
41年間、健康体で過ごせているようです。

健康に胡坐をかいていない?という節を、
私から見るとどうしても感じてしまうので
「自分がいつまでも若いとは思わないで、健康のありがたみをしっかり感じて下さい。」
と、体調不良で寝込む病人を痛めつけるように
と言ってしまったほど。

体調を崩してから
健康にありがたみを感じていては
遅いんですけどね。

なぜなら。

自営業と企業勤めの大きな違いは
自分の仕事の変わりをしてくれる人がいないことです。

もちろん、
自分の変わりに、その業務を担当できる外注さんなり
従業員さんがいれば、
周りに迷惑をかかることは
とりあえず避けられます。

ですから、
一人ですべてをこなす自営業者にとって、
身体の不調が原因で仕事ができなくなることは
致命傷です。

なので、主人のような健康体は
体調不良を定期的に経験でもしないと
いつまでも胡坐をかきつづけそうです。汗。

身体が資本。

とはいえ、
どれほど自分なりに健康管理に務めていたとしても
事故や怪我など
万が一が起こらないとはどこにも保障はありません!

と、どれだけ私が心の声を叫ぼうと
主人に鞭を打とうが
本人が心から思わければ
何も意味がありませんから、
この気持ちをブログにぶつけてしまいました。

そんな私ですが昨夜、足の関節の鈍痛があり
3日間看病していて
いよいよ次は私の番か?と気をもめましたが
今朝、すっきり目覚めることができたので
ちょっと安心しています。

自分にいつ、何が起こるか分からない。
主人にいつ、何が起こるか分からない。

もし、いつ、どのような内容で予期せぬ事態が起こっても
冷静に判断し、行動できるような
健康管理、
生活習慣、
金銭感覚、
人間関係、
心の在り方や生き方を
いつも整えておくことは
日々生活を送る上でとても大切な事だと
主人を看病しながら、改めて心から思いました。

こんなことをいつも考えすぎて
鳥越苦労が行き過ぎて、ストレスでがんじからめでもなく、
パニックしているわけでもなく、
冷静な時、日頃から自分がどんな在り方でいるのかが
結局、自分の身を助けるのではないでしょうか。

私は、そう思えてなりません。

これをいつも頭にしっかり置きながら
今日も一日を心込めて過ごしたいと思います。







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posted by Michi at 09:51| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月26日

【第1話】プロフィール

※2020年1月26日加筆。

24.jpg

初めまして、の皆様へ
ようこそ私のブログへ辿り着いて下さいました。

そして、いつもブログをご覧下さっている皆様、
とっても嬉しく、励みになっています^^ 

皆様、ありがとうございます。

それではタイトル通り、私の紹介をします。

私は、1976年の春に
地元で生まれ育った両親の元で
4つ上の姉、8つ下の弟がいる二女として
愛知県西尾市で生まれました。
(西尾市と合併する前は幡豆郡)

ここは三河湾内に面した
海と山に囲まれた穏やかな田舎です。

私は、地元の公立高校家政科を卒業し
管理栄養士を目指そうと専門学校の内定を頂き
その通りのレールを走れたなら、今頃は管理栄養士です^^

ところが、入学に向けて舞い上がっていると
ぎりぎりになり家族の強い希望で父の自営に入らざる得ない状況となりました。

2年間、父の仕事を手伝った後に
24歳でエステティシャンの職種に就き、
4年間現場経験を積んでから、その職種で独立をしました。

独立したばかりの頃は、
友人や親族に営業をしていましたが
半年して東京都内へ拠点を移し
世田谷区尾山台で居住地も移しました。

’ぷる肌小顔’のメニューに特化して始めたエステも
’リフトアップ小顔’にリニューアルをして
ブライダルエステのメニューも増やしたことで
ターゲット地を定めました。

こうして、表参道青山(minamiaoyama312ビル内)で
私にとって人生初の実店舗でエステサロンの営業をし
その近隣に居住地を移し、私の人生で一番大きな借金を抱えました。

充実した毎日を送りつつ、
4年後に都内の営業を終了し、沖縄那覇市へ移住しました。

美しい海と鮮やかな花々に囲まれた温暖なリゾート地は
私には異国の地でしたが
那覇市金城のデザイナーズアパートを賃貸し、
そこでプライベートサロンを再開しました。

スタッフを雇用しなければこなせないくらいお店が忙しい時期もあり
逆に生活もままならない時期もあり
私の商売の波は激しかった。

けれど、そのたびに
別収入を得ながら大まかな借金も返済し、
生活を立て直しつつある頃に
ある男性と出会いました。

ここまでが、起業時代の私のストーリーです。

その男性とはお互いアラフォーのいい大人同士で
自営業者ということもあり
遠距離恋愛でしたが短い期間でとんとん拍子に事が進み
出逢って半年した41歳の春、入籍しました。

その過程をかなりかなり、長文更新しておりまして
読み終えるのに疲れさせてしまいますが><
お時間あればご一読に挑戦して下さいませ。

独立してから29歳で故郷を飛び出してから
14年ぶりに故郷に出戻ってきて
改めて地元三河に縁があるんだなあと
振り返る今日この頃です。

今は愛知県岡崎市民となり
地元でエステティシャンを再開しています。






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posted by Michi at 08:00| プロフィール

2019年01月25日

日常生活の中の非日常を自分なりに作ってみると。

一昨日、無事北関東から戻り、
いつもの日常に戻っていますが
私自身、先日は朝から午後過ぎまで所用で外出だったため
今日4日ぶりに
いつもの自分の落ち着いた日常が
始まったような気がしています。

ということで今回の北関東、
画像の整理と共に
私の頭の整理をしようと思います。

北関東へ発つ初日、
夕方前に岡崎ICから目的地へ向けて
出発しました。

浜松を過ぎた頃には
陽が暮れ始め、
ヤマブキ色に優しく広がった美しい夕焼けに
遭遇することが出来ました。

新東名高速道路を上りへ走行していたのですが
静岡県にはいりますと
いくつかのトンネルを
通過しなければなりません。

ちょうど日暮れにさしかかり、
とあるトンネルを過ぎますと・・・

「どでかいまんまるのお月さんだ!」
と主人が叫んだほど、見事なまでの眩しいお月さんが
夜空へ向けて登ろうと顔を出している途中でした。

20190125-1.jpg

夜間の工事現場照明?

かと思ってしまったほどの煌々と街を照らすような明るさで
画像にはうまく収められませんでしたが
本当に圧巻でした。

朝日、夕暮れ、自然。

何度同じ道を走行しても
気候や時間帯と、タイミングがほんの少しずれただけで
目に映る光景がまったく変わり、
今、目に映っている景色は
ほんの一瞬しかない。

そう思うと
かけがえのない瞬間であり、
自分の感性がくすぶられるような
私にとって、ドライブは貴重な楽しみの一つです。

こうして、主人とロケーションを楽しみながら
途中、通行止めによる迂回をしたため
予定より1時間伸びて22時を回りましたが
移動中に手配が完了できた
翌日の目的地から近い
アパホテルへ無事到着することができました。

これがプライベートであれば
ホテル周辺の居酒屋へ足が向かうところですが
明日に備えて身体を休めなければなりませんし、
所用を終えた後は
プライベートでの出費が待っています。

「外出だからと言って、外食ばかりしてしまうと食の感動が薄れるし、疲れるから今夜はホテルでゆっくりしよう。」
となりまして、コンビニで軽食を購入し、
部屋でゆっくり過ごしました。

私ですが、今回に限らず
宿泊するような外出時には朝夕問わず、
念のため、軽いお弁当を作って
出掛けるようにしています。

長距離走行は、
渋滞など予測できないところがあり
たとえかなりの余裕を持たせた移動時間ですら
万が一、飲食店の閉店時間に入ってしまうと
お店での飲食は、まず厳しくなります。

こうした想定外の事態を過去に何度か経験していたので
それ以来、遠出をする際は、
ほぼ軽食を持参するようにしています。

なので、その日も自宅を出る前に
2種類のおにぎり5個、
生ハム添えのカリフラワーやさやえんどうを茹でた大量のサラダ、
かまぼこと果実。

これら軽いお弁当を準備してきたので
道中、つまみながら移動することが出来ました。

やはり、準備して正解でした。

さて、今回の第一の目的。
実は、主人の仕事でした。

県外出張の仕事に合わせ、
現地に前日入り。

翌日は、予定の仕事をこなし、
終えたらそれ以降はプライベート。

そこに
私が同乗した、というわけです。

実は、このような同乗は
今回が初めてではなく、
「私も行きたい〜」という軽いノリ、とも違い、
主人の同意を得た上で成り立っているわけですが。

クライアントさんから
県外出張のお話を頂いた際、
現地の場所、
どの程度の関係者が仕事に関わるのか、
主人が予測できる範囲を事前に教えてもらい、
もし、その道中、私が同乗しても
主人に負担がかからないだろうか、
ということを事前に確認しています。

また主人は今、一人親方という自営業なので
定期的な休みを自分で立てるものではなく、
あくまで仕事が入らなかった日が休みになる、
勤め人とは逆のスタイルに在ります。

なので、
大変有難いことではありますが
1か月ぶっ通しでお仕事が続けば、
繁忙期では休みのない月もある程。

ですから、
予め旅行の計画を立てるという
プライベートを優先しにくいスタンスにあり、
こうした県外出張プラス、翌日の移動=余暇に
充てるというスタイルです。

また、
私自身も自営業でもあり、
ノートパソコンとスマートフォンの端末2台さえあれば
成り立つ業務もあるので、
自宅のマイデスクで落ち着いて作業に没頭することもできますが、
敢えて、こうしたロケーションが変わることで、
ごちゃごちゃした頭を整理できたり、
環境が変わることは
いい意味でリセットになります。

また、県外出張先の近隣が
観光地であれば
主人が仕事中、私だけ一人ぷらっと観光をすることもありますし、
現場近くにカフェがあれば
丸一日静かにこもり、作業に没頭することも出来るので
県外出張に同乗できることは、
私自身にとっても、合理的。

勤務時間が決まっている会社員であると、
こういう自由はまず効きませんので
そう思うと、こうした有効に時間を活用できる環境に
とても有難さを感じています。

さて、また幸いにして主人は
予定より大幅に早く仕事を終わらせることができ、
合流してから、一緒にランチを済ませ、
まだ決められなかったお宿を
30分ほどリサーチをして、手配しました。

本来であれば、
お宿は事前に予約するものです。

しかし、前述したような主人の仕事上、
時間が読めるようで読めない事情から
お宿は、その日の動きに合わせた予約が
私たちのスタイルです。

たとえば、
チェックインの時間がはっきりできない、
夕食前にお宿へ入れるかも分からない、
状況によってはクライアントさんとの会食が入る、
といったイレギュラーも実際に起こります。

この在り方は、実は、
予定を事前に立てずとも
随時フレキシブルに、かつ、
都度、迅速に判断しながら動く軽さがある私たちには
ぴったりの動き方です。

希望通り、予定通りに事が運ばないことで
自らを乱すことはなく
これがダメならあれにしてみようか、という
機敏さの中で事が進んでいます。

自分の中で、先を読むという感覚を
しっかり働かせながら。

これは、一見、
方向性が定まっていない
ぶれた在り方と受けて取れそうですが
実際はそうではありません。

これらの選択の軸は、
第一は仕事にあります。

仕事の場所がどこか。
その場所軸によって、
前泊の宿とプライベートの範囲が決まっています。

仕事が何時から始まり、おおよそ何時に終わるかの時間軸によって、
移動できる距離、行動範囲が決まっています。

たとえば、
私か、主人のどちらかが
事前にすべての準備を整えて、
きっちり予定を立てた旅程表を作り、
その通りこなさなければ気が済まない丁寧な性格だったら、
まずこのスタイルはストレスが大きすぎます。

それ以前に、県外出張に同乗すらできません。

同乗だけでなく、私たちの関係すら
成り立たっていないことでしょう。

アバウトながらも
目的は仕事という1本の軸が立っており、
あくまでそこに付随しているプライベートは
状況を見ながら、自由に動きながら、楽しんでいく。

私と主人には、
このような似たような感覚が
元々あります。

よく言いませんか。
日帰りでも旅行をすれば
相手の性格をリアルに見れますよ、というたとえ。

私は、まさにその通りだと思います。

旅って、選択の繰返しで、
何を優先に人生を送っているかが
リアルになりますから。

逆に、あなたとは呼吸が合いません、と
愛想つかれる危険性もありますけど。笑。

パートナーに限らず、
友人もしかり、
私自身がかなりアバウトな面が強く、
しっかり緻密に計画を立てて
実行しなければ気がすまないタイプの方には
迷惑をかけてしまう私がおります。汗。

という諸事情により、
お宿を選ぶ条件の
露天風呂、混浴出来たら尚理想、
という軸を立てていまして、
露天風呂もあり、
予約すれば混浴(笑)も可能な、
しかし、夕食は材料の仕込みが間に合わないので
朝食付きのみ、というお宿を
運よく手配することができまして、
私たちは、磯部温泉街へ移動したのでした。

到着してから、
露天風呂を利用したり、
身体を少し休めました。

で、夕食に関しては、
ご当地の郷土料理という特徴はありませんでしたが、
お宿から徒歩15分先にあった
居酒屋を利用し、
冷えていた身体をもつ鍋で温め、
葱の天ぷらを頂くことが出来ました。

20190125-7.jpg

夕食を終え、部屋に戻った途端、
前日や仕事の疲れがどっと出て、
21時にはぐっすり寝てしまいました。

お部屋は、ゆったりとしたシンプルな和の個室でした。

20190125-2.jpg

↑ 朝食は、個室を案内されて
シンプルな御膳でしたが、
静かな空間で、ゆっくり堪能することが出来ました。

20190125-3.jpg

翌朝は、
7時半に朝食を始め、
朝風呂に浸かり、
お部屋でゆっくりしてから
10時にチェックアウト。

富士山を眺めながら移動してみようと長野軽井沢経由を選びまして、
快晴の中、磯部温泉エリアから浅間山?の
富士山かと一瞬思えてしまったような
美しい雪山を目にすることが出来ました。

20190125-4.jpg

↑ そして、道中、国の指定文化財である
めがね橋に立ち寄りました。

明治25年から昭和38年まで
実際に鉄道として使われていた
日本最大の橋と言われています。

歴史ある橋を眺めていますと、
大きな音を立てて黒煙をはきながら機関車が通過しているような
モノクロの映画の光景が
ぼんやり、目に浮かんでくるようでした。

それから、さらに車を走らせながら、
この日のお昼。

そば店に狙いを定めて走らせていたわけですが
3件続けて見事に水曜日定休。汗。

「そばはまたにして、お昼ずれちゃうけど道中目にしたお店にはいるのもいいんじゃない?」
と、まだあきらめようとしない
主人をなだめながら、
偶然に立ち寄ったのが、ほうとうのお店でしたが
これが大正解!でした。

20190125-5.jpg

↑寒い地域の昔からある日本家屋のような
古い建物かと思いきや、
掃除がしっかり行き届き、空気の澄んだ綺麗な店内でした。

20190125-6.jpg
↑ 初めて食したほうとう。

お米が貴重だった時代の最上の日常食、
と説明書きが添えられていました。

濃い目の白みそ汁で
じっくり煮込まれた
大きなかぼちゃ、じゃがいも、人参等
沢山のお野菜がゴロゴロ入っている
甘い白みそ煮込みうどん、のような
みそ煮込みで育った
生粋の三河人の私としてはなじみのある味でした。

ではありますが
ほうとうのお店でこういうのもなんですが、
実は一緒にオーダーした、えび天重が
個人的には感動しました。

車エビくらいの太さがある
大ぶりの海老がサクサクに揚げられ
それが3匹ドカンとのっていましたよ。

食事は、一人でも美味しく頂けるものですが
二人いると、ほうとうとえび天重の
別々のメニューが頼めましたので、
美味しさも二倍でした。

こうして、
今回の県外出張ついでの小旅行は
事故も怪我もなく無事帰宅でき、
その日の夜のクライアントさんの誕生日会へも
無事間に合わせることが出来ました。

日常の毎日が
当たり前になってしまうマンネリ。

仕事のこと、家族のこと、
すべて自分の思い通りになることは
まずあり得ませんし、
当たり前になり過ぎた故に
近しい関係ほど妥協が生まれ、
人としての正しい在り方がずれ、
そこにまったく目を向けられず、
誤った道を突き進んでいることさえ、
心が向かなくなることに
非日常に身を置き、
改めて気づかされました。

非日常を作りだすことは
目の前にある生活の
ほんの少しの工夫次第。

別に大金をはたいて
目の前の生活を犠牲にしてなくても
ほんの少しの工夫、発想の転換さえ出来れば
非日常は作り出せるのではないでしょうか。

仮に私か主人が
お宿は一流ホテルでないと気が済まない。
食事は割烹料理でなければ満足できない。
あそこへ行かなければならない。

というような
目の前の生活を無視して
我を通そうとしたら。

もちろん、やろうと思えば
出来なくはありません。

でも私は、思います。

日常の慎ましい心、
慎ましく送る生活があってこそ
非日常は楽しめるものだと。

豪華、豪遊も
毎日になればやはり、飽きて
マンネリします。

こうした
当たり前の人としての正しい在り方を
貫く方向性を踏み違えないのは
慎ましさの中に時々ある非日常の一時によって
何事にも心を込められる優しさという強さは
養われれないと言っても過言ではないのかもしれません。

人としてのバランスは
誰から与えられるものではなく
誰かに整えてもらうものでもなく
自分で整えていくもの。

そこに心が向けられなければ、
自分を律するタイミングすら見失い、
どこまでもわがままへ突き進み、
わがままさに自分で自分をがんじからめにしてしまう
矛盾した人生に
自ら陥るように思えてなりません。

そんなことを
心から実感できた穏やかながらにも
豊かな時間を過ごせた小旅行となりました。












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posted by Michi at 09:20| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月23日

今日はここまで。

おはようございます。

先日のブログにも
ちらっと入れましたが
私は、主人と所用に付き添い
一昨日高速道路を北上しました。

先日、目的の用を済ませてから
再び移動。

今は、北関東南西にある
とある温泉地に来ています。

そこは川のせせらぎが
穏やかに聞こえてくるような静かな場所で
非日常ではない空間が
私にとってご褒美のようです。

初日の移動中、予期せぬ圏央道の通行止めから
迂回をしたため予定より移動時間がかかり
寝るのが深夜になってしまい、
寝不足気味で、日頃はどちらかと言えば
規則正しい日常を送っているせいか
一日中、身体がどんよりしてしまい
すっきりしない一日でした。

しかし、
所用を済ませた後、
温泉にゆっくり浸かり、
美味しい夕食を頂いてから
21時には寝てしまったので
朝はいつも通りの朝5時半には目が冴え、
身体がすっきり、とても楽に
目覚めることが出来ました。

今回、所用を含めた2泊3日の移動ですが
私のことなので、この今の気持ちを
ブログにしたためたいだろうと踏んで
PCを持参して出掛けてきました。

なので、先日も今日も更新できているわけですが
画像を公開しようと思うと…出来ない。

マウスを忘れていました。汗。

実は、ノートパソコン上のパネルが不調なため
マウスが無いと、本来のマウス機能
右左クリック機能が出来ません。

ですから、日頃ブログに公開する画像は、
手持ちのスマホから撮影してから、
メールかSNSに飛ばしています。

飛ばしだ画像を
一旦PC上でダウンロードをしてから、保存。

そこから、必要な画像はPCで加工をしてから
ブログシステムにアップロードして、
ようやく更新。

わざわざそんな手間をかけず
スマートフォンから
ブログへログインして、
その端末からブログの更新をすればよいのでしょうが
手間な作業だと分かっていつつ、
PCを経由した操作に慣れてしまったため
これをしているのですが、
マウス不在ないため、画像はストックしたままで
テキストのみの更新します。

帰宅してから
画像を整理しながら
ゆっくり更新したいと思っています。

この後、ゆっくり朝食を摂りまして、
一息ついてから再び移動。

夜は、主人のお仕事の関係者のお誕生日会なので
今日のブログはここまでにします。







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posted by Michi at 07:24| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月22日

自分の目で、耳を信じたい。

なんだか年寄りみたいなことを
口走しってしまいますが
便利な世の中だなあとITの恩恵をまた
実感しておりまして^^;

実は私、先日午後より
所用のために主人と高速道路を北上していました。

比較的、遠出の多い私たちですが、
車に設置されているナビゲーションは
ほぼ、使用しません。

その変わり、スマートフォンを使用しています。

移動距離が短い長いに関わらず
現在地から目的地まで最短時間で案内してくれる音声付きの地図、
その移動間の渋滞のお知らせ、
渋滞による迂回回路、
さらに迂回による所要時間など
車両に接続されているナビゲーションではなく、
リアルタイムで情報を得られるGmapsを
スマートフォンから閲覧して移動しています。

時々、通信の不具合なのか、
端末の反応が鈍くなってしまい、逆の方向を差してしまう時が
時々ありますが、そこをのぞけば
基本的に、不便なことは何もありません。

本当に便利。

私のような方向音痴一人でも
無事目的地へちゃんと辿りつけます。

そんな理由から
先日、走行していた圏央道に通行止めのアナウンスが
入ってきました。

始めは、「通行止め」だけのアナウンス。

内容までは届かず、事故かと予測はしました。

しかし、
いつ渋滞が解除されるのかまったく分からず、
そのうち解除されるかもという期待から
渋滞の中へ進もうか。
迂回しようか。

考えてしまったほど。

ならば、何が起こっているのか
調べてみよう、となりまして、
(本当は先を急いでいた)

私のスマートフォンから
「圏央道 通行止め 1月22日」と検索をかけましたら
twitterと連動している
口コミサイトのようなサイトを見つけました。

そのサイトは
twitterなどのSNSを通じて、
個人が配信した
「圏央道」「通行止め」のキーワードを
システムが自動的に拾いあげ、
それを時系列に見られるように組んでいる
SNSかと理解したのでしたがこれが便利で。

それによると、
「大変なことになってるぞ!」と
まさに今、通行止めのど真ん中にはまっている
知らない方々が、リアルタイムでツイートしているではないですか。

その方々のつぶやきによって、
例の通行止めは
大型トラックの転倒による火災事故で
2時間以上渋滞が続いている、という背景を
知ることができたのです。

ここで、固っ苦しく考えてみます。
例の口コミサイト。

どこまで信憑性があるのか、
本当に当事者が配信している内容?

これ、実は
100%の確信はありません。

報道番組でもないわけだし
情報に責任が伴うメディアやその関係者というわけでもなく、
実名や所在地を明らかにしている方ではない、
どこの誰かも分からない情報です。

そのくらいこの情報は、確かというより
不確かと捉えられます。

ここをまず、確かな前提として置きまして、
私は、日頃情報を受け取るように心がけています。

よく主人やお友達と
ケラケラと楽しい時間を過ごしていますと
本当にくだらない話題のおかげで、
心から笑わかせてもらっているわけですが
楽しい話題から突然真剣話になった途端、
どこからかかじった情報をそのまま流している自分に
「ちょっと待った!」と我に返る時があります。

経験談なのか、
どこかで聞きかじった内容を
右から左へ流しているだけなのか。

先ほどの内容を例に挙げます。

「『圏央道 通行止め 1月22日』と検索したら
twitterと連動しているような
口コミサイトを見つけたの。
どこまで確かな情報なのかは分からないけど、
そこによるとね・・・。」

と、この前置きを
添えています。

相手がどうではなく、
私自身としても、
事実なのか、否か、
自分の耳ではっきり判断できるようにしたい。

そのために、たったこれだけ
なんですが、前置きを添えるようにしています。

どこかで聞きかじった情報を
あたかも事実のように話してしまうと
いつの間にか相手に押し付けてしまうようになり、
その癖が、相手との距離感として意識を持てないようになり、
自分よがりになってしまうからです。

たとえば。

「さいきん仕事で上手く行かないことが多いんだよね。」
という会話。

「それって、今、〇星にどっぷりはまっている時期からだよ。何月には抜けると変わるんじゃない。」
とか。

なぜ仕事がうまくいかないのか、
その仕事を満たすスキルが自分に備わっているのか、
人間関係が原因で上手くいかないのか、
自分の努力で改善できるのか、できないことなのか、
まずは冷静に自分が振り返れているのか。

そこを通り越して、星座や四柱推命のせいにして、
言い放ってしまう在り方だったり。


「また同じような人とお付き合いしてしまったような気がする。」
という会話。

「それって男運ないからだよ。」
とか。

自分はどんな人が好きなのか。
どんな人が好きになれないのか。
過去出逢ってきた人の共通点から自分がどんな人と過ごしたいかのイメージとか。
自分のどこに心の隙があるのかどうか。
そこを飛び越え、運のせいにする在り方だったり。


「なかなか子供ができないんだよね。」
という会話。

「祈りが足りないからだよ。もっとお願いしないと。どこどこ神社がいいらしいよ。」
とか。

シリアスな内容ですが
なぜ子供が欲しいのか、
婦人科の検査はしているのか、
何か治療をしているのか、
しないならなぜしないのか、
もし子どもが出来なかったらどうか真剣に考えてみたか、
自分と向き合うことを飛び越えて、
願掛けに走るのを良しとする在り方だったり。


「今の家に引っ越してから、何かとうまくいかない。」
という会話。

「今住んでいる家や土地が合わないんじゃないかなあ。」
とか。

家に引っ越してから、という前提を鵜呑みにして
アドバイスに変えてしまう在り方だったり。

第三者の在り方に何の疑いも持たずに、
それが確かなんだと信じきってしまい、
それを他者に、
堂々と、アドバイスに変えてしまう。

もっとひどいと、
それを実行させ、観察し、
相手が実行できるまで
徹底的に管理してしまう人を見かけると
それって、
自己啓発に走ったり、
新興宗教にどっぷりはまったり、
何か特定の世界に浸かって
自分を見失った身の丈を超えた在り方だ、と
恐怖すら感じるようになりました。

過去のブログでも
何回か綴っていますが
私は昨年夏頃から、
自分の癖や習慣に
深く、深く、考えるようになり、
例の前提を話に添えることの
大切さを意識しています。

会話って、
面白いほどに
人の生き方を裸のようにオープンにしているので
そこに目が向いた時
濃霧が晴れたとき、心奪われるような美しい田園を
目にしたような。

目に映る世界や
耳にはいってくる情報のすべてが
まったく変わったことに
正直驚いています。

かなり、固っ苦しいですが
その変化に確かな実感を得ています。

さあ。

この後も移動は続くので
情報をほどほどに受取りながら
実りある旅路を楽しもうと思います。






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posted by Michi at 15:52| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月21日

ユーモアの前に大切にしたいコト。

おはようございます。

今日は10時から、私が今住んでいる市内で
岡崎市民駅伝が開催されます。

今の時間、エントリーされる皆さんは
ウォーミングアップ中でしょうかね。

先日、市内の堤防沿いや主要大通りを車で走行していたのですが、
至る所でその駅伝のチラシや看板、
休憩場所が設営されていたりと
目にしていまして、いよいよだなあと眺めていました。

この時間、すでに太陽が顔を出していていますから、
今日はお天気に恵まれて本当によかった!

さて、話は変わりますが

18.jpg

主人のお仕事の取引先の方から
こんなユニークな鹿児島土産を頂きました。

えっと、念のため。

このブログは
風俗行為は一切しない当店のエステサロン公式ブログから
リンクをしているエステティシャンブログなので
画像加工してしまいましたが
ストレートなネーミングに
つい笑ってしまいました。

実は、個人的に好きです。
こういう、ストレートな表現。笑。

私はご当地土産の開発に
お仕事で携わった経験はありませんが
商品開発に関わるスタッフの方々のユーモアさというか、
陽気さというか、
枠に捉われない発想によって
こうやって個性的な商品が
世に誕生していくんだろうなあと思うと
そのアイデアを世に出そうと
勇気ある会社組織によって
実現しているのであって、ある意味、
芯のある在り方を垣間見ているようで
個人的に興味をそそられます。

主人が
「日本列島、下へ行くほど、下ネタがオープンだよね。」と
笑いながら私に渡してくれたのですが
商品を渡す人、受け取る人、両方が笑っているのですから
この威力は凄い。

私だけではないと思うのですが
「いつも前向きに、今日も笑ってご機嫌で過ごそう!」

とどれだけ平常心を保とうとしても
自分との考えの違い、
相性、
相手の気分の波、
といった他人はもちろん、
たとえ気心しれた血のつながった家族であっても
人との交流がある以上、必ず、
人からの影響を大なり小なり受けていて、
やっぱり笑えないと悶々としてしまう時って
ないでしょうか。

どれだけ、気持ちのリセットに心がけても
中々その負の感情から抜け出せない。

そんな時、人は、
自分が傷つかないように感情に蓋をして、
あえて、感じないようにするか、

「勝手にすれば」
と相手にせず無視するか、

愚痴を誰かに吐いて
気持ちをすっきりさせるか、

人それぞれ在り方があるかと思いますが
どんな方法をとっても、やっぱり一時的であって、
素直な感情は、「落ち込んでいる」です。

私は、どちらかと言うと
まず一人になる時間を作るようにしますが、
この「落ちこんでいます。」という感情って
とても大切だなよなあと思っています。

だって、だからこそ、
そんな時、この
ち♡こ団子を渡されたら、
一瞬でも自然に
ぷって笑いがこみあげてしまうから。笑。

笑わない人っているかなあ。

私、思うんです。

人生って、
ぷって自然に笑いがこみ上げてしまうユーモアを
どれだけ一日の中の要所要所に
自分の選択で取り入れられるかがとても大切で
それを当たり前にしている人って、
心のバランスが自然に整っている人だなあと
感じています。

私が主人から受け取った
ち♡こ団子。

自分自身の選択で
ユーモアを取り入れる器用さが持てれば
ある程度の落ち込みなら、
感情が乱れず、
平常心を保てるなあと。

第三者から頂いたご当地土産で
私は突然、主人から渡されたサプライズでかなり盛り上がりましたが
もらうことを期待したり、
頼ったりすると、感動は薄れますものね。

ユーモアと言えば。

今では、直接的には接点はなくなってしまいましたが
出逢ってから5年以上経っても尚、年の瀬になると
ユーモアを人生の重きにおいている方ご自身が
自ら登場する手作りカレンダーを
律儀に送って下さる方がおられまして
毎年、ぷっと笑わせてもらっています。


登場されるご本人は
都内で不動産業を営む社長さんで、
実は、最愛の息子さんを失っています。

きっと長い長い、途方もない時間をかけて
深い悲しみと向き合い、
「人生には笑いが大切」という在り方に辿りつき、
このユーモアに富んだマイカレンダー作りを
ようやく楽しみに変えることができたのだろうと思います。

だからこそ、
たった1度しか会ったことのないご縁を
ご自身なりの在り方で、
笑いの大切さを伝えようとする優しさが「送る」という形に
なっているのかと捉えますと、
その悲しみの深さは、
今の私には正直すべては理解できませんが
心を寄せることが少し、
できるような気がしています。

私は今、愛知での生活を送っていて
その社長とお会いすることは
もうないのかもしれませんが
私が思うに、
自分が望まない辛い経験から逃げず、腐らず、
しっかりと自分自身に向き合い、乗り越えた人ほど
ユーモアや、笑いが、
人生でどれだけ自分の身を助けるのかの
真意をしっかり理解されていて、
押し付けではなく、
その大切さをさりげなく教えようとしているのかと
今年送られてきたカレンダーを
ぼんやり眺めています。

実は、私がこれまで出逢ったきた
私が感じる心豊かに過ごされている人たちの唯一の共通点が
「ユーモア」「笑い」プラス、そこに成り立つ
心の余裕さです。

さほど小さなことは気にせず、
だからと言って、不安や辛さを他力本願にはせず、
楽しみや笑いに変えていて、
自分で自分の人生に責任を持つと言う在り方から
人や物や時間を大切に扱っています。

今、目の前にあること。
今、自分にある人間関係、時間、収入。

この範囲がどこまでなのかちゃんと冷静に分かっていて、
誰にも頼らず、おごらず、迷惑をかけず、
「ユーモア」「笑い」のある
毎日を楽しんで過ごされている人たちです。

で、付け加えますと
その周りも
「ユーモア」「笑い」のある毎日を
楽しんでおられ、
その人たちの口からは、
ひがみや嫉妬、妬み、嫉みといった言葉は
ほぼほぼ出て来ません。

よく、豊かさ、というキーワードが挙がりますと
「大金持ちでしょ。」
「ありあまるお金があるからだよ。」
と、必ず言う人がいて、
私も過去、その考え以外持てなかった時もありますが
今は、きっぱり言えます。

お金の大小は、豊かさに一切関係ない。

正直、1円を大切に出来ない人ほど
豊かさをお金の大小で計ろうとし、
そういう人に限って、なぜか
自分の手元にある範囲の中での選択を超えて、
周りに足りないから助けて下さい、
と平然と言ってしまい、
また、その範囲が限られているから可哀想だと助けてしまう人がいる限り、
その両方とも、
本当の意味での豊かさから
かけ離れた人生を歩んでいくような気がしてなりません。

私は、ふざけながらも
頂いたち♡こ団子をもぐもぐ食べて
笑いのある一日を過ごしたいと心から、そう思います。







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posted by Michi at 08:17| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月19日

続・永遠と繰り返してしまう満足が出来ない性。


先日、スキンケア化粧品選びにおいて
ブログを更新しましたが

気に入ったスキンケア化粧品を見つけたとしても
満足できるのは一時だけで
すぐ新しい商品を探しまう。

という在り方に視点を向けてみて、
’続・永遠と繰り返してしまう満足が出来ない性’
として、私の考える美の在り方を
整理したいと思います。

私は、高校を卒業した18歳の頃、
口の回りに水泡ができる’ヘルペス’と診断された
肌トラブルを患いました。

その前なのか、後なのか、
時間軸は定かではありませんが
同時期に
花粉症、猫アレルギー、埃アレルギーを発症しました。

とにかく、かゆい。

痒みは拷問だなあと思い出すほど、
痒みを我慢することができません。

爪で掻いてしまうと酷い外傷になる。

なので、爪の先や、針のようなピンセットを使って、
つつくように刺激を与え、
痒みからちょっとでもしのげるようにしていましたが
突然、ストレスが爆発したように
かきむしってしまう。

細かな傷は、何層にも薄くかさぶたになっては、
それを爪で剥がしてしまうを繰り返し、
ぐちゅぐちゅになっていきました。

痒みが我慢できない。

そして、ようやく皮膚科へ行きましたら
「ああヘルペスだね。ステロイド出しとくから塗って。じきに痒みが治まるから。」
と、さらっと言われ、
なぜヘルペスにかかるのか?今後気をつけたほうがいい生活習慣は何か?
私が質問すると、
「ストレス要因もあるので、はっきり言えません。
血液検査の結果を待ち、そこでアレルギーの種類が分かるので、受付で次回の予約を入れて下さい。」
と言われ、ステロイド剤の入った塗り薬と、
抗生物質のお薬をもらいました。

確かに、検査結果に基づいて
適切な処置がされるものかと思いますが
さんざん悩んだ挙句、病院へ行った私は、
あまりにもマニュアル過ぎるその皮膚科の対応が
どうしても腑に落ちず、
次の予約はキャンセルし、それっきり
皮膚科へ行かなくなりました。

頼りたいけど、すがりたくない。

いいのか、悪いのか、
私の中にある元々の性格が際立ってしまい、
「自分で解決策を見つけよう!」
という気持ちが背中を押し、
姉の仲良しのお友達エステティシャンを
紹介してもらいました。

お友達エステティシャンMちゃんが
自宅でエステサロンをやっていたので
そこに何度か通い、
素肌の構造、
なぜ突然敏感肌になってしまうのか、
アレルギー肌とは何か、素肌の中で何が起こっているのか、
ステロイドの効果と副作用やその先素肌に与えるリスク、
スキンケア化粧品が素肌に与えるメリットデメリットなど
私に分かるように、丁寧に教えてくれ、
何度かフェイシャルを受けました。

そして、Mちゃんが薦めてくれた
’ノンオキシ―’というシリーズを使い始め、
半年もせずに、私の顔から水泡は姿を消し、
痒みからようやく解放されました。

11年後。

私自身が仕事でそのメーカーを取り扱う側になるとは
その時は想像もしていませんでしたが
あの時もし、自分が発症した水泡の悩みから抜けられなくなって
不安のどつぼにはまっていったら?

きっと皮膚科を渡り歩き、
何を言われても耳に入らない枯渇した心の習慣となって、
ステロイドから手が離れない
取返しのつかない肌体質に
なっていたのかもしれません。

まず前提として、
私は何かしらの症状が出ても放置しておくことを勧めたいがために
このブログを更新していません。

あくまで、
悩んだ挙句、専門家を訪ねたけれど
その対応に腑に落ちない点が多かったため
自分なりに解決策がないか、迷った挙句、私が選択した
過去を振り返っているだけです。

やはり、専門家は専門家。

途方もない勉強や、苦労して苦労を重ねて
国家資格を取得されたその道のプロフェッショナルです。

健康ではない不調を患ってしまったら自己放置せず、
しかるべき病院で診てもらうことは
必要な処置だと思っています。


先日の記事で、
「私はスキンケア化粧品の浮気が出来ない肌体質」
と綴っていますが、元を辿ると、
18歳の時、突然口の回りにできた水泡事件以来、
超敏感肌へ体質が変化してからの付き合いになります。

今でこそ、
店舗を持たない
非店舗型エステサロン兼エステティシャンですが
店舗を構え営業をしている時は、
これまで何度か、
他社のスキンケア化粧品を
無料で頂いたことがあります。

その商品は、スキンケア化粧品に限らず、
ヘアケア商品、
メイク用品、
健康補助食品、
消耗品やボディケア商品と様々です。

「これ、とってもいい商品なので一度使って見て下さい。」

メーカーやディーラーが
試供品としてエステサロンに
いずれ取引をしてほしいという目的で
自社の取り扱う商品を配ることは珍しくないのですが
何せ私は、こんな肌体質。

ただ、たとえ私が超敏感肌の持ち主であろうと
一つのスキンケア化粧品だけにこだわり続ける在り方は、
情報が偏り、自分の視野を狭める、
人としてアンバランスな偏りが出てしまいます。

時にはリセットも必要ですし、
視野を広く持つ為には
他の商品をリサーチすることも大切だと
思っています。

先日のブログでも更新しましたように

自分をマンネリさせないためにも
実は、他社製品も一先ず蓋を開け、使っています。

なので、「浮気はできない肌体質」
と一言では実は言い難く、
決まったスキンケア化粧品に右足をつけながら、
もう一つの足で他を見る、という
自分なりのバランスを保つようにしています。

なので、
今でもドラッグストアの試供品を試したり、
ディーラーから届く試供品を
使用することはしていますが
その容量が1ヵ月用だったりと、
大きいサイズになると肌が負けてしまい2日と
使い続けることが出来ないので
封を開けても、使い続けることが出来ない商品は、
かさこそしてしまうボディケアとして脚に使ったり、
「もったいないけどごめんさい」と思いながら
捨ててしまうことも正直あります。

素肌は、必ず、
自分の体質に合うか合わないか、
サインを出してくれる機能を
人間の機能には元々備わっています。

肌体質に合わないと
痒みや、ひりつき、ほてり、赤み、吹出物として
警戒音を鳴らします。

また、逆に、
何も反応しないこともありますが
私が敢えて、
続・永遠と繰り返してしまう満足が出来ない性として
更新したかったこと。

自分の体質を冷静に見極め、
痛い思いをしながら辿りついた商品を
自分の中の基本にしながら、
もう一方で、外を見るなどリセットをしてバランスを保てほうが、
スキンケア化粧品や薬が
願掛けのようになってしまうと
中々、そこから抜けられなくなります。

そして、
「もっともっと」
「まだまだ足りない」
「まだ綺麗になれない」と
いつまでも満足ができない
枯渇した性に陥ってしまう方を過去に
フェイシャルの担当をしてきたことがあり、
ある意味、すがる怖さに
向き合ったことがありました。

「この商品がなければ・・・」と
すがりすぎてしまうと
やはり視野は狭まり、
自分が疲れてしまいますから。

もちろん、私のように
超敏感肌で肌がトラブルになって警戒音を発しているのに
あの先生が間違いないからと言うから、
あの芸能人も使っているみたいだから、
と、自分の痛みを我慢してまで
使い続けるのは、より状況を悪くしていきます。

あくまで、満足を追及するという在り方ではなく
スキンケア化粧品って、
人それぞれ体質が違うものだし
良いも悪いもあるのは当たり前で
でも、私の肌には合ってそうだから使い続けてみようかなあ、
くらいのスタンスが、スキンケア化粧品に限らず、
価値観としては、ちょうどよいバランスなのかもしれません。

そのくらい
フレキシブルな在り方を
自分の中の意識として持てたほうが
品のある美しい在り方ではないかなあと
「続」として、
ブログを更新してみました。









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posted by Michi at 07:34| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月18日

情報過多の見えない影の落とし穴。

私が今、住んでいる愛知県岡崎市ですが
朝晩と冷え込みは厳しくなり、
冷える日になると0度近く下がります。

朝食とお弁当の準備に熱中して
立ちっぱなしでいますと5分もせず
足先がびりびりとしびれ始めます。

厚手のスリッパを履いていようが、
靴下を履こうが、
今のキッチンは、ガラス1枚隔てたすぐそこが外なので
冷蔵庫と変わらないキッチンの室温。

足先の感覚はほぼありません。
温かいキッチンが待ち遠しいな。

私は、昨年4月まで
4年半沖縄に住んでいましたが
あの時がまるで夢のよう。

ほんと、かじかむなんて、無縁でしたから。

偶然にも昨年、大切な方から頂きました
ホットマット が只今大活躍中で
デスクの椅子の上で、ちょこんと待ちながら
しびれた私の足先を急速保温してくれます。

この瞬間。

はぁ〜、と心からしみじみ幸せに浸る感覚が
私の毎日のささやかなご褒美です。

さて、この時期お決まりの
車に乗ろうとすると、痛い恐怖が。

静電気です。

暗い夜だと、ぴかっと一瞬光りますからね〜
当たり前ですが
沖縄では、1度も起こりませんでした。

痛いったらありゃしない。

顔はかっぴかぴになりますし、
唇ひび割れ、
手の甲なんておばあちゃんみたいだし、
笑うと目の周りに細かいシワが走るし、
いかに乾燥が深刻なのか
嫌というほど実感できるこの時期。

当然、冬のこの時期は
いつも使っているスキンケア化粧品と同じでは
素肌がおっつきません。

多少値がはっても
保湿力がとっても高いアイテムを
えらばざるを得ないと
外気にさらされた素肌が
切実に訴えてくるかのようです。

就寝前にはお顔がべたべたなくらい
たっぷり保湿して、
メイクする前は
美顔器で美容液の浸透をしっかりさせて、
時にはパック。

乾燥の冬の季節は、
いつも以上にお手入れの時間と出費が
どうしても上がってしまいます。

お顔の乾燥保湿ケアの代表格と言えば、
乳液やクリーム。

水分の揮発をラップで止めるような目的を
担う油分の働きを利用しているのですが、
本来、水と油は混ざり合えません。

どれだけ、しゃかしゃか振っても
じきに分離し始めて、混ざることができません。

私は今、
18歳の時に姉のお友達エステティシャンから
おススメされたスキンケア化粧品会社を
今でも愛用しています。

愛用キャリア、24年。

よくもまあ浮気せず、と我ながら
なじめな性格なのですが
悲しいかな、私の素肌は元々、超がつく敏感肌です。

もし、どんなスキンケア化粧品にも
びくともしない強い健やかな素肌だったら、
とってもいい香りがする
一流の有名ブランドのスキンケア化粧品を
買い揃え、輸入ブランドに見とれながら、
どばどば素肌に与えると思います。

だって、容器のオシャレさときたら。
スキンケア化粧品そのものがファッションのようなものですから
ステイタス気分がぐっと高まります。

だから、本当は使いたい。

でも、それをしたら、
私の顔の素肌は、途端にびりびり熱をもって、
薄皮が向け始め、素肌のかゆみが止まらず、
爪で掻いてしまいしまいその傷で素肌がただれた
ひどい有様になってしまうので
悲しいですが、それが出来ません。

なので、浮気したくとも出来ない素肌の事情から
今のスキンケア化粧品の愛用歴24年となっているわけです。

そして、私自身、エステティシャンでありながら
エステサロン側ですので、
私がそのスキンケア化粧品のお客でありながら、
お仕事にも使わせてもらっています。

現在もエステサロンの小売業として
メーカー直で通信販売をさせてもらっているのですが
小売り契約をする前、
メーカーが定めている取扱講習を受講しなければ、
契約出来ない仕組みなんですね。

そのセミナーで
乳化の仕組みを理解するために
簡単な実験をさせてくれました。

これ、誰でも出来ます。

ガラス管、
なければ小さめの
蓋つきのプラスチック容器でも構いません。

3割程度の水と同量のサラダ油を入れます。

そして蓋をして、
しゃかしゃかと振ります。

水と油は混ざりません。
一瞬混ざったかのように見えても、
しばらくすると分離し始めます。

そこに、1割程度の食器洗い洗剤を投入して下さい。
1割もいらないかも。

で、また蓋をして、しゃかしゃか振ります。
瞬く間に、水と油が混ざり合います。

これが、乳化の仕組みです。
水+油+界面活性剤(食器洗い洗剤)= 乳化

素手で、食器洗い洗剤を使いながら
一日3回、食器を洗いを毎日続けますと、
というか、主婦の方はたいていやられていますね。

爪の横の甘皮が爪のように固くなってしまったり、
手の平がゴワゴワしたり、ひどいとあかぎれしたり。

そうならないためには
ゴム手袋をしたり、
もしくは素手でしないように食器洗い機に頼るしか
手を守る方法はありません。

たとえ、まったく同じ界面活性剤でなくとも
類似した成分によって作られた
肌に優しいと歌う食器洗い洗剤を使用しても
油汚れは落ちにくい。

ちょっと極端なたとえになりますが
もし毎日愛用しているスキンケア化粧品の中に
その界面活性剤の成分が含まれていたら?

受講したセミナーでは
1960年代、日本で大きな問題なった女子顔面黒皮症という、
名前だけで鳥肌が立ちそうですが
素肌に有害な成分がスキンケア化粧品に含まれていて、
それを知らずに使用続けたエンドユーザーが
顔中、真っ黒のシミのような色素沈着で
覆い尽くされてしまう症状が
多くの女性に発症。

スキンケア化粧品の社会問題になった例を
挙げていました。

さて、今の時代、
毎日持ち歩いているスマートフォンや
日常的に使用してるPCから
1クリックで欲しい商品が数日後には手元に届く
通信販売の恩恵を誰でも受けられる便利な時代。

でも、そこに
目に見えない影の落とし穴がひそんでいると
私は捉えています。

乾燥から少しでも素肌を守り、
環境や年齢によって不足している栄養や水分を
スキンケア化粧品で補い、
健やかな素肌を維持するためのスキンケア化粧品。

一番の難しさは、
’商品選び’にあります。

素肌の構造は人間ですからみんな同じでも、
素肌は毎日、
何を食べ、何を考え、何をスキンケア化粧品で
補っているかの生活環境の影響を受けながら、
内臓を守る一つの臓器となる皮膚の中で、
新しい細胞が生まれ、細胞分裂し、退化しを繰り返す
新陳代謝によって、
素肌は作られています。

人の顔が皆違うように、
人それぞれその生活環境は違いますので、
肌質は一人一人違います。

それを当たり前の前提として念頭に置いても
1歩外に出なくても家の中で
自然に耳にはいってくる大量の情報の中から
何が自分の素肌に合うスキンケア化粧品なのか
厳選するのは、正直、簡単ではありません。

だから、その厳選の手間を省くために
口コミを見たり、周りの愛用者の声を聞いたり
そのリアルな情報を頼りにしながら
誰しも商品選びをしているのではないでしょうか。

これは、
仕事も、
食も、
ファッションも、
人間関係も
心の在り方や生き方も
変わらず、
何が自分に合っていて合っていないのか、
何が正しくて正しくないのか、
また、さらに新しい情報を得るために、
周りの声に影響を受けながら
日々過ごしています。

情報を提供するプロ。

プロフェッショナルは本来、
その位置へたどり着くまでに
必要な基礎知識、
失敗と成功をリアルを実体験しながら施す現場経験、
その根拠となる資格の取得。

その地道な労力や膨大な時間を
自分の中に積み重ねた結果、
お金という対価を得るプロフェッショナルとして
その立場にいるのは、
国家資格に関わらず、どの業種も同じかと
私は捉えています。

プロとしてお金を頂く以上、
こちらが配信する情報に影響力を持つものだと
理解することは大切なのかもしれません。

だからこそ、より信憑性の高い情報を
提供できるものだと捉えていますが、
必ずそこには「お金」という部分が渦巻いているので
確かな情報なのか、
相手の欲なのか、
そこも絡んでくるので
どれだけ自分なりにその情報を鵜呑みするか、しないのかは
自分の感覚になってくるものかと思っています。

もちろん、固っくるしく考えずに、
合わなければ、やめて、別を選べばいいのさ、も一つの在り方ですが
私なら、自分のお財布からお金を出すなら、
自分が良しとしない情報や物には
1円でも支払うことを惜しんでしまいます。

曲がりなりにも私も、
エステティシャンというプロフェッショナルの立場なので
情報に対する意識を持ちつつ、
仕入れとしてお金を支払っているので、
スキンケア化粧品を買って下さる
クライアントさんの立場と
何ら変わりません。

ただ、もし、こちらが薦めた商品によって
使用した方が何かしらの不調が出てしまったらと思うと
安易に薦められないので、
やはり、ここに、プロとして何を取り扱うのか
厳選する責任が伴っているのかと思っています。

エステティシャンとして
販売側に立ってからも
断固このメーカーにこだわっているのは、
長年愛用しているクライアントさんも
フェイシャルを受けて下さる沢山の素肌が
正直に物語っていて、
コンディションが整っている、
肌トラブルが落ち着いた、
化粧ノリが悪くにくい、というダイレクトな反響や
逆に、
スキンケア化粧品が素肌に合わないという声は
振り返る限り、全体の1割に満たないので、
プロとして、そのメーカー選びに間違いはない
という信用と、
私自身の自信になっているところでもあります。

元をたどれば、
私自身の素肌が極端な敏感肌だったから。

正直、安易に他のスキンケア化粧品を試せないのが
悲しい性ですが
自分の超敏感な素肌が確かなフィルターとして働き、
エステサロンとして
スキンケア化粧品を販売する側にも立てているので
これは幸いとしか言いようがありません。

情報過多の見えない影の落とし穴。
自分を信じるか、第三者を信じるか。

その行く末は、
自分の素肌となって、
ぜんぶ自分の身に降りかかってきます。

その情報の元の元を辿れば、
最終的には人に行きつきます。

情報が多すぎて
自分に何が合っていて、何が合っていないのか
向き合いにくい、見直しにくい
恵まれているようで実は厳しい時代に
私たちは生きているのかもしれませんが
確かな目を自分で養い、見極め、
取捨選択する唯一信用できるのは、
自分なのかもしれません。








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posted by Michi at 06:52| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月17日

真っ白にリセットできたら何を描きたいか。

おはようございます。

只今、朝7時ちょい前です。

ようやく、
周りが明るくなり始めてきました。

先週から早朝5時起きに身体を慣らすため、
20時には就寝し、一気に
おばあになった気分の日々でしたが
昨夜、夫婦の話し合いに熱中し
気が付くと時計の針は23時を指していました。

それから、すぐ布団に入ったのですが
夜中に目が覚めたり
そんな夜を過ごしていましたら、
朝は予定より15分ほど寝坊。汗。

昨夜のカレーの残りを朝食に回せたおかげで
とりあえずお弁当も時間通りに仕上げられ、
主人も予定通りに家を出られ、
何の支障もきたしませんでしたが
パターンが少しずれただけで
自分の決めたルーチンワークがちょこっとぶれ、
一人あたふたしていました。

何事も、一息つけるような
心の余裕は大切ですね。

で、その後のいつもの家事のルーチンワークが
30分ほど押してしまいまして、
ようやく一息ついたわけですが

「一旦、真っ白な状態にリセットしてから見える先。」
に意識を向けたことを
ブログのお題にしてみます。

そのたとえに、
2009年10月頃の私の記憶に
ちょっとタイムスリップ。

昨年、アメーバブログの最終記事でも
中盤あたりで振り返ってみましたが、


自営業として、
提供したいサービスを
自分のお店で提供する開店は
これまで積み重ねてきた実績が功を奏すような
本当にありがたさしかない、一つの形です。

たとえ建物が新築でなくとも、
たとえ居ぬき物件だったしても、
開店する側としては、
真っ新な、真っ白なスタートであることには
違いありません。

自分のお店を持つ。

人様の目に映る形なので
一番の説得力として映りますが、
実は開店へ至るまで、
どのオーナーでもそれぞれの長い道のりを
経ているのだと思います。

私のケースですが
まず開店前に、
どのくらい現実に客数をこなしていて、
その客数から何割の方が開店後も利用するのか冷静に見込みを読んでから、
新天地を、その先どんな目的があって
そのエリアにするのか、選択。

エリアが絞ぼれたら、あとは、物件探し。

初期費用プラス、開店後の3カ月の維持費の余裕を持たせた
蓄え(現金)が手元にどのくらいあるか。

その予算に見合った物件を決め、契約をする。

どうしても、目先の開業という華やかな光に心を奪われ、
オープンすることが目先の目標になってしまい、
とくに開店前のリアルな売上を立てる事は
簡単ではありませんでした。

「開店前に、より現実性の高い計画を自分で立てられなければ、
瞬く間に、絵に描いた餅に変わり、
1年たたずして、計画倒れします。

たとえ開店までこぎつけても、継続することは別問題だと。
頭に叩き込んで、開店に臨んで下さい。」
と、起業してからずっと会計を見てくれていた
顧問会計士の先生に
何度も口を酸っぱくして言われ、
何度も釘を押され、開店にこぎつけました。


確かに、もし、開店したすべての人が成功できるのであれば
みんな大金持ちになっているはずです。

つまり、
開店という真っ新な、真っ白な場所に
自ら立ったからこそ見えた、
南青山店〜渋谷区神宮店〜那覇の隠れ家サロンも含めた
実質実店舗での営業6年間は、
限られた期間ながらも
私自身、開店よりも継続の厳しさを
嫌という程、身をもって経験することができました。

熱い夢や野望を抱き一歩前進しようとする人が
もし開店の相談に目の前に表れたら。

第三者が熱く語ったところで
実体験からでしか何も伝わらないことを念頭に置きながら、
今の私なら、
華やかな光より、影のような現実の話をするだろうな。

無駄かもしれませんが
伝えなければ、何も伝わりませんから。

逆に、伝えないことで働く意識、に触れてみます。

実店舗の南青山店時代、
ホットペッパービューティに掲載したことで
月の新規客数が60名を超え、
その流れが半年以上一気に跳ね上がった頃。

↓実際に掲載した紙媒体で、インターネット広告掲載も連動していました。
17.jpg

広告代理店に勤めるプロの宣伝家のお友達や、
心に訴えるデザインが表現できるプロのデザイナーのお友達によって、
’表参道 小顔’と検索すれば、
当店がトップにヒットする日もあったほど、
集客面では成功したのですが、その結果、
年齢層、美容、様々な目的をもった客層が増えていきまして、
その中でも、中々出会えない
個性的なクライアントさんに出逢うこともありました。

エステのトリートメントに入る前に、
同意を得た上での個人情報や
肌の状態を理解するための生活環境のチェック事項のある
カウンセリングシートという
こちらが準備している表に
クライアントさんには
まず記入してもらうんですね。

もちろん任意ですから
事細かに記入する義務はありません。

しかし、お金を頂く以上、こちらとしては
なるべくクライアントの目的に沿った
フェイシャルサービスを提供したいわけなので
回答がアバウトだと、正直、困ってしまいます。

体調不良を理由に病院へ行けば、
「どこが痛いの?症状はいつからあって、何日続いているの?」
と担当医の質問に、患者が答えるから、
先生はその症状に応じた検診や処置ができるのであって、
「そんなん言わんても、先生の長年の経験で感じ取って、何で悪いのか診てよ。」
という姿勢だったら、
先生は基本的な検診になってしまいますし症状に見合った適切な処置も施せないわけで、
例のクライアントさんは、
カウンセリングシートに名前は苗字だけ、
質問事項も、1つか2つ「レ」点を入れただけのチェックのみ。

残りはほぼ、真っ白のご回答。

直接、質問をすれば
「はい。」「別に。」しか答えてくれません。

上記の紙媒体にも打ったように
’リフトアップ、小顔フェイシャル’
と大々的にサービスを表に出していましたので、
「リフトアップをしたい」
「少しでもすっきり小顔にしたい」
「素肌を綺麗にしたい、乾燥をよくしたい」
という目的から、わざわざサロンを選び、予約を入れて、来店し、お金を支払って下さるのもだと
こちらは理解していますので、
簡単な質問にも答えて頂けなければ
冷静に相手を見極めなければ、
たとえ、ベテランだろうと、心が折れそうになります。

業界でよく言われる、
’あらし’ → お店のあらを探しをして、クレーム事を大きく騒ぎ立て、ストレス解消に充てる人。

か、
勤め先のオーナーか上司に頼まれて競合店のリサーチ目的に来店しているのか。

もしくは、
メンタル的に病んでしまっている方のか。

もしくは、
その人自身も同業で競合店のリサーチ目的に来店しているのか。

いずれか、かと読みました。

それから、
これまで数々の客層と向き合ってきた
エステティシャンの直感を働かせ、
何の信憑性もないということを前提にしまして、
小奇麗な新しい衣装やセンス、
メイク、
どすの効いた発声や滑舌、
歩き方や椅子に座った時の姿勢や
店内や接客をする私に向ける視線を観察し、
おそらく、後者の目的だと察しました。

後は、淡々とサービスを提供し、
所定では歓談の時間を含めた90分を
サービス時間と設定していたのですが
その時間は1分もなかったので
ご来店から70分した時にはサロンの扉を出られていました。

言葉で伝えなくとも
その人の存在が充分語っている部分は確かにあるので、
仕事だからと必要以上に心を折らず、
冷静に相手を見極め、
その後ご来店されるクライアントさんのために、
こちらのポジティブなエネルギーを喪失させない
見えない判断は、
プロとして備わっていてほしい
スキルかもしれません。

言葉で伝えなければ、伝わらない。

逆に、相手の伝えない在り方は、
自分の実体験が直感になって目に見えない形で働き、
相手を読む、
という意識を働かせてくれました。

タイムスリップはここまで。

昨夜、主人と夫婦の話が深くなり、
私たちにとっては
向き合うべき方向性の話だったのですが
途中「結婚前に言ってくれればよかったのに。」
と、手厳しい突っ込みが入りました。

私は、素直に、
「新生活が始まったから気づけたことで、
結婚前に言えなかった、というより、
経験していない前は、そこへ目も向けられなかった。」
と、正直に伝えました。

新しい人との生活を成り立たせるということは
過去の執着からリセットをしながら
新しい習慣を迎い入れる、
ある意味、
お互いが真っ白、真っ新に一旦リセットしながら
新しい方向へ進んでいくものかと思います。

そこから、個々の在り方が
新しく描かれていくものかと。

それ以前に、その芯となる部分がまったく違えば
結婚すら至らないのでは。

私の場合、昨年の5月、
入籍から新生活が始まったことで
一時真っ白に近いほどリセットした私の心の内。

実体験から
少しづつ自分のフィルターを抜けリセット。

これを繰り返す過程を
このブログで整理にあてていて、
未熟ながらにも結果的に定まる軸が、
自分の考えと成り、
自然に言葉に出ているのだと思っています。

「一旦、真っ白にリセットできたら何を描きたいか。」
の前提には、
「自分の中の軸が定まっていなければ、言葉にならない。
言葉にできなければ何も伝えられない。何も描けない。」

自分自身にも、
仕事にも、
人間関係にもたとえられる部分を垣間見たのでした。

先日のブログにも更新しましたが
マンネリ化にならないように
適度なリセットをしながら
家事も生活も仕事も、
楽しむ余裕を持たせながら、送りたいものですね。







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posted by Michi at 06:36| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月16日

マンネリへの警戒心。




おはようございます。

私が今住んでいる愛知県岡崎市は
お正月が明け、ここ数日は
あの底冷えのする寒さが少し和らいでいます。

それだけですいぶん身体が楽なような気がしますが
寒いとどうしても身体がかじかんでしまって、
疲れやすくなりますから。

それでも寒いことには違いないので
夕食の鍋率は自然に高くなるこの冬。

1.jpg

水炊き鍋、湯豆腐、味噌鍋、コチジャン鍋、しゃぶしゃぶ・・・
思い当たる鍋のバリエーションで美味しく鍋を食すため、
時には材料を貧素に、時に豪華にと
自分なりに変化を持たせながら調理に試みるのですが、
それでもやっぱり、続くと鍋に飽きてしまう。

ですから、鍋の次の日は、
鉄板焼き、焼き魚、グリル・・・

いろんな献立でバリエーションをさらに持たせて、
主人の疲れた身体を少しでも癒せるようにと
心がけて作っているのですが、
私が自炊に飽きてしまう。

わがままですみません。汗。
しかし、これがマンネリ、です。

「自炊がマンネリ化してきたので外食に連れて行って下さい。」
と正直に伝えるようにしていまして、
なので、最低でも週に1回はどんなに忙しくても、
夫婦で外食しています。

で、先日は、大衆居酒屋へ。

この日も鍋を選んだのですが
スライスされたお箸で崩れてしまいそうな豚バラを、
甘めのだし汁でしゃぶしゃぶして、
辛味をしっかり抜かれた葱に包んで食す、
という
とってもシンプルの鍋なのに、これが旨い!

それでもさっぱり味に飽きてしまうので、
タンステーキとサーモンの刺身も加えて、
鍋のお豆腐と締めのラーメンも追加注文して、
大満足できました。

2.jpg

この居酒屋は近所で行きやすいということ、
また、この豚しゃぶが大変気に入ってしまい
実は2回目のリピートです。

他店の中には、
いかにも冷凍食品を火にかけただけの分かりやすい惣菜だったり、
出てきた鍋の材料がじゃりっとして、半解凍のまま出されたり、
ホールスタッフの対応が雑すぎる
残念な居酒屋が実際にあるので
いくら低料金設定の大衆居酒屋といえど、
そういうお店には自然と足が向きませんので
実は、そんなに料金は気にしていません。

値がはっても、
味よし、接客よし、安ければ尚ありがたし。
と、行きつけは自然に決まっています。

しかし、それでも何度も通いつめれば、
たとえお気に入りのお店とて
やっぱり、マンネリしてしまう。

なので、いろんなお店を旅するようにしていて、
行かなければよかった、と
はずれを引いてしまう時も正直ありますが
それでも、挑戦しなければ出合えなかった
感動店に出合えることもあるので
なるべくパターン化せず、
これからも挑戦は続けます。

何事もほどほどが大事、
ですね。

これも、
人としての在り方にたとえられるなあと
ぼんやり考えています。

周りを見渡してみますと、
いつも決まったお店、
いつも決まった人やグループ、
いつも決まった何かにとどまり、
新しい挑戦をしない
ワンパターン化した在り方を
断固良し、として
貫いている方を見かけます。

自分の決めた範疇の中でしか
行動をしない在り方。

きっとその理由には、
知り合いの誰それが経営しているから行ってあげよう、という
ある意味、親切心からの選択かと受けて取れますが
飽きないのかなあと、と遠目で眺めています。

私は、幼い頃から、
同じパターンを繰り返すことに飽きてしまう性で
基本的には、ワンパターンが肌に合いません。

落着きがない!と先生や親から怒られた
私の長所と短所が潜んでいるわけですが
特に’人のパターン化’ここには恐さを孕んでいると
警戒心を自分にあてて慣らしています。

なぜなら。

私は18歳の頃、
高校生の頃から仲良くしていた
女子グループに自分もいまして、
自然と決まったたまり場にお友達がいつも大集合して
いつも決まったメンバーで
過ごしていた時期がありました。

集まれば、お決まりのお題。
学校の話、彼氏の話、お友達の話、美容の話。

ちょうど同時期、
私は、アメリカンバイクに魅了され、
中型自動二輪の免許を取得し、
250CCのオートバイを購入し、
隣町の新しいバイク仲間と出逢いました。

いつの日か、
ブログに無理やり登場してもらったお友達も
そのバイク仲間の一人です。


新しいバイク仲間との交流が増えた私は一人、
その女子グループの参加率がぐっと下がり、
ある日その中心のお友達が

「なんで美知は私たちとだけ一緒に居ないの?なんで他のお友達と仲良くするの?私が嫌いなの?」
と、泣いて訴えてきました。

リアルにひくひく泣いておられました。

???

どこまで自分中心で居ないと気が済まないんだろうと
一人思考をグルグルさせまして

「あなたたちもお友達。バイク仲間もお友達。
好きとか嫌いとかそんなんじゃないし、
人の和が広がることって間違いなの?それってへんじゃない?
それって本当のお友達なの?私はくだらんと思う。」

と口走ってしまい
案の定、そのたまり場は
二度と私を受入なくなりました。汗。

おぼろげな記憶ですが
ほぼほぼ事実です。

私は人間関係から
人としての大切な在り方を学んでいくものだと
ぼんやりながらも感じていたので
慣れ親しんで一つの環境にとどまる
一見、心地よいと感じる
安心安全の在り方に
単に性に合わないだけでない、違和感を抱いていました。

心地よい環境。

いつも同じ人との交流ですから
顔ぶれ、考え、生き方、習慣、遊び方の
すべてがパターン化します。

18歳の時、性格の悪さが際立った私は
その女子メンバーから干されましたが、そのおかげで
より図々しく、たくましくなり、
同時に、マンネリは幼稚な思考回路だなあと、
冷静に見つめるきっかけにもなりました。

その在り方は
ずいぶんと大人になった今も変わらないのですが
その女子メンバーはカウントせず、
私はこれまで何度も
慣れた環境に身を置きながら、外を見る、
ということを繰り返し、
中でも引っ越し、新しい環境で過ごす、といった
生活環境の変化を3回ほど経験しました。

特に、沖縄へ引っ越した時(2013年8月〜)は
私が今まで何をしてきて、どんな家族が居て、
何を考えて今の私を築いているのか、
それを事実として知っている人が
ほぼ誰一人もいない環境でした。

新しい出逢いに
「私は過去こんなことをしてきました、これが私です。」
と伝え歩いたところで
信憑性はありませんし、証拠もありません。

そもそも、
見ず知らずの初対面の人から
突然そんなことを言われたら、
「何か売ろうとしてない?」と、
怪しい奴だと相手にされないのがオチです。

なので、私を知ってもらう前に、
沖縄の文化を知る、沖縄の人を知る、
というところから、入っていきました。

これは、
故郷から都内へ引っ越した2004年10月〜時には
強く意識を向けなかったところです。

たぶん、沖縄は
本島にない
独特な文化や過去の悲しい歴史を乗り越えた今がある、
と学んでいたので、
余計にそう思えたのかもしれません。

いつもの安定した慣れた環境から
ぽんと1歩外へ飛び出してみる。

そこには私を知らない人ばかり。

自分を受け入れてくれるか?

保証はありませんし、
助っ人はいません。

不安だし、寂しいし、
孤独という痛みを避けるため、
自然に一人で過ごす時間が増えていきました。

私、1年半くらい
小禄TUTAYAの常連でしたし。笑。

でも、結局一人の時間も飽きてしまうんですよね。

一人の時間に飽きてしまったので
気になっていた近所のスポーツジムへ通い、
行動範囲を広げ、
そこで新しい人たちとの出逢いが始まり・・・
と広がっていったわけですが、
そのたびに感じたこと。

新しい出逢いがあるたび、
自分の在り方は正しいのか、自分自身を見直すきっかけに
なっていたということ。

いつも決まったグループだけで交流していたら、
周りは皆自分を知っているので、
孤独になることはまずないでしょう。

慣れ親しんだ環境にとどまっているかぎり、
安定や安心はずっと保証されますし、
まず、自分の在り方を見直すでしょうか。

ずっと同じ集団でしか属していないと
そばにいる人の悪いところだけが目につくようになってしまい、
やがて、愚痴や悪口を誰から言い始めます。

悪口は陰湿な仲間はずれへと広がり、
その集団の中でボス的な人が立ちをはじめ、
その対象が自分にならないように
怯えて過ごす。

それだけではありません。

新しい挑戦からでしか学べない感覚だけでなく、
痛みに向き合うことで気づける
自分の弱さや至らなさに向き合うきっかけを失い、
心の基礎体力を養えない。

自分を強く成長させる
人生を自分で築いていく、というチャンスをも失い、
偏ったまま、そこから抜けられなくなって、
身動きが取れなくなっていきます。

いつも決まったメンバーが集まれば、お決まりのお題。
学校の話、彼氏の話、お友達の話、美容の話。

これが
私が自分に慣らした警戒心、
ワンパターンの影に潜んでいるマンネリの怖さ、です。

先日のブログの下段あたりで触れた

という考えの理由にもなっています。

私なりの理解ですが、
安定、安全をとことんまでこだっていくと、
心は痛みに対して不安が強くなり、
過敏になっていくのかもしれません。

1歩外へ飛び出したことで起こる
想定外の痛みや恐怖心や孤独を避け、
どこまでも自分を守ろうと走る。

そして、そばにいる人や仲間も
同じ在り方で生きる人たち。

刺激のおかげで抵抗力がついていくはずなのに、
自分を刺激から守る逃げは、
どこまでも自分の甘さを助長させ、
わがまま力をどんどんと強く養っていくのかと。

私はよく思い出すのですが
自分がまだちびの頃、
大好きだった
おままごとや探検ごっこ。

大人から怒られると分かっているのに
キッチンから調理器具をこっそり盗み、
誰にも見られない広い駐車場に石や木材を積み上げて、
火をつけて鍋を温め、
これまた、こっそり盗んだ卵やハムをフライパンで熱し、
お友達とむしゃむしゃ美味しい思いをして帰る。

家に戻ると
当然、めちゃくちゃ怒られました。

包丁でケガをするかもしれないし、
その火が隣の家に飛び火して家事になるかもしれないし、
近所迷惑だし。

その共犯は

なのですが、笑。
本格的なおままごとをよく一緒に楽しんでいました。

大人になった今でも
私たちの話題に上がるほど、
子どもの頃の探求心は、
叱られた思い出もぜんぶ、
生きる大切さを経験から学べたように振り返っています。

相手がKちゃんと分かっていても、
親は、いい子だねえ、と言ってました。笑。

たとえ、私にとって悪友でも、
大人はちゃんと、Kちゃんを
人として見ていたのかもしれません。

そのKちゃんとは、
大人になった今でも仲良しですが
マンネリするまでべったりではなく、
適度な距離をお互い保ちつつ、
良好な関係が築けていると私は思っている
友人の一人です。

でも、もし、
ダメだからと親が頭から押さえつけ
一歩も外に出させなかったら?
考えるだけで鳥肌が立っていきそうですが
その一つに、虐待、という
社会問題の影の部分が潜んでいるのではと
私なりに捉えています。

子どもはまずは目の前の大人、
家族から人としての正しい在り方を教えられ、
自分の経験の中から正しい在り方を咀嚼しながら、
背中を見て体当たりに学んでいく。

そのチャンスを、大人のエゴで奪われてしまったら?

私は専門家ではありませんし、
虐待を語りたいわけでもありませんし、
詳しくは分かりませんが、
40代という若さを失い、乱れた衣類姿のまま、
遠く離れた街まで素足のまま飛び出してしまった
アルコール依存症の家族を目の前で見てきた
私の幼少期を自分なりに振り返るとすれば、
本来、子育てで人としての
正しい在り方を示すべき親が、
子より優先させたい自分のわがままを通さなければ
気が済まない在り方を良しとしてしまったら、
どこかで、自分に向き合わなければ、
子も親とずっと同じ在り方を辿ります。

なぜお友達を大切にするのか。
なぜお友達を傷つけてはいけないのか。
なぜ学校に行かなければいけないのか。
なぜ温かい家で美味しいごはんを食べられているのか。

例え、大人がどんな個性があろうとも
それでも子供なりに
逞しく育っていこうと強く生きようとする若さがありますが
もし親がそれを押さえつけてしまったら・・・

満たされない愛情や
人としての正しい在り方を何かで埋めようと、
自分以外を対象にして、走ります。

痛みを避け、痛みをごまかすために、
満たされない何かを少しでも得たいために、
自分を傷つけ、捧げてまでも
自分を犠牲にしてそれを受けに行こうとする。

痛みを避けて、安定や安心ばかりを求めてしまった先に待っているのは、
自分にどこまでも甘く、我欲ばかりに走り、
一つの執着から身動きが取れなくなった狭い世界が待っています。

私は、それを
人の影の部分の負の連鎖、だと
過去の自分を
冷静に振り返っています。

何を良しとする在り方は
人それぞれかと思います。

だからといって、
集団のせい、親のせい、環境のせいに走るのは
何の解決の糸口でもなく、要は、
その環境から自分が何に気づき、
そしてこれからの自分にどう活かしていくのかが
生きていく上でとても大切なことなのだと
私は強く感じています。

自分の中の負の連鎖が
どこに潜んでいるのか、
まずはそこに心を落ち着かせ、
しっかりと向き合い、静かに見つめる事が
大切なのかと思っています。

まずは、そこからがスタート地点で、
もしそこに目を向けられるようになったら、
自分の中の何が負の連鎖なのか、
冷静に見極め、取捨していく。

そして、どこかのタイミングで
負の連鎖を断ち切り、
人としての正しい在り方という軸を
貫いていく強さを保ち続けることでしか
道はないのかと。

パターン化。
マンネリ化。

行き過ぎた外食は、これまたマンネリ化しますので
定期的に変化を自分に取り入れつつ、
新鮮な風をいつも自分の中に通していくことでしか、
健全な思考、人としての正しい在り方も
美しい在り方も
立てないのかもしれません。

来週は諸事情で
主人について埼玉へ行ってきます。

パターン化したいつもの生活から
新しい風を通し、
主人の邪魔にならないようにおとなしくして、笑、
いつもと違った時間を自分なりに楽しみたいと思います。






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posted by Michi at 08:04| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月15日

嫌々だったのに実はチャンスが隠れていた。

昨年大晦日、ビゼンブログを引っ越しまして、
新たに、ビゼン「新」ブログを始め、
16日が経ちました。

宣伝広告の目的が強かった旧ブログから
私の中の美の在り方の整理とした新ブログ

その方向性は180度、変わりました。

これって、エステのブログだよね?
専業主婦ブログなの?

読まれている中の1人くらいおられそうですが...

エステティシャンが更新しているブログであって、
専業主婦が更新しているブログであって、
どちらも間違いはありませんが
私自身、日々の生活の中で
人としての在り方として
何を大切にしたいのか。

そこに目を向けて
気づけた気持ちの整理に
18年間細々ながらもエステティシャンを続けてこれた
実務経験も頭に置きながら
自分のフィルターを通った美の在り方が
このブログのコンセプトになり、
更新をしております。

この1本の道に、私の中で、
ブレはまったくありません。

心を落ち着かせ、
キーボードで指を動かし始めますと、
自分でも不思議なほど
整理したい気持ちが
湯水のように沸いていきます。

その沸いている思いを
一つ一つ辿るようにキーボードで打ち込む。

まるで、図工で課題作品を
仕上げているような感覚です。

まずは、整理したい大まかなテーマ2つ3つ挙げ、
その関連性を意識しながら、ひたすら打ち込んでいき、
そこで、ブログのタイトルが決まります。
逆の日もあります。

8割がた文章に形になったら、
何度も何度もプレビューで見直し、打ち直す、
という磨きを入れます。

違う、脱線してきた!
違う、それをまとめたいんじゃなくって!

と一人、思考をグルグルさせながら
そして、ボタンを押して、更新しています。

何度もチェックを重ねているはずでも
誤字脱字に気づき、修正を入れる日もあります。汗。

先日更新しました記事を読み返しながら
改めて実感したことがあります。

に付随しますが、
結局私は、
ブログを更新することも、
自炊も好きだからこそ、
続いているんだなあということ。

なぜ自炊が好きか
もっと噛み砕いてみますと、

食べる事が好き!
バランスの摂れた材料選びをすることが楽しい!
1円でも材料費を抑えるどけち精神が性に合っている!
です。

そもそも感情には、誰しも必ず、
源になっている根底があるかと思います。

私の源となっているその根底は、
生活をしっかり支えようとする主人が
心身ともに健全で、
出来ればそんな主人と一緒に、
豊かな生活を送りながら余生を共に送れたら幸いだなあ、
と心から思っていること。

これはあくまで私の勝手な願いですが
これが原動力として根底にあるから、
自炊が好き、
と切り替わっているのかと思っています。

’好きこそ物の上手なれ’

そもそも好きでなければ
仕事も、人も、趣味も、ライフワークも
ぜんぜん続きません。

何をしても3日坊主。

この背景は、自分の感情が
定まっていないということが
たとえられます。

といった内容を
先日のブログのフィニッシュに記せれたら
私の思う綺麗なブログに仕上がったのになあ
と一人反省会をしておりますが
これが今の私のスキルの限界。

身の丈がはっきり見え、
分をわきまえることにも自分なりに出来ているので
私にとっては、この時間があるだけでも、
ありがたさしかありません。

私はブログの更新を
あくまで好きでやっていることで
ここから収入を得ていませんが
仮に仕事に切り替わったときは責任が伴いますね。

私は今、主婦をしながら
エステの自営業と
主人の会社の経理事務から収入を得ているので、
仕事の責任を主婦をしながら全うしています。

好きな仕事で生きている。

エステティシャンの仕事が好きだからこそ
細々ながらも続けることが出来ているわけですが、
経理事務は、今でこそ、公開できますが
実はつい数年前まで、
実務として現場に立っていました。

経理事務のきっかけは、
経理の事務経験を積みたいから飛び込んだのではなく、
ある組織に属していた時、
その組織のトップが人件費をかけたくないために
私しかスタッフがおらず、
あくまで経費削減のために
私がやらせざるを得ない状況に
なぜか追い込まれて無理やりやらされていた、
というのがきっかけでした。

今思えば、滑稽極まりないと世界だったなあと
笑いながら振り返っておりますが
なぜ滑稽なのか。

どの会社も契約している顧問税理士事務所があるかと思います。

その税理士事務所の税理士、もしくはスタッフが
顧問先である経理担当者とのやり取りを直接交わしていくのですが、
つまり当時の私ですが、
経理の業務を担当するわけですから、
必要最小限の知識や実務を積んでいる経験者であることを
顧問先は前提にして向き合ってきます。

税理士事務所は
専門学校でも
ボランティア団体でもありませんので
顧問先の担当者がもし未経験者だった場合、
経験者であれば、支障なくこなされるであろう30分の業務ですら、
相手が素人だと、言葉一つ一つから確認しながら
業務を進めなければなりませんので
かなりの時間のロスが出てしまいます。

私の認識ですが
税理士事務所は、顧問先の会計業務のボリュームから
顧問時間を割り出し、その顧問料として
請求しているかと思いますので
クライアントの担当者が未経験者となれば、
当然、その分時間が増えるので、
1時間5千円では話にならないでしょうか。

税理士事務所が他で契約をしているクライアントは
1社だけではないはずなので、
その1社の経理担当者が未経験者だというだけで、
業務を圧迫していることは、理解に難しくありません。

お金を支払っているんだから、
クライアントが分からないことがあれば
フォローするのが当たり前だろう。

そんなボスでしたので
もう無茶苦茶でした。

あくまで、料金設定に応じた顧問内容であることは
実務経験を積んで1か月かからずして、理解しました。

お金を出す側も
サービスの範囲を意識するのが
当然の礼儀かと思います。

お客様は神様、という考えから一歩先へ進んだ、
仕事を受ける側がクライアントを選ぶ、
という在り方。

そこからずれた在り方だったので
私にとっては滑稽すぎる組織でした。汗。

経理事務募集、但し、経理事務経験3年以上、
もしくは簿記検定3級取得者に限る。

時給〇円

という、事務職の中でも比較的待遇のよい、
高い時給設定になっているというのも
3年以上、実務を積み重ねたからこそ
うなずけます。

経理のけの字もなかったど素人の私が
自ら望んで選択をした業種ならともかく
いつの間にか、勝手に担当業務の兼任を命令され、
逃げられない環境に在りながらも、毎日、毎日、冷や汗をかきながら、
独学で知識を身に着けながら、
泣きながら手探りで
仕事をこなしていきました。

それが2年くらい断ったときです。
ある日、仕事が楽しくなったのです。

会計の仕組みを
自分なりに理解した瞬間です。

会社の会計事務は、
それぞれの会社が契約している
会計ソフトに必須科目や数字を入力し、
会社の収支のバランスを見ていくのが
一般的だと思います。

個人事業主も同様で
そのシンプル版は
家計簿ですね。

何が言いたいかといいますと、
嫌々ながら始まった仕事が、
自分の至らないスキルなのか、
関わっている人なのか、
単純に会社が肌に合わないだけなのか、
どんな理由だろうと、
独学ながらも必要最低限の知識を養いながら、
こつこつと積み重ねていくと、
やがて、仕組みが手に取るように見えてくる瞬間が訪れ、
そこから、面白さに変わる瞬間が訪れる、
ということです。

歴史ある文芸品を作る職人の世界。
この基礎を磨く年月は気が遠くなる作業の繰返しかと例えられますが
これって、どんな業種にも
当てはまりませんでしょうか。

ブログでは公開することができなかった、
一時的にエステティシャンから脱線した経理事務。

それが結果的に
今へと続いていて、
私の収入源に変わり、
自分の身を助けていることは
揺るぎない事実です。

実際、実務を担当した経理事務は3年半で
きっかけは理不尽極まりない理由でしたが
あの経験がなければ、
私のビゼンの確定申告はおろか、
主人の会社の会計すら
触れなかったでしょう。

過去の実績からおおよその習慣を読み、
現状を把握しながら、将来の方向性を理論的に具体的に
話ができたのもあの実務経験があったからこそ。

なければ、会話すら成り立ちません。

本当に辛かった経理事務の実務でしたが、
今では、お金に変えられない
貴重な経験となっています。

ということで、
もし、仮に今、
嫌で嫌で仕方ないストレスばかりの会社に勤めていて、
その理由が、
関わっている人であれ、
業務内容であれ、何であろうと、
せっかくお金を頂いているのなら
自分の人生の糧になる思考でもって
向き合ったほうが
どれだけ自分にとって得なのか、と私は思います。

しかし、自分なりに向き合い、淡々と過ごしているのに、
体調を崩してしまったり、
心を病んでしまったら、
それは度を越えた領域に入ったと思いますので
そういうときは、ためらいもせず、まず、線を引いて身体を休めるなり、
療養すべきかと思います。

そうではなくて、
それ、嫌だから。

仕事なり、人なり、食べものなり、
固定概念でまったくそれに向き合おうともせず、
簡単に線を引く。

こういったスタイルは
単なるわがままで、
私にとっては、逃げ以外の何物でもありません。

一旦は自分の中に取り込み、咀嚼して、
一先ずこつこつとこなしていき、
アレルギー反応にような拒絶反応が出たら、
ちょっとお休みするくらいのゆるさも大切で、

一息入れた時に
「私のリミットはここにしよう。」と心静かに自分と向き合い、
あとは淡々と過ごしながら、そのリミットの域に達したら、
引き際にする。

これが
自分で自分の答えを出す、という
仕組みなのかと理解しています。

逆に、
第三者の在り方を
自分の軸に置き換えてしまいますと
マニュアル通りにこなすことが、
自分で自分の考えを出さない仕組みなのかと。


マニュアルって本当にありがたいもので

・この石は難から守ってくれる。もしそれでも難から守られなかったら、
自分に合っていないので再度作り直しましょう。

・今は、星周りが悪いから動くべきではないのです。
・社会貢献は人として何よりも優先すべき尊いことだとあの偉大な人が実践しているように、
すべてを投げ捨ててでも、それに務めるべきなのです。
・祈りが足りない。だから、叶わないのです。さあ、もっと祈りましょう。

第三者の指示通りに従えばいいんです。

でも、ここには、一瞬は楽ですが、
自分で人生を築いていくという
人としての本来の在り方から、
どんどんと脱線していることが
見えてきませんでしょうか。

私は、昨年夏から、
自分が長らく脱線の道を突き進んでいたことが
ブログの更新を続けてていることで
自分の気持ちが整理され始め、はっきりと見えてきました。

そろそろ、
ブログをフィニッシュしなければ。

とにかく嫌なの!
とにかく許せない!
それは自分の考えと反する!
これは運命だから変えられないんだ!

と、モノ申す前に、
一旦は自分の中に取り込み、
咀嚼してみる。

簡単に拒絶する生き方を、良しとして
過ごすことは一時楽ですが
その生き方を貫いてきた在り方から改め、
向き合った経験者が一言モノ申せるのなら、
楽(ラク)ほど人生損することってありません。

こればかりは、
自分の問題。

拒絶を正しい在り方として貫いている方をお見かけしますと、
遠巻きにして眺めている自分が居ます。

嫌々に打算的にやっていることなのかもしれませんが、
一先ず、こつこつとこなし、
簡単ではないかと思いますが
自分なりに糧にしていくことが出来れば、
想定外なチャンスが隠れていることもある。

私は実体験でこれを学べて
本当に良かったと思っています。

さて、この後、夕食の準備まで
会計処理にどっぷり没頭します。







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posted by Michi at 06:22| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月14日

あえて見ようとすれば待っている好きの先。

おはようございます。

只今、朝の6時半。

私は、昨年5月から
私と主人の分の毎日3食自炊が日常になっていますが
ここへきてお弁当作りの要領が
つかめてきました。

9か月も断っているのに。汗。

と言いますのも、
主人は建設業を営んでおりまして
肉体労働者ですから、お昼時間は真剣勝負。

現場環境は案件毎に異なり、
現場がどでかい工場となれば
作業場から指定された車両駐車場まで遠く、
冬のこの時期であれば
作業場から凍えながらセキュリティがあればそこを通過し、
車に乗り込む。

もし、お弁当を持参していなければ、
わざわざ買い出しに出なくてはならず、外食も同様、
現場が現場だけあって、
移動だけでお昼の半分以上の時間が潰れます。

そもそも現場の方々は早食いなので
実際食している時間は15分もかからなかったとしても、
移動でランチタイムの時間の半分以上がつぶれてしまったら、
身体や目を休める時間がその分少なくなりますので、
疲労を抱えたまま、午後からの作業へと向かうことになります。

仮に、朝、現場へ向かう途中にコンビニで購入し、
車の中に保管し、その場でお昼を取ることも可能ですが、
食べる時は、冷たい。

(コンビニのレンジで温めてもらい、保温ケースに保管すれば、温かく頂くこともできます。)

ということで、冷え込む冬の時期は
保温性のあるお弁当箱にしましょう、となりまして
夏のバージョンとボックスが変わり
私のお弁当作りの要領が若干変わるんです。

なので、11月から新弁当箱が登場してから
私なりに四苦八苦して
ようやく今のスタイルへ落ち着いたというわけです。

どんなことかと言いますと。

1段目は、おかずスペース。
仕切はないので、小分け出来る小物を活用して
メイン+焼き物1品+野菜炒め1品の
計3品目は入れるようにしています。

なにせ限られたスペース。
なるべくバランスの摂れた複数の野菜たちやおかずを
ぎゅーぎゅーに詰め込みたい。

限られたスペースだと思い込んでいたのに
実際は、結構な量がはいるんですよね。

野菜たちによっては、火にかけると水分が出きって、
ちんちくりんに縮むことがあり、
私が計算を間違えた時は、悲しいくらいすかすか。
その日は、主人から苦情がはいりました。笑。

2段目は、お米スペース。
パンパンに詰めれれば、
なんと、どんぶり1杯くらい入ります。
(敢えてこのサイズを購入しています。もっと大きいタイプも売られています。)

お腹空くだろうと調子に乗って詰め込んでいた時があり、
彼のお腹周りがみるみるふくよかになっていったので
そのへんの微調整をしつつ、
お米+手作りかつお梅小さじ1+御酢の物か卵焼きを
いつも詰めています。

3段目は、御汁スペース。
味噌汁、時々、カレーやシチュー、というスタイルが
ほぼほぼの献立です。

この3段を
保温性のあるアルミ製の容器にいれるのですが
アルミ製は、金属なので、手で触ると外気と同じ温度。

朝のキッチン外気は
2度程度なので、容器はきんきんに冷え切っている。

なので、
焼きモノ用の電化製品の上に置きながら
他の料理をしていると、
おかずが出来上がった頃には
その容器がちょうどよい按配で温まってくれているので
それに保管するようにしています。

こうして朝の時間は
私と朝食&お弁当の対戦になっているわけですが
1分でも長く寝たいがために、30分におさめておりまして。

となれば、事前準備がかかせません。
要領が物をいう。

こんな格闘を朝っぱらから
一人でやっていまして、
対戦を無事に終え、後片付けや、翌日の事前準備を終え、
6時半に、ようやく一息つける、という
パターンができつつあります。

「お弁当箱をフロントガラスの辺に置いた俺が悪いんだけど、
それにしても豚バラを使ったおかずは脂が白く固まっていて無残だったよ。
あと、時々登場する、すかすかの野菜炒めは正直悲しいもんがあるけれど
その日をのぞけば、ほぼ満足です。」

今のところ、主人からは
このような反響をもらえているので、
一先ず良しとしています。

これは私の日々の生活の中で
四苦八苦しながら、何を最優先にすべきか、いつも目の前の優先順位と、
お弁当に対する思いの結果、形になったパターンですが、
えらそうなことは何もない、といいますか。

世の中、
自分と子どもたちや、同居している家族の分もきちんとこしらえ、
その後、電車に乗って毎日通勤している主婦の方もおられ、
しかも、食費をシビアにせざるを得ない家族構成がある方もおられると思うと
素直に感服です。

時には、前日の夕食の残りを入れたり、
購入しておいた惣菜を入れたり、
冷凍やレトルト食品をうまく活用するなど
人の数と同じだけ、工夫や在り方があるかと思います。

これを
’好き’という感情にあてはめて考えてみますと
自分が選択しているすべての行動は、
何を好きか、という素直な自分の感情が働いているからこそ、
続いているわけで、逆に
嫌で嫌で仕方なければ、続きません、というか、
そもそも嫌なことは手もつけません。

そこを今日のブログタイトルの
’あえて見ようとすれば待っている好きの先’
と自分なりに考えてみます。

私は、都内永田町である機関のボランティアをしていた時や、
新橋でOLとしてアルバイトをした時や、
那覇で、ある組織に属していた時にも
勤務先の近辺には、
お手頃な料金でバランスの摂れたお弁当が沢山売られており、
よくお世話になっていました。

都内のお昼のお弁当合戦は凄まじいもので
会社が多い、山手線内のお弁当事情は
各エリア事の人種を見事に反映させたお弁当の種類となり、
クオリティはかなり高い、と振り返っています。

12.jpg
↑ 「お弁当屋じゃないから、お弁当は基本受けないから!」
という亭主のコンセプトを図々しく無視して、
たびたびこのブログに登場している私たち夫婦の縁を繋げてくれたお友達が
作ってくれた1000円のお弁当。

沖縄本島の読谷と岡崎市にある’ジャム’という
レストランで修行を積んできた友人で、
おかず1品1品手が込んでいて、中でも
ハンバーグは熟練の味を堪能できます。

私と主人は、そのお友達のバーへよく飲みに行って食しているので
味は知っていますが、
実母は、これで1000円って安くない?というほど感動していました。

時には、
自分の手を休ませるための時間を造ったり、
貴重な情報収集としてプロのお弁当を買ってみると
新しい発見に出あえるもの。

しかし、あくまで、
自炊が基本にあるからこそ活かされることであって、
逆に、自分を最優先にして
自分の寝たい時間を第一優先。
手間を極力避けたい。
お弁当作りに充てる時間を他の時間に使いたい。

この生活スタイルでいると、
お弁当を買っても、ただ、美味しい、としか
感じられず、新しい発見とはならないのではないのかと。

当たり前。
マンネリ。
感動が薄れ、飽きてしまう怖さが
ここにありますね。

私が作るより、
ぜったいに美味しいプロのお弁当。

お世辞抜きに絶品のお弁当だったという記憶の中で、
永田町に並んでいたお弁当たちは
料亭のようなおかずだったなあと今でも印象深いですが
これも、自炊が基本にあるから、
思い起こせるものだと思います。

私は過去に
’すべてをプラスにしか受け止めない’
を徹して、長らく過ごしてきました。

すべてをプラスにしか受け止めない。

凄くないです?
負の感情を持たないないんですよ!
しかし、悲しいことに、ここに私の感情は死んでいます。

仕事のトラブル、
人とのいざこざ、
体調不良、
恋愛関係のもつれ。

こんなことが続けば、さすがに落ち込みます。
しかし、感情が死んでいますので
すべて自分には必要だから起こっている現実であって、
人は人、私は私、だからすべてを肯定的に捉えようと
頭の中できっちり切り替えるように訓練しました。

結果、何を好きで、何が嫌いか、という感情は
基本無くなりました。

魂が無い状態、とも言えましょうか。

実はこれって、
おぞましい’人生の落とし穴’がぱっくり口を開いている状態だと
今では冷静に見ている自分がおります。

なぜ、感情に蓋をすることが
おぞましい、人生の落とし穴なのか。

たとえば、自炊。

要領をつかむまでは、
準備に1時間半かかったところからスタートしています。

時間がかかれば自炊すべてが億劫になっていきますので
何をすれば手間を分散し、時短できるか、
実母や主婦友達に予め聞いて周っています。

おかずは材料を購入したときに冷蔵庫へ入れる前
小分けにして保存しておくと
料理するときは電子機器にかけるだけで完成するから楽だよ。
とか。

材料は前の日に予めカットしておくと早いよ。
とか。

生肉を調味料で漬け込んでおけば、使い切るまで腐らず美味しく食べられるよ。
とか。

葉野菜は、先に火にかけておいて、冷凍して置けば、枯れずに使いきれるよ。
とか。

そうやって収集した情報を
まずは素直にやってみた。

すると、自分のキッチン事情や冷蔵庫の容量から、
できること、できないこと、やりにくいことが見えてきて、
収集した情報から、自分が取り入れやすいやり方が
自分の中で自然に取捨されていった。

あとは、自由なアレンジをミックスして、
毎日、繰り返す積み重ねたことによって、
今のスタイルへと築いていきました。

自炊においてはまだまだ青二才の私成りの解釈としては、
この一連の流れを積み重ねた暁に待っているのが
継続は力なり、なのではと思っています。

なぜなら、前述に登場したお友達のハンバーグは
どれだけ想像を膨らませて、何度手作りで再現してみようにも、
あの舌触り、あの旨みは素人の私には出せません。

仕事一つとっても、人間関係も、健康管理も、恋愛も、
人それぞれ感じ方は違うように
人の数だけ、そのスタイルがあり、
だから、人と違っているのは当然です。

プロはプロ。素人は素人。
しっかり住み分けが成り立っています。

まずは、ここが前提。
しかし。

仕事で失敗ばかり続き、上司に叱られ落ち込んだり、
理不尽な矛盾、滑稽な人間関係にもまれて傷ついたり、
体調不良に陥ったり、
パートナーとの喧嘩で落ち込んだり。

傷つき、落ち込み、自分の中から自信をどんどんと失っていき、
押しつぶされそうなネガティブな負の感情で身動きが取れなくなった時、
人って、痛みを避けるか、痛みと向き合うか。
まず、これを試されます。

真ん中はありません。

仮に、
人から怒られたことがない、
人から褒められたことしかない、
自分が一つの継続によってある程度の地位、名誉、周りからの称賛を得て
力を持つ立場に立ってしまうほど、
痛みと向き合うことが難しくなります。

なぜなら。

人から怒られない行動をしているのは自分です。
人から褒められるような恵まれた環境にあるのは自分です。
その地位にそこまで登りつめたのは、地道な努力の結果です。

だからこそ、
誰かに自分を否定されたら、築いてきたすべての自分の在り方を
真っ向から間違っている!と潰されますから、
当然反発が起こるわけで、冷静に向き合うことが困難になり、

「それはあなたの考えでしょ。私とは世界は違うの。」
と線を引いてしまえば、
多少は不快感はあるでしょうが、
受け流し、痛みを避けることができます。

でも、ここに
人生の落とし穴が口を開いています。

否定されれば落ち込みます。
間違っていると言われれば傷つきます。

悟りを開いた雲の上の尊い方でなければ
これって、誰しも自然に起こる感情かと思うのですが、
痛みを避けてたはずなのに、やはり痛い。

そうなると、人はさらに、
痛みを避けようと藁をもすがる思いで
何かをつかみます。

それが、偉大な人の教えや、
自分が目指す道で成功している人とまったく同じ道を歩むことを正しい道を
自分の指南にしたり、
占いや、依存に走る。

自分の経験値ではない何かを塀にして
自分の前に立ててしまえば、
痛みに触れることなく、
自分を守ることができます。

これが、先日更新した自己啓発
「人は痛みを避け、快楽を得る。」という
逃げの仕組みです。

快楽を得るために、ひたすら痛みを避けてさまよい、
今回だけ、今回だけだからと
軽い気持ちで手を出したドラッグやお酒だったはずなのに
気が付くと、抜けられない状態に陥る。

これをやめられない。という
1つの執着という考えや習慣も同様で
それが買い物だろうと、煙草だろうと、
自分の金銭の範疇を超えてしまい
支払いが回らないのに周りに迷惑をかけ続けているのに
それでも買い物がやめられなくなったら
それも依存だということを理解したときは、
正直、鳥肌が立ちました。

恋愛もそうだったとは。

これも、感情が死んでしまった自然な成り行き、とも捉えられます。
あくまで主軸は自分にあり。
第三者を主軸にしたとき、感情は死んでいくのかもしれません。

もし、自分の主軸が自分にあるのか、
第三者にあるのか確かめたいときに
自問自答できる方法としてたとえてみます。

「あれだけ約束したのに、なぜ、約束をやぶったの!」
「やるって言ったのに、なぜ、できていないの!」

これ、身近で交わされる会話かと思いますが
語り手が自分だろうと、家族だろうと、パートナーだろうと、職場の人だろうと、
この会話は、
自分と人は違っているのが当然、
という前提が欠けていることに
気づけませんでしょうか。

今の私だったら、
こう自問自答しています。

約束を交わしたけれど、約束の概念は人それぞれ。だから
まず約束という相手の在り方を確かめてみよう。
そして、約束をやぶったら、どうなるのか、先の見方をどう捉えているかも
確かめてみよう。

後者も同様です。

もし、
自分を否定する人が目の前にいたとしたら、
私ならこう考えています。

相手の肯定はだろう?逆に私の肯定は?
なぜ今、このタイミングで相手は否定しているのだろう?
私を否定したことで、相手は何を得るのだろう?
このやり取りの先には、何が待っているのだろう?

上からも下からも横からも
中からも、多方面からとことん、考え、
冷静に質問を投げます。

相手が感情的になっていたら、中々、冷静になれませんが、
相手の本質は何かをじっと向き合おうと、痛みと向き合います。

あくまで主軸は自分にあるので、
相手の主軸との相違を確かめるんですね。

しかし、主軸が第三者の受け売りだった場合、
自分の意図しないトラブルには
指南書と脱線するため、相手が悪い、となってしまいます。
だって指南書はこう記しているから。との如くに。

当然と言えば、当然なのですが
第三者の在り方は、あくまで第三者の経験値から見出された在り方であって、
必ずしも自分と同じとは限りませんので、
相手が悪い、としかと捉えられなくなるのは、ある意味、
自然な感情なのかもしれません。

しかし、確実に、
人生の落とし穴にはまり、抜けられなくなっている状態とも
受けて取れます。

誰かに叱れたり、
自分を否定された時、
そこから目を向けず、心を傾けず、無視して痛みを避けるより、
自分の非を受け入れ、認め、痛みと向き合うことは
人生で何より、難しいことだと
これまでの経験からはっきりしました。

それから、
’好きか、嫌いか’
’心地よいか、心地悪いか’
自分の感情に素直に心を傾けようと切り替えたことで
自分自身にも鮮明になりましたし、
私の周りで、人生の落とし穴にはまって動けなくなっている人がとても多いことが
浮いてくるように見えてしまい、実は驚愕としました。

これは私の中の在り方であって、
人それぞれ感じ方が違うように、人の数だけ、そのスタイルがあり、
だから、人と違っているのは当然ですから、
敢えて、口にはしません。

心の中で、余計なお世話ながら、
もっと、楽に生きればいいのに、と遠目で見ています。

結局は、
目の前にある仕事なり、人間関係なり、健康管理なり、恋愛なり、
自分が好きでその道を選んでいるのか、
感情を殺して打算的になっていないのか、
それとも嫌だと感じているのか、
まずは、自分の素直な気持ちが何なのか
自分の中でオープンにすることがとっても大切なのかと思います。

周りを見渡し、「情の深い人だ」と言われる人たちは
主軸は自分の道を貫いて生きている人たちです。

第三者の指南書をそっくりまねることを良しとして
疑わない姿勢は、ある意味、とても真面目な方なのかもしれません。

自分の中に、しっかりこびりついた第三者の固定概念の縛り、
殺してしまった感情。

これを取り除くには、新たな習慣を自分に取り入れ、
毎日少しづつ習慣を変え、淡々と積み重ねていくことでしか解けないんだと
実体験から、私は胸を張って、それは正しい在り方だとお伝えできます。

しかし、どこかのタイミングで、
自分が身動きが取れなくなっていると気づけたほうが
もっと自分らしく、気持ちよく、過ごせるのになあと
感情にしていた蓋を外したからこそ、ようやく、思えるようになりました。
そして、今の私はほんと、気楽に在りますし、
他人との相違は自分の想像を超えますので新しい発見の連続。
いろんな意味で、感動の連続です。

まるでしょっていた鎧をひとつづつ、脱いでいるような感覚と言いますか。

身大の正々堂々とした自分の軸をもった姿がどんなのか分かったことで
自分の道が1本に定まり、
私の考える美の在り方へ
自然に目を向けられるようになりまして、
こうして、ブログを活用して
整理するという今日に至っています。

素直に好き、という感情が
どれほど大切なことなのか。

感情を殺さず、蓋をせず、
好きという気持ちに素直になったらこそ、
何度かこのブログでも紹介していますが
ようやく人生で初めて、
豊かってこういうことかな、
幸せってこういうことかな、
と感じられるようになりました。






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posted by Michi at 06:13| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月13日

ちょっとのブレが大きなずれを生む。

今日は、ポカポカ陽気の三河地区。
本当に気持ちいい〜

おはようございます。

沖縄の暑さ、までにはかなわないものの
太陽が顔を出しているおかげで、
午前中だけですが、私が今デスクにしている場所が
快適になっています。

温かくなるだけで
気分が高まるなあ。

そんなの気持ちの持ち様だよ。

と思っていた時期が私にはありますが、
今は変わりました。

この陽気は自然現象ですが、
仕事も人間関係も結婚生活も
人は必ず周りの影響を大なり小なり受けながら
日々生活しています。

ポカポカ陽気に過ごせるなら
暖房のスイッチをオフにして、
その太陽の光をしっかり部屋に届け、
自然の恩恵をありがたく受ける。

太陽の光が届かず、冷え込むようであれば、
インナーを重ね着したり、
洋服をしっかり着こむなど防寒して、
無理に我慢せずに
暖房のスイッチをオン。

こうやって、
自然現象に合わせ適応する在り方は
人間性としてそっくりたとえるなあと
思っております。

私は精神を鍛えるために寒さに耐えしのぐんだ!
電気代を節約したいから暖房をつけない!
というストイックライフ。

私的には、後者の
どけちライフ性にあっているのですが、
我慢しすぎて体調を崩してしまえば本末転倒。

耐えしのぐ姿は、
どこか痛々しさが漂うし、
度を超えれば、
支障をきたすのは、あくまで自然の流れ。

ただし。

日頃得ている収入の範囲を超えたら、
当然、耐えしのぐことは必要になってきます。

みんなそれぞれ、どの家庭も、
一人暮らしでも、
これに支払って、あれに支払って、
だから電気代は毎月ここまで、
だから美容代はこれだけ、と
何となくでも
それぞれ自分の範疇を決めながら、
生活を送っています。

これが、金銭の節度かと思いますが
先日、考えさせられた番組を観ました。

今、社会問題になっている5080問題。

働かない50歳の我が子を
自分の年金で80歳の親が
生活の面倒を見ている、
という社会問題です。

所謂、子のパラサイト。
50代と言えば、まだまだ現役だと思いますし、
もし、親が他界したら、どう生きていくつもりなのでしょうか?

すべてを見なければ詳細は不透明ですが
おそらく、50代の子はこれまでいろんな仕事に就いたけれど
性に合わない、体調が悪い、とそれなりの理由で定職に就かず、
可哀想な子だからと親が手を差し伸べてしまった結果なのでは、
と遠目で観ています。

実は、私の身内にも
似たようなケースがありまして、
関わった当事者はすでに他界しているので、
ぼかすために一部身内と表現しつつ、
その例にあててみます。

私の祖父は、
若くして傷痍軍人になったため、
人様より多めの年金を得ていて
元気な頃は毎月に1度か2度、多い時はもっと、
日本中を旅行するほど
優雅な生活を送っていました。

その祖父に
「商売を始めるからお金がないので貸して下さい」と
何度か相談にきていた身内がいました。

その身内は、商売に成功したのか、
やがて、豪邸を建てたそうです。

私が中学生に上がったくらいの時、
祖父が他界し、同居している家族で
遺品の整理をしているときに、
実母が金庫で、返金の申し立て書を見つけました。

その額、うん千万。

件の豪邸は、商売の成功ではなく、
どうやら、祖父豪邸だったことが
その金額から明らかになりました。

実母は、冷静でした。

「実は、遺品の片づけをしている時、
誤って、申し立て書を燃やしてしまって。
その時、じいちゃんの件は、じいちゃんの問題だと気づかされた。

あなたたちが産まれてから、
当時、車を買うお金が足りなかったので、一度だけ、
じいちゃんにお金を借りたの。

そしたら、ある人から言われてしまったの。
俺が貸したお金を1円も返さないんだ!
と、いいふらしていたみたいで。

その身内がお金を1円も返さない
とは誰からも一度も、聞いたことがなかったよね。

祖父は本当に裕福だったけど、
やっぱり私(実母)は養女だから
1円でも貸すのが惜しいんだ、と考えを切り替えて、
じきに全額返した。

お金がないことって本当に情けないし、自分がみじめな思いになるだけ。
それ以来、身を切ってでも、出費を抑えるようにじっと我慢して、ひたすら蓄えた。
貧しいって怖いよ。人としての正しい判断を誤るから。
借りる人も間違っているけれど、正直、貸す側も同じ。

だから、たとえ私が
法律上に申し立てる権利があろうと、しない。
それはじいちゃんの問題だから。」
と話してくれました。

やがて、風の噂で流れてきました。

その身内(その母親も)は
他の機関からも多額の借金を抱えていたようで、
豪邸は無くなり、
当の本人は近所のパチンコに出入りし、
早朝自転車で新聞配達をしている姿を見かけた人がいたそうですが
病気で他界。(60代と聞いています。)
参列者の数が少ない、寂しい葬儀だったようです。
その母親の消息は、耳にも入ってきません。

前述したように
人は周りの影響を大なり小なり受けてから、
どう柔軟に合わせるか選択を繰返しています。

その先に明るい未来がまっているのか。
後ろめたいやましい未来がまっているのか。

すべては自分の責任です。

捉え方次第で自分の人生が360度変わる本質を
ここでは訴えようとしている気がしてなりません。

厳しい現実をくぐり抜けきた
実母も、ちょっと偏った部分があり^^。

食べたいものを食べ過ぎたり、
不要なものをとことんため込んだり、
歯医者だけでなく、病院全般大嫌いだったり。

しかし、
生きている環境を糧にして
生き抜いている人からしか語られない
’人としてそれは間違っている。それは正しい。’
という姿勢は、恐いほどに貫いています。

相手が誰だろうとはっきり物言いますし、
間違っていることに対しては相容れることなく、
断固、主張を通します。

その面は、先日更新した中に登場した
とまったく同じタイプ。

自分の母親ながら、
目の前の人を頼らず、甘えず、
不自由な生活にも関わらず不平不満を並べることなく、
他力本願にひねくれず、
環境からしっかりと、今も尚、学び続ける背中は
素直に、人として本当にセンスある人なんだなあと
心から尊敬しています。

それらをふまえ、私は、適度な節約は
誰しもあっていいのではと思っています。

節約するからこそ、
余裕が生まれ、
些細な余裕も積み重なって行けば
大きな余裕になって、
豪華な食事を楽しめたり、
旅行に行けたり、
余暇を楽しめるわけで。

当たり前でないからこそ、
ありがたみを感じられます。

当たり前になってしまうと、
飽きてしまう。

それだけでなく、残念ながら、
小さなことに
満たされなくなってしまうのです。

それはあなたがやって当たり前でしょ。
なんでやってくれないの?
と、欲求不満な道へと堕落です。

その行く末が、
今社会問題になっている5080問題に
置き換えられるのではと
私なりの理解に変えています。

食べていくために、働きなさい。
食べていけないなら、自立しなさい。
自立できないなら、家から出ていきなさい。
人のお金をあてにしてはなりません。

これは、生きていくための
当たり前の在り方だと私は捉えていまして、
番組を見ながら思ったのですが
親御さんはなぜ、正しい在り方を
示すことが出来なかったのと想像すると
とても悲しい社会問題です。

きっと、親御さんが正しい在り方の軸がなかったか、
あってもそれを貫けなかった当然の結果、
とも取れますが
私は、これは他人ごとではない、と受け取っています。

なぜなら、
突然、交通事故にあってしまった。
契約が打ち切られ、職が断たれてしまった。
勤務先の倒産。
健康だと信じていたのに、ある日突然、体調不良で働きたくても働けない。

自分でもどうすることができない
不可抗力というものは
生きていれば、何度でも、訪れることがあります。

避けて通れない道。

それは、自分の中でどんどんと不安として募っていき、
弱さを助長させ、藁をもすがる思いから、
つかんではいけないものをつかんでしまう。

行き過ぎた美容。
行き過ぎた価値観。
そして、依存

すべての面からも
例えられるのではないでしょうか。

私は、これほど、愚かで、これほどに怖い不幸な人生はないと思っていますが
人は弱さと隣合わせだから他人事ではない、ということも
頭に叩き込んでいます。

それが、昨年、更新しました
の背景です。

【※補足※
もしPCで読んで下さっているなら、
文章が長いですのでキーボードの「Ctyl」を押しながら「F」をクリックして、
検索スペースが表示されるので、そこに「負の資産」と入力して見て下さい。
該当部分に飛びます。】



だからこそ、
’人としてそれは間違っている。それは正しい。’
という自分の中がブレさえしなければ、たとえ外野が何と言おうと、
好き、嫌い、良い、悪い、と冷静に選択でき、
豊かな人生を送れるものだと、周りの幸せな人たちを見ていて、
ここに間違いはない、と胸をはって断言できます。

ちょっとのブレは、
いずれ、手がつけられない、大きなずれになっていきますので
何事もほどほどが大切ですね。







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posted by Michi at 07:47| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月12日

美しさの習慣は誰にでも変えられるのかもしれません。


おはようございます。

3連休の一日目がスタートして、
今年成人式を迎える皆さんやそのご親族は
どんな思いで今日過ごされているのでしょうね。

私の甥(姉の子)も、今年、成人式を迎えます。

甥には1つ下の妹がいるのですが
姉は、乳飲み子の甥を大きなお腹を抱えて育児に対し
不安を抱いており、ちょうどその当時、
仕事が定まらずに趣味のスノーボードやサーフィンに没頭していた
22歳の私とタイミングが合い、
ベビーシッターとして姉の家に居候生活を
名古屋市中川区で1年ほど送りました。

1子目が産まれてじきの居候だったので、
甥にとって、もう一人のママ?と映ったのか、
ハイハイできるくらいに成長しましたら、
「みっちゃん、どこ?みっちゃんはどこ!」
との如く、
私の姿が見えなくなった途端、
顔をきょろきょろさせて、
バタバタバタ〜〜〜と、
どこまでもはって、追いかけてきて、
トイレの扉を開けながらいないと、いられないほど。

甥っ子が
家中の床を掃除してくれてるのか?と思うほど
広範囲のハイハイで、とっても微笑ましかった。笑。

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私を追いかけ回していたぷにぷにの
あのべビが、身体だけ大きくなったというか、
ゲームのキャラクターラブ&家に居る時はひたすら寝る、
といった、一見ぬぼーっとした
穏やかな大人へと成長しました。

その甥が、今は名古屋の某大学へ通いながら
将来の就職先を見据え、
学費と自宅で過ごす生活費以外の
大学までの交通費、お昼代、小遣いをアルバイトで自ら稼ぎ、
「自動車学校は今お金ないから行けない。働くようになったら行こうかなあ。」
と、
不平不満は一言も出てこず、
自分の範疇がどこまでなのか冷静に向き合っている姿を
先日の大晦日元旦に集まった際、
家族に見せてくれました。

’学費を親が出し、不自由のない生活を過ごさせてもらうことは
当たり前じゃない。本当に感謝すべき環境。’
と言おうとした
私の叔母さん心は不要だったようで、
主人と、実母と、ちょっと多めのお年玉を
「毎日、頑張って過ごすんだよ。」
と一言添えて渡すと、
いつもと変わらないニヤニヤの笑顔で
元旦に名古屋へ帰っていきました。

一先ず、
身内や、よそ様の懐に頼りきる甘ったれさはなく、
自分が今すべきことは何か、
そして、今目の前にある自分の範疇は
どこまでか冷静に捉え、
毎日を淡々と過ごしている彼を見ていますと、
打算的に大学へ通っていない背中がしっかりと物語っていて、
自分ではどうすることもできない
複雑な親問題が、きっと甥としての
ぶれない人間性の軸となって成長し、
いい子に育ったんだなあと思うと、
感極まりない思いでいっぱいです。

今は引っ越しましたが
甥が5歳から昨年まで、家族は、
名古屋の久屋大通近辺に住まいを構えていました。

久屋大通エリアと言えば、
都内で言う銀座&六本木界隈、
というイメージが近いかもしれません。

’修学旅行にヴィトンのキャリーケースでないとお友達と違い過ぎて恥ずかしい。だから、ママ貸して、って頼まれてさあ。’
と、驚いて姉が話す内容に、私も驚いてしまったほどですが、
しかし、当の本人姪も、甥同様、
アルバイトを2つ掛け持ちながら、
美容学校に通い、来年の卒業から都内へ引っ越すそうです。

生活環境の関係なく
器用にお友達と仲良くしている様が受けて取れ、
身内のひいき目、ではなく、
’いい子に育ったなあ。’と関心しています。

先日更新した
で記しましたように、私自身改めて、
人はすべて習慣から成り立っているんだと
甥と姪を見ながら気づかされました。

習慣は、
自分がどうすることもできない環境と
自分で選択できる環境の
両方の影響から身についているように思います。

先日、実母と食事に行ったのですが
実母:
「干支の猪人形が新年早々からひっくり返っていた!今年は難が続く一年になる〜って、
息子(私の弟)が不安な顔で言い張るの。
もし、あなたの言うように難があるとするならば、新年早々、私(実母)がくじで大当たり引かないでしょ。そんなの勝手な思い込み。つまらん考え捨てなさい。」

弟:
「確かにそうだね。」
と、弟が考えを改めた話をしてくれました。

私は笑ってその話を聞いていたのですが
実は、その干支の猪の人形を倒した真犯人、
私です。汗。

それは、
4段飾りのような台の上に、
小指の先くらいの大きさで陶器で作られた12支を、
一番上の段にはその年の干支を飾って、
他は2段目、3段目に
お雛様のように飾って見て楽しむお飾り物です。

それを元旦、
わざわざ昨年の干支から段を変え、
指定の場所に置いたのですが、
おそらく、その時、猪がひっくり返ったのでしょう。

まったく気が付かず、
こりゃえらいこっちゃ!と、
第一発見者が弟となり、大事になってしまい、
ひっくり返るミニ猪に慌てふためく弟に、
「そんな願掛けで、不幸や災難が絶えないなら、それを都合よく利用して簡単に犯罪が出来ちゃうよ。
猪がひっくり返って、私たちの難をかぶってくれたくらい捉えたらどうよ。」

と伝えても、何も届かず、あれからずっと、
不安にかられていたのでしょうね。

陰と陽とたとえるなら、
私が陰のタイミングで猪をひっくり返し、
母が陽のタイミングでくじの大当たりを引いた
お互いの絶妙なタイミングで、
明らかに実母の血を私も受け継いでいると
実感できた笑い話です。

ここからも受けて取れる、
思い込みもれっきとした習慣です。

マイナスの思い込みは、
なぜマイナスに考えてしまったか自分の心を見てみよう、
胸を張って振り返る私がおりますが
そこへ行きつくまでは、
’思い込み習慣’が、自分の足を引っ張る鳥越苦労となって力を発揮していて、
出来る事なら、マイナスの習慣は隅に置いておこう、と切り替えることが、
とても至難でした。

習慣を変える、に付随したブログは、
で更新した冒頭に記した
シンガポールセミナーです。

そのセミナー主催者は、
ロバートキヨサキ氏です。

金持ち父さん、貧乏父さん
の書籍は大変ベストセラーですね。

実は、そのシンガポールセミナーを知ったきっかけは
キャッシュフローゲームの遊び会でした。

そのゲームは複数人で遊べるのですが、
ゲーム参戦者によって、
無形から有形に変える考えを養うお金の成り方を体感で学べる
著者が発明したモノポリーゲームのようなもの。

日本全国のどこかで誰かが今日も、
「一緒にキャッシュフローゲームやりませんか?参加者募集中です。」
と至る所で交わされていて、
知人がエントリーしたので
それについて行った時の事。

そこに居た参加者が
ジェームススキナーという人が開催している
成功の9ステップセミナーというのがあってね、それが凄いんだ!
というお誘いを知人が受けまして、
「胡散臭さぷんぷんだけど面白そうだから行ってみようか。」となり、
遊び心で、泊りがけのセミナーに参加した際
出逢った方がロバート氏のセミナーを教えてくれた、
という方向へ繋がっていくのですが・・・

触れたついでに、
成功の9ステップを振り返ってみます。

関係者や参加者の方が
このブログをみられたら、激怒されそう。笑。

私の中では時効になっているので、
こんなひねくれ者も世の中いますよ、
ということでちょこっと。

そもそも何を持って、成功なの?という本質は置いておきまして、
自分が目指すべき目標、
「〇年〇月〇日、〇をしていて、〇を得ている。」
それを現実にする成功への自己啓発ノウハウを体感から習得するセミナー
とそれを個人的に捉えておりますが
実際に参加した感想は以下の通り。

結論からの本音を申し上げますと
おー、偉大なる教祖様〜どうかお恵み頂戴、的な
ほぼほぼ参加者の目が、主催者LOVE♡でした。

最終日は、
私がスターと写真を撮るの!
と、氏や関係者との撮影に我先に!と群がるような
バーゲンセールのような空気感は
今でも印象に残っていますが、おぼろげな記憶をもっとたどりますと、
セミナーにはいくつものワークショップが用意されていました。

参加者を6名くらいのチームに組ませ、
課題をこなしていくのですが。

あるシーンは、1脚の椅子の上に一人を直立させまして、
「私は〇年〇月〇日、〇をしていて、〇を得ています!」と
チームの前で、叫ぶ、という内容。

心から思わなければ、叶うはずもなかろう。

あなたの声が魂から叫ばれている声なのか
私たちが確かめてしんぜよう。的な、
魂の叫びかどうか聞いているチーム全員が納得するまで
声が枯れても叫び続ける、というもの。

それって、
「ぼけ〜こら〜怪我するだろ!納期間に合わんぞ!とろとろしとんな!急げ!」
ちょっとお下品ですが
ギラギラした職人現場の仕事に飛び込めば
嫌というほど身に着くのになあ、と嫌々こなしていた記憶があります。

また、恐怖の克服という目的から、
赤くメラメラ燃やされた木炭を敷き詰めた数メートルの上を火渡りする、
というのがありまして。

大勢が手拍子しながら励ます歓声の中で歩き渡るわけですが
のろのろ歩けば間違いなく、誰でもやけどします。

「さくさく歩けばなんてことないさ、ちっとくらいやけどしてもじき治るじゃろ。」
程度に捉え、さくっと歩き終えますと
物凄い抱擁で褒めたたえる観客。

えっと、
指がサクッと切れて血をたらたら流しても
小さな子がおもちゃでケガしてたら
自分の血で真っ赤に染めても、
真っ先に子どもを助けに行くでしょ。

やけどや怪我って、確かに痛いけど、一瞬で、時間が経てば自然に治るわけで、
別に命にかかわることでもない火渡りに何でそこまで一生懸命応援するの?
と、冷めた目で見てしまったり。

また、氏は、参加者と一緒に食事を取り、
調子はどうですか?だったような
声掛けでコミュニケーションを取るのですが、
なぜか、若い女性を狙って、ソフトに、嬉しそう笑みで、
丁寧に声掛けして回っていました。

私にもその番が回ってきてたのですが、
タイプではなかったのか、
私の反応が悪すぎたのが腑に落ちなかったのか、
さて次へ、と他の方へ回られました。笑。

そんな模様を一緒に参加していた知人に話をしたら、
僕声かけられなかったよ、とつまらなそうに言っていたので、
志高いビジョンをお持ちになり、
多くの方を成功に導かれているお方なのでしょうが、
氏のプライベートのお顔を持っているのね、と
垣間見たわけですね。

これはワークショップではないのですが、
同じ環境で、同じ目的を達成していくと
参加者が同志で集団的結束力が芽生えるようで、
仲良くなった方とプライベートなお話へ広がっていったのはいいのですが
なぜか、ネットワークビジネスと新興宗教のお誘いばかり。

私と同世代のアナウンサー?タレント?レベルの可愛らしい外見の方もしかり、
オールブランドを身にまとっている一見美しく見えるご婦人もしかり、
対象組織は様々でしたが、まるで口を揃えたかのように
見事に同じネタを口にしていたので、
それって、ここで人に勧めることか???
と若干残念なカルチャーショックだったり。

もう18年以上も前ですし、
私、ひねくれておりますので、
どうぞ悪しからず。

見方をさらに切り替えますと、
あそこまで大勢の参加者を魅了させ、
中には10回以上のエリート参加者もおられましたし、
手慣れた活動だけでなくセミナーの普及に熱心に取り組まれ、
目をギラギラさせた社員だと思っていたスタッフさんは
8割くらいボランティアスタッフだと知った時は
正直、驚きました。

だって、仕事でもないのに、
自ら率先して、氏のために、
時間と労力を、無償で提供されているんですよ。

ここまで、人の人生を変えるほどの影響力を放ち、
人の行動を変えさせているわけですし、
まさに人間力の賜物。素直に凄いなあと思いました。

私にとって、
日常生活では、本来、すれ違うことがないはずの
信者的になる人の目や、
雰囲気、
その人たちが共通して語る先が何か
リアルに感じ取れたのは、
セミナーに参加したからこそですし、
ロバート氏のセミナーへの参加へと繋がり、
それはそれで貴重な経験だったと捉えています。

そもそも、本当に人様に成功の方法を教えたいなら、
会場費プラス、従業員に支払う給与を考慮した程度の
低料金の料金設定を立てれば、もっと参加しやすいですし、
それでも商売ですから、あとは
あれだけ影響力のある氏ですから
語りをCDRに焼いて、それを物販にすれば、
主催者LOVEの皆様なら何枚もお買い上げ下さり、
充分元は取れるだろうし、
人の輪はどんどん広がり、
本当に志高い事業なら、もっと有名になり、
メディアもほっておかない、とも思えなくもないですが、
所詮、外野の価値観に過ぎません。

私成りに熟読したそれぞれの書籍は
気持ちよく処分させて頂きましたが
これもある種の
新たな自分を築くという’習慣’
に捉えることができます。

もし、自分が良しとしている習慣が、
人としての正しい在り方から歪み、ずれていたら、
何で判断するの?
と私も初めはぼやけていました。

この居る世界がすべて。
この人が言うことがすべてなんだ。
一つの捉われた環境に、席を置く成り、
血眼になり行動力を存分に発揮しているのであれば
選択肢がその世界だけに限られていることになりますので
もしかして私って視野を狭めてない?
と、私はなりました。

確かに、氏は、自らの人間力で多くの人を魅了させ、
悠長な日本語は日本人に素晴らしい口調ですし、
金銭的に豊かな生活を送られる姿は
ご本人の生き方を貫いた結果の成功者であることには
違いありません。

そのノウハウで、
確かに、ご本人は成功されたのでしょうが、
それはあくまでご本人の経験値に過ぎないかと。

ただ、参加した内容のワークショップは
どう考えても
日常の生活の中で経験できることばかりなので
わざわざ人様に教えられなくても、
自分の視点がそこへ向けられさえすれば
今すぐ日常の生活の中から習得できるのでは、と
今では冷静に見ています。

仮にその教えを、
日々の生活の中でリンクさせながら、
じっくり咀嚼して、
自分に合うのか、合わないのか、
自分なりに答えを出す。

これを徹底的に習慣化していければ、
実は、
セミナーに参加しなくとも、言わんとする意図は
本から充分学ぶことが出来ると
私は感じています。

ただ、そこに関わる人が
どんな流れでそこに居るのか、
どんな生活を送られていて、
どんな視点で物事を捉えているのか、
その空気感はそこへ行かなければ、
体感できません。

あくまで独断と偏見ですが
何度もセミナーに参加したり、
参加者同士でつるんで氏をあがめるようなことをしたり、
ボランティアを自ら買って出る前のも
その人の在り方には変わりないのですが、
私なら、
自分の人生を豊かにしてくれる
目の前の人との関係をじっくり温め、
目の前の生活を大切にしたり、
時間と労力を費やすことを
人生の第一優先にしているので
正直、周りに構っている余裕が
今はありません。

きっと、参加者の皆さんは、
私とは別の世界の
時間的、金銭的にゆとりある
とても恵まれた環境を過ごされている方々の
集まりだったのかなあと捉えますと、
何度も参加されている方や、
熱心なボランティアスタッフの気持ちは
分からなくもないような。

良い習慣
悪い習慣

自分にとって何が良くて、何が悪いのか、
その習慣がどちらなのか、
正直、自分自身でしか判断できません。

願掛け、願い事もある種の習慣で、私も先日年が明け、
初詣に主人と行きましたが

2年くらい前までは、
「資産が〇円になるまで、何でもします。〇年にはこんな生活を送っていて、〇円手にしています。」
と、自営業から学んだ自己啓発の教えを素直に取り入れ、
神道の2泊3日の初学に飛び込み、
神棚を購入し、
毎日毎日、祈り、願いを込め、
初詣でも、ひたすら願掛けしていました。

しかし、
それが身の丈を超えた浅はかな目標で、
等身大の自分が何なのかさえ分からず、
結局叶えられないまま14年が経ちました。

私の願いが浅いのでしょうか。
信仰する先が違っているのでしょうか。

「願って祈って。この御守りを買って。この考えさえあれば。この氏さえ崇めば、
人生は豊かになり、幸せへと導かれます。
その境地にまだたどりつけないのであれば、まだ祈りが足りません。さあ、祈りなさい。
それで願い事が叶うなら、世の中皆幸せだし、皆、お金持ちだし、戦争もなければ、
世の中平和だよねえ。」
と先日話していた実母の話は、
まさに的を得ていると
経験から痛いほど学ぶことができました。

一旦、リセットしてから
自分の心が素直に感じる聡明な方の考えを私の中の正しい在り方の軸に仮に立て、
過去の経験とリンクさせながら、自分なりに咀嚼して、
これからを築くよう切り替えまして、
今は、初詣や神社参拝で、願い事はしません。

自分が幸せになりたい我欲のために、祈りません。

御守りは買いませんし、
神道の初学で習得した祝詞をあげたり、
祈りを捧げることも
一切しない変わりに、
私は人として正しい在り方で
人生を送れているだろうか。また、
今、自分の命を絶っても、後悔しない生き方に
心を傾けているだろうか。

もし、私の人生でこれから災難や大問題が起こっても、
そこから冷静に学びに変え、
何が正しい在り方か改め、
自分で自分の答えを出して、
これからの人生に活かします。

今日も、こうして、
心ある家族や友人が居て、
温かい環境でご飯を食べれていることが
どれだけ有難いことなのか、感謝しかありません。

こうして頭を切り替えました。

正直なところ、切り替えざるを得ない、
避けられない環境があるのでそうなっているのですが
そこは端折り、
私の目の前の課題となりました。

もし、私が今の現実から抜け出し、
新規でエステサロンを店舗を借りて
商いを再スタートしたら?それも一つの選択肢です。

しかし敢えて、今は、選びません。

前述の’一歩踏み込んだ先に’
に更新しましたように、
もし再び開業してしまったら、
すでに身の丈を超えてしまい、
実は、今までの選択と何も変わらないということ。

これまで痛いほどの経験を積んできたはずなのに、
一度も目を向けられなかった
’人としての正しい在り方’に、初めて重きを置いた途端、

まず、静かに向き合いブログを更新する環境を与えられ、
これまで音信不通だった心ある方々との連絡や再会が続き、
会うたびに喧嘩ばかりしていた実母との関係は良好になり、
いろんな視点から周りを捉えられるようになりました。

これは私にとって、
とても、大きな前進です。

周りがどう思っているのか気になって落ち着かず、
他人との比較でしか自分を図れない習慣を身に着けてしまいますと
心は卑屈になっていきます。

小さなことでくよくよする
上品な美しさからは、どんどんとかけ離れてしまい、
ひどいと、戻れなくなってしまいます。

美しさの習慣は、
まずは自分自身を見つめることからでしか
始まらない、そう思えてなりません。





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posted by Michi at 09:28| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月11日

正々堂々とした姿って?



おはようございます。

ここ数日、ほっと心温ったまる
友人とのしばらくぶりの連絡から
リアルな予定が入っていきまして
目先の楽しみがまた増え、
とってもワクワク。

近所に住んでいるのに
趣味と育児に奮闘中で中々会えないけれど
趣味に誘ってくれたり、
小学校の恩師に会いに行こうと提案してくれたり
昔から人としての配慮や気配りが
しっかり出来る温かい友人の一人で
近々お食事へ行く予定です。


私の離婚仲介に
買って出てくれた友人夫婦が登場しましたが
あれから、その友人夫婦とは
年賀状たった1枚のやり取りにも関わらず、
再婚おめでとう、
とわざわざ連絡をよこしてくれて、
先日、LINEをスピーカーにして
募る話で大盛りあがりしました。

今はご家族で石垣島へ移住し、
夏に新居が建つ予定ということで
主人の紹介をかねて、再会予定です。


久しぶりの再会から
改めて感じることができたのは
私は正々堂々と生きるんだ、と決めて
本当に良かったということ。

そのきっかけの一つ、
昨年8月に出逢って、
沖縄と愛知の遠距離恋愛で
月3日しか会えなかった主人と、
定期的にやり取りを交わした
SNSの一字一句に心を傾けて
相手の生き方や人間性を自分なりに感じ取り、
10月からお付き合いが始まりましたが、
その時言われたのが、

「僕には嘘をつかないでほしい。」
でした。

私には、
自分のために手間をかけさせてしまったり、
良からぬ心配をかけさせてしまうくらいなら嘘をつく、
といった相手の顔色をうかがう癖がありました。

夜遅くまで続いた長電話からお風呂に入るタイミングがなく、
「コンビニへ行きたいので一旦電話を切るね」とか。

買いだし帰りの運転中に電話が取れず、
「仕事中だったから電話が取れなかった」とか。

体調不良で咳が止まらないのに、
「気管支が強くないから咳が出る。不調ではないよ」とか。

通話中に聞き取れない内容を、
「うんうん、そうなんだね」と、軽く流したり。

自分の考えと違う内容に対し、
「そうなんだね。」と自分の考えを伝えなかったり。

小さな嘘くらい悪いことでも何でもない
という考えの根本で、まさに、
悪気のない嘘常習犯。

人って、面白いほど
気持ちよいほど覇気のある語りや、
それは人として間違ってるでしょ、それは正しいよ、と
相手に通じるような配慮で
淡々と論理だって、
心地よいトークのキャッチボールが出来る方や

逆に、
何を聞いてもどもる、覇気がない、
妙に早口にまくしたてたり、
相手の発言を遮るように踏み込んだり、
あの人がこういう考えだから間違いないんだよ、
と誰かの受け売りには、選挙の演説のように
これでもかと大きな声で主張したり、

受け取れない変化球を投げてくると言いますか、
絡めば絡むほど話の論点がずれ、
こちらは笑って流すしかなくなるトークのキャッチボールが
まったく出来ない方もおられます。

自分がそうだったので、
胸を張って更新しているのですが
小さな嘘や、
後ろめたさを背負っている以上、
後者のような習慣が
自然と身についていったのではないのかなあと
振り返っています。

自分の考えを持たない。
自分の考えを伝えない。
自分の考えと真逆なことを言われたら、一瞬で壁を立て、
笑って、うんうん、としか返さない。

自分を気持ちよくほめてくれる会話には、
瞬時に反応し、途端にへりくだる。

相手が、今どんな気持ちで、この言葉を使い、
私との会話に務めているのか。

そこにはまったく意識が働かず、
自分の言葉で、自分の考えを伝える努力を怠る生き方へと
流れていました。

それが結果的に、
正々堂々からかけ離れた、自信のない姿として
見事に顔を出していたのかなあと。

次元の低いたとえになりますが
良からぬ(浮気)相手とコンタクトを取っているわけでもなければ、
自分のキャパを超えた散財で派手な生活をしているわけでもなければ、
むしろ、
コミュニケーションを円滑にするために小さな嘘は必要な配慮だ、
と捉えていました。

主人とお付き合いを始めたことによって、
嘘をつかない人生に向き合いました。

そんな話を実母としていましたら
「嘘は嘘。小さな嘘は周りを巻き込み、
嘘を嘘で固めなければならなくなって、
全ての歯車を狂わせてしまう。
小さな嘘だと侮らず、やめなさい。」

嘘をつかないことに向き合うと、まず
生きていく上でその習慣が
必要か?必要でないか?
その習慣がなければ生きていけないの?

と考えまして、次に、

そのまま続けていけば、
身体や心、人間関係のどこかの不調をきたさないか。

不平不満がいつも隣り合わせか。

いざこざが絶えない日々になりそうなのか。

という影の部分に
視点を向けました

心の中のどこかで感じている、
良くないのかもしれない、といった感覚です。

自分の正直な思いを探っていきますと
先日のブログにも付随しますが、


’〜なければならない’という執着が
自分の中にへばりつくようにこびりついていき、
結果的に
正々堂々とはかけ離れた姿や
人としての軸のないずれた在り方へ
偏ったんだろうと
捉えることができました。

恋愛の別れ、離婚、過食拒食、薬、考え、宗教、自己啓発、性生活、禁煙、禁酒、買い物・・・

やめたいのにやめられない、という弱い考えや
それを失ったら生きていけなくなるんだろうかという不安の
依存、と言われる対象が
それらに当たるでしょうか。

仮に、
これまでの自分の在り方は間違っていたから
改めてみよう。

と、向き合あったとします。

物事の始まりはすべてはここからかと
思いますが、
たとえ、’よし、改めてみよう’と
気持ちを切り替えても、
元々の習慣をぴたり止めることは
自分自身を含め、
周りを見渡しても
99%、出来ている人を
私は見たことがありません。

先日分かった、たまたま1%が
Sさんでした。

ある日突然ヘビースモーカーだった人が
突然ぱたり煙草を吸わなくなった。

奥さんが、大事がありました、と
熱く語ってくれました。

健康診断で警告がでたり、
身体の不調はきたしていなかったようなので
「Sくんに何かが降りてきたのかねえ。」
と奥さんとくすくす笑い話になりましたが、
稀にみるケースです。

断ち切れない心理は
今こそ、はっきり理解していますが
とてもシンプル。

断ち切る本質を見ていない、または、
自分なりの理由がない、
もしくは、
断ち切る理由そのものがぶれている。

誰かのために、
我が子のために、
お金のために、
と自分以外に向いたスタンスは
もし対象の相手が自分の前から姿を消したり、
手持ちの全てがなくなり、
元に戻るのと同じで、
動機が自分の中に向いていないと不純すぎて、
軽くぶれます。

ここを軸にしている限り、
何も変わりませんし、
断ち切れません。

なぜ、今までそれを必要としてきたのか。
なぜ、それを断ち切る必要があるのか
その習慣を断ち切らなかったら、誰に迷惑をかけ、
何か不自由なことが起こらないだろうか。
その習慣を断ち切ってから、自分はどうなりたいか、
どう生きたいか。

断ち切るときって、
自分の中へ中へと入りこみ、
これをただひたすら、毎日、淡々と、
このことだけに静かに向き合い、
時に誰かの意見を聞いたり、
時に何かの参考資料に目を通したり、
地味な自分との向き合いの日々です。

そして、答え合わせは時に潤滑油になります。

自分が断ち切ろうとしている習慣を断ち切った人、
もしくは、この方の生き方は素晴らしい!と
心が素直に感じる方と話したとき、
自分が会話のキャッチボールが
気持ちよく出来たか?

私は、これを
定期的に行う
自分自身の答え合わせにしています。

私の独断と偏見ですが、
正々堂々とした姿はこんな人。

過去のこだわりにはあっさりしていて、
こだわりの大小に関わらず、
過去の習慣を脱ぎ捨て、
新しい考え、在り方を
自分の中に静かに取り入れる
柔軟性に富んでいる。

会話のキャッチボールが見事なまで楽しい。

カメレオンのように相手に合わせるのではなく、
物事を表裏、光影、白黒グレーの調和、
いろんな方向からとことん見つめ、考え倒しながら、
相手の意見を心から聴き、心を汲み、
自分の言葉で語る。

相手の立場、職業、文化、国籍、年齢を選ばない。

ただし。
人としての在り方が一本の筋で、
人として何が正しくて、何が間違っているか、という
向き合い方に関しては、怖いほどにシビア。

だけど、
見ず知らずの人の中の土俵には
ずかずか入らないし、人として、礼儀正しい。

です。

こういう人を目の前にしますと
正々堂々といる姿がどういう在り方か教えられますし、
固っくるしく考えずに、
理由なく、話していてとても心地いい。

ばか騒ぎした、楽しさにはない、
質のよい心地よさ。

これに尽きます。

昨年出逢った主人の一言は
これまで私が良し、としてきた習慣を
見つめ直すきっかけとなり、
小さな嘘は必要のない習慣だと
自分の中で線を引きまして、
習慣を変えようと今、取り組んでいます。

先日LINE通話で盛り上がったSご夫妻は
当時から正々堂々さを貫かれている方々で、

「みっちゃん、それは人として間違ってるよ。なぜなら・・・」
という在り方だったので、
正直、後ろめたい選択を自分をしている時は、
何か聞かれても正直に答えられなかった。

だから、ぜったいに会えない、
敢えて、会わなかった人たちです。

あの時、わざわざ、私のために時間を割いてくれ、
わざわざ伝えてくれた
人としての優しさや気持ちが、どれほどだったのか、
今になり、ようやく、痛いほどに伝わっています。

「みっちゃんが元気そうな姿が声からしっかり伝わってくるよ。幸せそうで良かったよ!石垣に遊びにおいで!」
と言ってくれた一言が、
私にとっては重みのあることで、
答え合わせが
出来たかのような時間でした。

無駄な物が一切ない
一輪の花が活けられた床の間の空間は
すべてがバランスよく調和されて
とても美しさを感じます。

正々堂々とした姿も同じで、
ごちゃごちゃした飾りや説明は
必要ないのでしょう。

人としての美しい在り方があるからこそ、
内側からキラキラと輝き放っていて
自分の中の毎日の淡々と向き合う積み重ねでしか
成り立たず、正せず、
磨かれないものかもしれません。

Kちゃん、S夫妻との予定が
楽しみです。





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posted by Michi at 07:11| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月10日

人生のダイアリーをどう美しく描きたいか



ちょっとばかり出遅れましたが
注文していた本年度版クオバディス手帳レフィルが
ようやく手元に届きました^^

3.jpg
おはようございます。

ところでスケジュール管理は
端末派ですか?手書き手帳派ですか?

私の周り世代30代〜50代を見渡してみますと
1人1台に等しいほど
スマートフォンを所有していて
端末カレンダーにスケジュールを打ち込む姿は
見慣れた光景となりました。

ちなみに私は、ずいぶん前ですが
端末のみでスケジュールを管理していた時があり、
過去に何度か、自分の乱暴な扱いで故障させてしまった端末によって
大事なスケジュールを大破させました。

今でこそ、フリーのブラウザを経由して、
PCとスマートフォンが連動し、端末破損しても影響はありませんが
当時はそんな知識がなく、壊れてしまったら即アウト。

ならば、端末プラス手書き手帳のダブル管理にしたら完璧でしょ、と
試みたこともあります。

ひとまず入力してから、後で手書き。

思い返すと今でも冷や汗がでてきますが、
ついうっかり、未記入がでてしまい、
ダブルブッキング。

大変ご迷惑をおかけしてしまった経験ですが
手書き手帳のみの記録が私の性にもっとも合っていると
はっきりしてから、
何種の手書き手帳を渡り歩いた後、
クオバディスとの出逢い から今日に至っております。

ちなみに、クオバディスはフランス製。

生産性を高めたライフスタイルを
ご自身で求めるダイアリーにたどり着くまで追求した、
とあるドクターの発明によって発売されてから60年以上、
ほぼ変わらないままの手帳だとか。

クオバディスで長らく落ち着いている個人的理由は
こんなかんじです。

・1週間のダイアリーページのすべてのページに
小さく3カ月分のカレンダーが表示されていることや
タスクとして書き込める電話、メール、メモ欄2か所が1週間ごとにあること

・1日ごとの第一タスクを書き込める小さい欄があること

・1時間刻みのラインの中に30分の表示がそっと添えられていること

・見開きで、小スペースの手書き欄のある1年分カレンダー、また、
メモは取れないけれど3年分のカレンダー、また、
西暦から干支が一目で分かるような参考資料や世界地図があること

・気持ち大き目のサイズや、1枚1枚の厚みのおかげで中々破れにくい

・すべてのページの下段端には三角でミシン目があけられていて、
そのページのかどっちょを破れば、一瞬で、今を引き出せること

・手書きが小さくなるけれど、頑張れば2名分の管理が可能

クオバディスの回し者でもないのに
つらつら並べてみましたが
ざっくり、愛用歴10年者の私が語る
お気に入り理由から、
唯一気になる点を挙げるとしたら、

手帳のカバーとレフィルを足した重量は
女性の私には気持ち重く感じ、
バックに入れると若干かさばる。

しかし、見方によっては、大きいからこそ、
バックの中からすぐ取り出せているので
なので、難点というより、
今のところ不自由はありません。

そして、何より、
一度も紛失したことがありません。
当たり前ですね。あせあせ(飛び散る汗)

あと。
あくまで個人的好みですが
カバーカラーの色目が、とても品がいい。

昨年まで那覇に住んでいた4年ほど
沖縄コンベンションビューローが販売している
琉球手帳に切り替えた時期を除けば、
たどり着いた私のスケジュール管理は、
上記の冊子で手書き、というスタイルです。

というご紹介から、
ファッションも、美容も、
考え方や、生き方も、
人間関係も、仕事も、
何に重きを置くかは、
生活習慣だったり、仕事環境の中で
何度も何度も、痛い思いを繰り返しながら、
試行錯誤したからこそ、今につながっているように、
始めは、第三者の勧めがきっかけだったとしても
自分に合うか、合わないかは、
ひとまず自分の中で咀嚼してみて、
答えを出しています。

この在り方に、
私自身、常々人生の在り方として重きを置いていますが
自分で自分の答えを導く、という
生きていく上でとても重要な習慣が
自然に身についているように実感しています。

世間様が端末のスケジュール管理をしているから、
私もそうするの!

私の尊敬する人がそうしているから私もそうするの!

それも、それぞれの在り方なので
あり、だと思います。

そのスケジュール管理が
勤め先の指示であれば、当然、
従う義務が生じますが、
あくまで個人の選択肢の中で、
痛い思いをしているはずなのに、
痛みに蓋をして失敗から何も学ぼうとせず、
自分ではない誰の勧めを断固貫いていたら、
私はきっと、約束を平気で破る
ダブルブッキング常習犯になっていたことでしょう。

その節は、ご迷惑おかけした皆様、
本当に申し訳ありません。

周りの勧めを鵜呑みにした習慣は、
捉え方をすこしずらしてみますと、
自分で自分の答えを導く、
という在り方を見事に飛び越えたたとえになって
いないでしょうか。

いやいや、それは性格でしょ。
人って、譲れない頑固さがあるのも色でしょ。

確かに、良い面として捉えられるのかもしれませんが、
やはり、1つのことに執着し続ける偏った固定概念で、
もちろん、誰にも迷惑をかけず、
いつも穏やかな日々を過ごせているのなら、
それが何よりの証と捉えられますが
あくまで冷静になり、客観視してみますと、
1つのことに執着が強い人ほど、
これだけはぜったいに譲れない、というスタイルがある人ほど
こんな傾向が強いかと見えます。

思い通りにいかないこと、
自分にとって都合の悪い急所をつかれると、
まるで親から叱られた子どものように、
笑ってごまかしたり、
卑屈になってしまったり、
泣きわめいたり、
どなり散したり、
発狂する。

執着って、
自分で自分の経験を通じた方向性ではなく、
第三者の言葉を鵜呑みにした
コピーロボットと如く貫く姿のようで
1つのことから抜けられない悲惨さをはらんでいるのかと。

ここまで胸を張って更新できるのは
正直、自分にその時期があったからです。

ここに冷静に目を向けられるようになった時、
本当に情けなくなり、悶々とした時期を送っていました。


自分のネガティブな癖に目に向けることは
本当に簡単なことではありませんが
どれだけ自分自身を客観的に冷静に見つめられるか、
自己成長の絶好のチャンスだと
振り返えるように変わった自分が居ます。

一つのことに執着するあまり
人としての柔軟性を失い、
身の丈を超えた等身大からかけ離れてしまい、
がんじがらめになっている姿は
自分の人生を美しく磨けるチャンスを
自らが奪ってしまっているように
私には思えてなりません。

先日、
とブログを更新しましたように
時間管理がなぜ一つのことに執着した姿につながるのか
繋がりを捉えにくければ、
なぜ今日も、温かい快適な室内で、
御飯が食べれているのだろうか。

そこへ視点を向けると
理解しやすいでしょうか。

いつ、何を、何のために、それをするのか。

学校時代は時間割表が、
それを定めてくれていました。

学校規則と時間割表に従えば、
一日は、眠くても、嫌々でも、過ぎますし、
毎日出校しなくても、小学生までは、一先ず卒業はできます。

会社員になれば、
それぞれの部署に時間割表があり、
就業規則に従いながら、
与えられた担当業務をこなし日々過ごせば、
よほど同僚や会社に迷惑をかけなければ、
食うに困らない給料を得られます。

今、自分がすべきことは何か。

その最優順位を人目で分かるため、
時間割表、つまり、時間管理が必要になってくるのであって、
それぞれの規則も含め、
自由自在に設定できるのが
自営業や専業主婦、です。

法律や、暗黙の人としての礼儀やマナーも
組織や人の集団の中で
あくまで周りに迷惑をかけないために
定められているもので、
これらが基盤にあるからこそ、
快適に過ごさせてもらっている、という前提にある
自営業や専業主婦。

で更新したのですが、
正直、稼ぎ頭の夫が仕事へ一歩外出してしまったら、
夫が帰宅するまで、
自宅には自分だけ、もしくは、自分と子どもだけです。

育児には、子の成長に合わせる時期がありますが、
それでも、親がだらけようと思えば、どこまでもだらけられる。

ところが、
人の姿は嘘をつけない、
と言いますか、だらけてしまうと、とんでもない事態へと
進みます。

ちょっとのだらけは、だらけ癖となり、ルーズさへと頭角を現し、
外出したとき、世間様にそのルーズさをさらします。

ぜったいに隠せない
言葉の節々、行動になって。

時間(お金、お買い物)
人様へのマナー
食や嗜好
男女関係(人間関係)

あの人ってだらしないよね〜
ルーズな人よね〜
と、笑い話にされるのがオチで、
言い方は悪いですが、
下品な姿をどれだけさらしだしても、
世間様は第三者なので、
わざわざ喧嘩売るようなことをしてきません。

やんわりと、
もしくは、口にしないのがほとんど。

でも、まれに、私の友人に居るように、
人情味あふれる、人間たらし、の方が
「ルーズ過ぎない?気をつけたほうがいいよ。」
と言ってくれる方がいれば、
それはとても恵まれている環境であって、
その時、はっと気づかせてくれます。

それを言ってくれた人の心配りに親身になり、
その言葉の本意をどこまで理解しようか心を傾けられれば、
自分の成長に変えるチャンスに活きるだろうし、

大げさに考えすぎでしょ。

と、真剣に捉えず、自分自身と向き合わず、
さらりと流すこともできますので、
こればかりは、自分次第。

これが私だから宜しくね。

という人生を貫きたければ、正直、
耳が痛くなるような世間様の忠告を
スルーしてしまえばいいわけで、
これほど、楽なことはありません。

そして、心配しなくても、
耳が痛くなるような心地悪いことを言う人は
あちらから勝手に去ってくれます。

それも、その人次第なので
自由なのですが、
人としての柔軟性を失い、
ルーズ極まりない人と出逢いますと、
あくまで個人的ですが、
当たらず触らずコミュニケーションは取りながら
心の中で、静かに線を引いています。

専業主婦の時間管理って、
まさに、生活習慣の先にある人生の縮図だよなあと、
恥ずかしながらルーズな癖が自分自身にもあったからこそ、
気づくわけですが、だから恐い!

なぜって、その自分自身を、
夫も子供もご近所さんも、ちゃんと、見ていますから。

相手が、どうのこうのではなく、
自分でしか、自分の環境は正せません。

生活環境を築くという
重要任務を遂行しているのは主婦、ですから、
その責任は重大。

というのは、あくまで私の考え。

親しき中にも礼儀あり、ですから、
いろんな方々がおられますので、
どんなお人柄だろうと、
自然にコミュニケーションを取り、
気になることがあっても敢えて、触れず、
自分の身を正す、
今日の生活を正す、と半面教師に
変えるようにしています。

ここに気づかせてくれたのは、
これまで私に深い愛情でもって
厳しく接してくれた方々や経験のほかならず、
私の大切な方がもしルーズ常習犯で、
人としての正しい在り方からずれていたら、
自分を殺してまで、
一定期間は、厳しく伝えるようにしています。

かなり、骨折りますが。

私は、自分の失態で
厳しくも筋の通った道を示して下さった心ある人たちは
何も語られず、
いつの間にか、私の前から消えていきました。

今でこそ理解できていますが、
これ以上何を言ってもだめだ、とあきられ
線を引かれたまでの当然の結果。

私は、自分自身にルーズ面があることには変わりないので、
そこが顔出さないように注意しているからこそ、
相手の言葉や、行動のどこにルーズさを潜めているか
透けるように見えてしまいます。

人が入れ替わろうと、
人の出逢いは縁だから。

確かに、そうなのですが、
何かとルーズな人と深い縁を自分が築く限り、
必ず、避けては通れない
何かしらの手がかかります。

そこから、いろんなことを学ぶ機会になることは間違いないのですが、
少なくとも、自分自身は
ルーズな人間では、いたくありません。

時間管理が、
人としての正しい在り方を
身をもって教えてくれる
何よりも身近なツールとして活せたほうが
どれだけ豊かな人生、
徳の在る人生へと広がっていくのではないかと、
私なりに理解しています。

私は、
エステティシャンでありながら、
専業主婦の時間が多くなった今、
この「新・ビゼンブログ」で自分自身の気持ちの整理を
与えられたプレゼントだと置き換えていまして、
自分のライフワークの時間割表に入れました。

自分自身のために。

そのおかげで、
自分の感情に素直に向き合えるようになり、
私って幸せだなあ、
豊かな人生ってこういうことだよなあ、
と、じんわり温かく実感できています。

なので、キーボードを打てる限り、心身ともに健康な限り、
このブログは、ずっと続けようと思っています。

正直、今死んでも何も後悔はない。笑。

私は、今、幸せです。

自分が心から純粋に語ることが出来れば、
それが何よりの等身大の自分の姿です。

周りを見渡してみまして、
美しいなあと思える方って、
誰かの受け売りや、コピーロボットのような発言でもなく、
心から実感されている気持ちが自然に言葉になっていて、
嘘や偽り、陰りをまったく感じさせないところから
人って嘘がつけないなあと教えられます。

美しさって、花のように
見た人の心を一瞬でも穏やかにしてくれるので
どうせ一度きりの人生。

私は、美しい生き方を送られている方との時間を
大切にしたいなあと思うのが
正直な気持ちです。

そう考えますと、
クオバディスを使用して10年、
緩やかでも、私の人生の生産性は高まっていると
捉えらえています。





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posted by Michi at 07:24| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月09日

早起きはなにかを研ぎ澄ます

1月の朝5時。

夜が明ける前、朝とは思えない暗さでも
1時間くらいすると向こうの空が美しく色づき始め、
朝日が顔を出します。

周りがまだ寝静まったこの静かな空気感、好きだなあ。

早起きで思い返す、私は2011年から1年半、
東京新橋で会社員をしていたアルバイト時代。


そこは100名以上の社員が毎日通勤していて、
中には2時間以上かけて通勤される方も珍しくありませんでした。

自宅を出てから、
最寄り駅まで家族の送迎なり公共交通機関のバスなりを使って向かい→
その駅から何回か電車を乗り継ぎ会社最寄り駅で下車→
会社の最寄り駅から会社まで徒歩10分。

プラス、万が一遅延や乗り継ぎ間違い、
途中私用の買いだしへ寄ったり時間を30分余分にとると。

通勤の大変さを少しでも経験したいと思い、
同じ会社に勤める友人宅に宿泊し、
翌日、同じように通勤させてもらったことがあるのですが
通勤だけで一仕事こなしたかのような、かなりのエネルギー消耗でした。

これを毎日、何年も積み重ねている人から語られる
「1時間の通勤時間?たいしたことないでしょ」
という気持ちは、少なからずうなずけました。

通勤に公共交通機関を利用し、
30分以上の移動時間を
経験したことがなかった田舎者の私には、
それを毎日積み重ねている社員の皆さんが
別世界の住人に思えてしまったほど
当たり前なのかもしれませんが、
とても関心したものです。

なので、朝5時起きは、
まったく大したことがない起床時間ですが
私の場合、主人が自営なので
仕事内容によって異なる時間に合わせられる生活のおかげで
早起きを楽しめている自分が居ます。

もし私が、
何でこんな朝早く起きなきゃならないの?と、
苦痛で仕方なければ、
これほどつまらない人生って
ないよなあと思えてなりません。

笑って今日を過ごすのも
不機嫌で今日を過ごすのも
同じ一日に変わりない。
せっかくの人生、
今日を笑って過ごしたほうが幸せだよね。

さいきん実母が口癖のように私に話すのですが、
まさにその通りだと身に染みています。

自分でエステサロンを営んでいた
表参道青山店、那覇隠れ家エステサロンでは
開店を10時にしていました。

当時、通勤に時間をかけるくらいなら
その時間も仕事に充てたい、と、
恥ずかしながらストイックすぎるほど偏った時代があり、
なので自宅は職場から徒歩で通える場所を選んでいました。

移動時間が10分以内となると、
どれだけじっくり身支度に時間をかけたとしても
8時に起床しても何の支障をきたさない生活。

不満より、むしろ満足の域。
と言いたいのですがどうしてか、
当たり前の生活からかけ離れていないか…
と、何となく違和感を持っていました。

なので、身体が自然にそちらの方向へ動き、
早朝の清々しい空気を身体で感じようとしていまして。

私なりの早起き6時に、
表参道に住んでいる頃は、外苑前の銀杏並木や明治神宮へ散歩、
那覇に住んでいる頃は、那覇スタジアムへ散歩。

当時の自分を振り返りながら
つくづく思ったのは、
自分の違和感、生活の違和感、人間関係の違和感、土地の違和感、
こうした何となくでも自分が反応するセンサーって
人は誰しも身体に持ち合わせていて、
それを感じると
何かしらの違和感がある時は、
朝の澄み切った空気を感じたくなるのでしょうか。

余談ですが、
「私にはときめきセンサーが働かないの。」
と本人的には真剣に悩んでいる
恋愛の上手い例えをした友人がいましたが
これも自分の中の違和感が、ある意味、
しっかり働いている証なのでしょうね。笑。

ある人がおっしゃっていたのですが

自分の中で起こる違和感は
毎日の生活の中でしか
研ぎ澄ますことができないと言っても
過言ではありません。

刑務所が囚人に規則的な生活をさせ、自分自身を見つめさせるのは分かりやすい例で、
生活が乱れはじめると、
人としての道からどんどん外れていきます。

そして、大なり小なりありますが、
自分のずれ(人としての道の外れ)に気づいていない人を含め、
9割以上の人が道を踏み違えていて、
これが、世の常でもあります。

人としての在り方を正す時、
人に尋ねたり、勉強したり、祈ったり、外に向けることは浅はかで、
大切なことは、まずは目の前の生活を正すことです。

というような内容だったかと
私成りに理解しています。

生活?ってそんな大それたことなの!
と考え違いをしそうですが…

改めてこれを自分なりに咀嚼しますと
生活とは、生きていくために必要な衣食住を維持すること。
その糧となる仕事や、仕事をするための時間管理。

資本となる心身を保つためのバランスの摂れた食事。

住まいを快適に過ごすための掃除、整理整頓。

これが生活で、毎日の積み重ねあり、
死ぬまで毎日続きますので、
より快適に過ごすためにその生活の創意工夫は大切で、
そんな事を考えたり、
行動に移していくと、
一日では足りないほどです。

しかし、この生活は、
自分のわがままを第一優先にさえすれば
簡単に乱せます。

長続きしない仕事、だらだらに過ごす時間。
食べたり食べなかったり、
自分の好きなものしか食しない乱れた食事。
面倒だから、必要ないから、誰かがするから、
生きていけないわけではないし、と
自己都合から掃除をしない。

めんどくさい。
私にはやるべき他の事がある。
身体がしんどいから、あなたやって。

確かに、身体が不調な時はすべてをストップさせ、
身体を休めることが大切です。

どうしても身体の不調が続くようであれば
専門家に見てもらうべきで、
ひどければ入院も必要です。

ようは、
やるべき生活を蔑ろにしてまで我欲を満たす何かを優先するために
生活に支障をきたしていることを良しとする姿勢が
そもそも人として乱れはじめている、と気づくこと。

借金は分かりやすい例ですね。
何かを得たいがために手持ちが足りないから、
どこから援助を受ける。
これは、大変な乱れの例ですが
どんなことにも影響を与えているように思えてなりません。

実は、
昨年まで私は沖縄県民だったのですが
一時、沖縄の子ども貧困対策のお仕事に
就いたことがあります。

生活保護を受給する人たちの中で、
補助金が対象者の口座に規則通り振り込まれても、
親の我欲の為に1円残らず消えます。

酷いと、子に身を捧げさせて、
悪そぶることなく骨の髄までその甘い汁を吸う
吸血鬼のような親もいると聞いています。

私が業務の相談をしていた役所の係の方が
受給対象者の自宅訪問をするのですが、
足場のないほど掃除の行き届いていない室内に、
昼近くても真っ暗な部屋の中、係が呼びかけても起きないし、
お腹が空けば、ぱじゃまのままコンビニへ、お菓子や惣菜で胃を満たす。
学校へは行かず、近所を徘徊し、同じような生活を送る仲間で集まり、
したいことだけをする毎日。

当たり前の生活が何か知らずに育った子ども、その親族もしかり、
見事なまでに、生活が乱れていました。

でも、彼らも生きています。

極端かもしれませんが、
ここから気づかされる点って
ありませんでしょうか。

わざわざ教わるまでもない
当たり前の生活。

今日、食べていけているわけだし問題ないでしょ、

確かに間違いはありませんが、
本当にそれだけでいいのでしょうか。

改めて、自分の過去、今、そして、
私の周りに居る人まで視野を広げてみますと
はっと気づかされるものがありました。

口を開けば不平不満ばかり、
何か問題が起これば原因は私にもあると捉えられず必ず責任転嫁、
これが私だからと開き直りを貫く姿勢だったり、
これをいわゆる、ネガティブな人、と例えられるのかと思いますが
そういった方の生活をのぞいてみますと、
自分のわがままから生活の何かを蔑ろにしていている
という共通点が浮き彫りになってきます。

逆に、
自分の弱さを素直に認め、どう改めるか自分自身の内へ意識が向き、
何か問題が起これば自分に非がないか立ち位置を冷静に見直したり、
自分は世間に社会の中で生かされているという謙虚な姿勢だったり、
こういう方って、やはり、無理のない規則さを持っている。

生活が乱れるから人の道がそれるのか、
人の道がそれるから生活が乱れるのか、
どちらが先でも、人って面白くも二極化しているなあと
自分自身を静かに振り返えるきっかけになっています。

生活の乱れから
人への違和感へずらしてみますと。

すべてではありませんが一部の方から漂う、
とげとげしさというか、
与えられて当たり前、おだてられて当たり前という雰囲気、
世界は自分中心で回っていますと信じきるある意味過剰な思い込みと言いますか、
私はあなたとは違います、というような
とっつきにくい違和感を感じずにはいられない人を見かけますが
たとえどんなに外見整った方であろうと、そうでなかろうと、
その人をみて心から美しい方だ、
と生意気ながら私から感じることはありませんし、
仕事ならともかく、
プライベートで一緒に居たくないなあというのが素直な気持ち。

逆に、
人への自然な気配り、
適度な距離感で接してくれる配慮、
威圧感を与えない装いからは品格すら漂わせ、
美しい華があるようなオーラを持つ方だなあ、と自然に感じますし、
一緒に居ると心地良さすらあり、
また会いたい、となります。

そういった方からは、
違和感の’い’の字も感じさせません。

たまたま、主人のお友達のお母様に
私の感じる美しいと思う品のある方がおられまして。

数回、ご一緒させて頂き、バーベキューに同席させてもらった時は、
ご本人が穏やかだけでなく、
隣におられる旦那さんの接し方も穏やかで、
その旦那さんも同様の穏やかさで、
初対面の私たち夫婦に
快くおもてなしをして下さいました。

すでに現役を引退されているご年齢ですが
仕事が好きだからと、週に数回は元の現場に出られていたり、
家族や周りの方にちょっとでも喜んでもらうと
毎朝、毎夕、畑仕事に出られています。

一度、主人の仕事に同行し、
ご自宅へお伺いしたことがあるのですが
家の中は整理整頓された室内で、
太陽の光がしっかり差込み、
玄関には、わざわざ私たちに持たせようとしている
手作りのお野菜まで準備されていました。

人としての穏やかさとは何なのか、
分かりやすく教えてくださった心地よい方々なのですが
これって、年齢も立場も国籍も文化も資産もまったく関係なく、
女性だけでなく、男性もしかりで、
日々の生活から築かれるその方の人間力と言いますか、
人間的魅力がそのままその人に現れているようでした。

そういう方って、周りにおられませんか?
一緒にいると、こちらまで穏やかな気分になっていける人。

人様に感じる違和感って、
なんかおかしいぞ!と自分の奥の底から自然に湧き出る
動物的感覚みたいなもので、
たとえ、周りの人が
あの人って素晴らしいの、とか、
〇社のトップだから、とか、
こんな実績がある志高い人なのよ、っていう個人の声は
ほどほどに聞き入れ、
自分自身の心が自然に感じる動物的感覚を第一に信用すれば
よほどのことがなければ
人間関係は円滑にできるのでは
ないでしょうか。

だって、第三者の声は
あくまで第三者の価値観であって、
違和感だったり、素敵だなあと感じるのは
自分の素直な感覚ですから。

もちろん、違和感はとても大切な
生きていく上で欠かせない感覚ですし、
その違和感がなければ様々な方向へ目を向けられないので
断固線を引く、と避けて通ってしまっては
これもまた、人として、ちょっとずれてしまいますね。

えっと、相手から殺気立った身の危険を感じたり、
将来、起こるであろう方向性を予測したことを回避する、
といった意味の線引きは
断固引くことは、時として必要だと思っています。

ではなくて、相容れない、という意味合いです。

仕事はあくまで仕事ですから、
お金を頂く以上プロとしての責任は
まっとうすることは然るべき対応ですが、
プライベートは、自分の時間です。

違和感に蓋をしながら
表面的なお付き合いを良しとするのか、
違和感を感じさせない方とのお付き合いを大切に築いていくのか、
さあどうしようかと
考えられるきっかけには
なるのではないでしょうか。

私も、世間様から
そう見られていますし。

つまりは、人である以上、
心が弱り、自分自身がぶれ、悶々としてしまう時に限って、
心の隙が出来てしまい、
ぜんぶどうでもよくなってしまうような、
生活を蔑ろにし、乱れ、人の道から外れていく可能性は
誰しも持っている。

だからこそ、ずべこべ言い訳を考えず、
まずは自分自身の生活を正し、人間力を日々養うこと。

生活を正せば、
自ずと、人としての在り方も正されていき、
これが一生続く。

ということを
自分の中の前提に置いてみまして。

私今、ちょっと乱れてるかも、
今、自分自身に違和感があるかも、
私、不平不満しか感じられなくなっているかも、
と感じた時、もしくは感じられない時も
早起きして、
30分でもテレビのスイッチはオフにして。

静かに自分自身の環境をじっと見直す時間を
生活の中に取り入れることは
人としてのバランスを保つために大切なのかもしれない、
と私なりの理解となりました。

私はこれからしばらく続く、朝5時起きを
いつも以上に自分を見つめる時間に
充てようかと思います。







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posted by Michi at 09:01| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月08日

見方を変えたら大成功な半熟卵

先日7日から
年始を送られている方もおられるでしょうか。

過去の記事にも紹介していますが
私は昨年夏から仮住まいにしている建物の真ん前が大通りで
朝7時〜8時台は、豊田市方面への出勤ラッシュで一時大渋滞。

大渋滞にはまった車両のエンジン音を感じながら
個人的に世間の波にのった感覚にひたっておりますが
今日からしばらく、主人の朝出時間が大渋滞を避けた6時発になるため、
私の5時起きが、本日よりスタート。

大渋滞の時間まで、もう少しあります。

おはようございます。
この静かな空間でブログを更新します。

先日は、昨年から計画していたことをスタートしたわけですが、
そこが9時からのオープンで、
予約せずに行ってしまい、案内が12時とのことなので
ずっと行きたかった’すがきや’へ行ってきました。

’すがきや’をご存知ない方のために少し紹介しますと、
ここは地元民がこよなく愛する三河地区の至る所にあるチェーンのラーメン店です。

チャーシュー1枚、メンマ、葱、だけが乗った
べたなラーメン一杯は、320円。

高級なカップラーメンに匹敵する破格のお値段で、
どこで利益出してるの?と、ありがたくある反面、気になってしまう設定で、
高級デパートというより、
地域密着したショッピングモール内のフードコートにテナントを構えられ、
品のある落ち着いたというわけではなく、地元民で活気ある席の中、
食べて、即帰る、という女性でも抵抗なく行けるラーメン店。

私だけでしょうかね。汗。

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1.jpg


お値段がお値段だけあって安っぽい味でしょ?
ということは決してなく、
甘旨いスープの味と言いますか、
舌がやけどしそうなほどしっかり湯通しされた小麦麺の旨さと
スープがまじりあった、いい按配と言いますか、
とにかくほっこりできる美味しさ。

私の味覚が間違っていなければ、
幼い頃から食してきた’すがきや’の味から
ずっと変っていません。

そこに、お店の断固たるこだわりを感じずにはいられないのですが、
あっさりラーメンがお好きな方には個人的におススメですので
三河地区へお越しの際はぜひご賞味あれ。

さて、本題です。

実母が作りこんでくれた味噌煮の御汁を利用して、
味玉にチャレンジ!と、
ゆで卵をホットプレートで作ったのですが
見事に、イメージから逸れたゆで卵ができたの巻。

一見すると失敗なのですが
見方を変えたら大成功、
というお題です。

ところで、ゆで卵を半熟に仕上げたご経験ありますでしょうか。

一定時間茹でた卵を冷水につけますと、
黄みまでしっかり火が通ったゆで卵であれば殻の内側にある薄皮ごと、つるっと、
ほぼ無傷の状態で、
美しいゆで卵を仕上げることができます。

半熟は、
殻のすぐ隣にある薄皮に白身がくっついていて、
その薄皮を指先でなんとか探し当て、ちょっとでもはがせれば、
その隙間に冷水が染みわたり、剥けやすくなるはずなのです。

ところが、半熟すぎると
薄皮と白身が頑固なまでにひっつきあい、中々剥がれず、
とにかく、半熟のゆで卵の殻剥きにめちゃくちゃ手間がかかります。

一回り小さいゆで卵でよければ、
白身ごとぶ厚くはがしてしまい、手抜きをできないわけではありませんが、
何せ、半茹で。

油断すると黄みがあふれ出し、
ゆで卵は見事に大破します。

だから、イライラをじっとこらえ、
ちょっとづつ丁寧に、むきむき。

私の技量では、どれだけ時間をかけても美しく仕上げることは不可能で、
かなりいびつな仕上がりになるのですが
黄みが滴るくらいの半茹だからこそ、御汁に漬け込むと旨みの吸収が深く、
もう少し時間をこめれるなら、それはもう絶品なお味に。

この過程って、まさに
’捉え方’と言いますか、
’心の癖’と言いますか、
人としての在り方に置き換えられるなあと思いながら、
たかがゆで卵ごとき・・・とはならず、手元に没頭しました。

私の実母のように殻を剥くことに断念して殻ごと御汁につけることもできるだろうし、
卵ごと捨ててしまうこともできますし、
再度火にかけしっかり茹でることもできるだろうし、
でも、敢えて、手間を選びました。

なぜ、手間を選んだかといいますと。

なぜなら、お腹を空かせた半熟卵大好きな主人が
今か今かと待ちわびているから。

相手はお腹を空かしているので何も時間をかけ、
待たせる必要も、義理もありません。

このときは時間のしばりがなかったので
半熟の美味しさを知っているが故に、
敢えて、私だけの手間を惜しまず、貫きました。

で、例の柔らかい卵をお箸で割り、
中から出てきた美しい黄みをみた主人は、まさに、期待通りの満面の笑みでした。

さいきんですが
「あなたは偏りすぎ。物事を極端に考えすぎでは。」
と、たびたび主人に言われます。

私も、かつて、理解していると思い込み、理解できていなかった
「今、自分がしたい第一優先は、状況を読みながらも、自分で決める。」
という生き方にとことん向き合うようになったら、
主人曰く、極論で考える癖がついていました。

’偶然ではなく必然’
’産まれたときからのこの環境は捨てれない’
’自分を犠牲にしてまでも相手を活かす’

極端な例えですが、一見すると美しい考え方にうつりますでしょうか。

私自身、これを正しい在り方だと信じ、
疑わなかった時期がありました。

しかし、
今は、鵜呑みにできない自分がいます。

再三になりますが、
昨年の夏頃から
私自身の価値観ががらり音を立てるように変わりました。

自分の弱み、心の隙、癖を冷静に見つめざる得ない状況がきまして、
自分で自分の人生を選択する、という軸が通ってから、(自分なりの理解です)

’すべて自分の選択で物事を進めていて、自分の選択が結果的に、今に続いている。’
’産まれたときの過去は変えられないけれど、今の環境は自分で選択し、自分で築ける。’
’自分を見つめ、生きることに一生懸命に向き合うと正直、第三者に構っていられない。’

という前提から背景がうつっている、というところに
重きを置くようになりました。

こうなると、物の見方だけでなく、
耳に入ってくるすべての情報が変わります。

私の周りに
こんな方がおられまして。

その方は、ご自身が心の響いた、記事なり、事柄を見つけては、
それをわざわざ切り取って貼り付け、
これが大切なんですぞよ!
と、その方が思う大切な方々に伝え歩かれていて、
その行為を尊敬の眼差しで集まる人もいるほどで。

それを目の前で見ていた私は、
どうしても、腑に落ちないことがありまして。

その事柄を得るために、その方、自分のお金をびた一文も払わないんです。

お出かけ前なのか一生懸命、メイクをされているのですが
自分のすぐ目の前に落ちている黒い塊の埃が目にはいらないのか、拾いもしない。
ところが、その方が大切に思う方がそばによると、なぜか、よいしょって拾われる。

私はそのお方と、
何度か、ぶつかざる得ない状況に陥ったのですが


ずっと笑顔で、
相手を否定しないように、
嫌われないように、
波風はぜったいにたてず、
私は誰も嫌いませんよ、
否定もしないし肯定もしませんから、
とは、言い顔が私には出来ず、
呼吸が合わせられませんでした。

なぜなら。

失礼ながら、私が腑に落ちないことがあり、
私なりにへりくだってお伝えすると、
どうしてか、取り乱して、大声を張り上げるんです。

こちらが冷静になればなるほど、
何を荒く扱われたり、
それがあなたの運命だからね、運命を伝えるのはまだ早いかしら、と軽く鼻で笑われたり、
私のやっていることは志が高いことで、
あなたとは生きる世界が違いますし、
あの人がこういう生き方を送っているから間違いないんですよ。

この一点張りで、
自分の経験値や、自分の人生観を語られることはありませんでした。

相手の言葉を一旦咀嚼して、
深く自分自答してみるのですが、
自分の心を折ってしても、
「それって人としての道から外れている」
という器の小さい私ですら、この結論に達しました。

本気で人と向き合う時って、人って、こんな姿勢を見せるかなあと思うと、
ますます違和感が募り、
私は自分の主張をどこまでも曲げることができませんでした。

私の人生、もし自由に選ばさせてもらえるなら、
正直、人様に嫌われるような、憎まれそうな、
政治家じゃあるまいし、わざわざしませんし、
喧嘩などといった低俗な行為は本当にさけたいですし、
どこまでも穏やかに過ごしたいものです。

でも、
せざる得ない状況になってしまった。

コピペ人生って、地位や立場、関係なく、その取り巻きもまったく同じで
あれ、できない。
これ、したくない。
ここ痛いから私はしない。
と、地味なことや、手間なことほどやりたがらず、
必ず、現実逃避され、冷静さから、逃げられるんですよね。

逆に、
経験値から本質を見出し、
生き方を貫いている世界の方と深く深く向き合うと、
過去は変えられないわけで、要はこれから自分がどう生きたい、であって、
過去からどう学び今に活かすことが重要で、
目の前のことを淡々とこなし、
結果的に、未来の自分に続いているのであって、
大切なのは他の誰でもない、自分の足元なんだよ、と
どんどん、穏やかな会話になっていきますし、
むしろ新しい発見だわ、といって手間なことを楽しまれるんですよね。

この違いって・・・

人を特定してしまうので
すべてを赤裸々には公開できませんが
私はその方々のお陰で、
人としての在り方を深く、深く、考え、
向き合うようになりました。

経験値から本質を見出し、生き方を貫くのもその人の人生、
コピペをすることが我が人生として送るのもその人の人生、
要は、
目の前にいる人が
どんな人生を歩まれているか見極める目を
自分がどれだけ養い、
相手との関係性をどう保っていきたいか自分で決める、
という考えに、至りました。

避けられない状況は出来れば近寄りたくないものですが
そこから気づけることは
お金を出しても、何を読んでも得られないことだと思うと
捨てたもんじゃないですし、
極端すぎますが、そういうことが都度起こってくれるからこそ、
人としてのバランスは整っていくのでしょうかね。

大げさでも何でもなく、そこへたどりついた時に私の心はとても穏やかでした。

こういう人たちも世の中当たり前にいて、
シャットダウンできない時もあるんだなあという理解に切り替えまして、

その件以来、例の方々とは
相手との領域には絶対に入らないと決め、
当たらず触らず、ありきたりの挨拶は交わす程度で
きれいに一線を引いたことがあります。

相手がどんな立場や地位の方だろうと、
どんなに心身を痛め弱々しい姿を演じようと、
たとえそうだろうと、
「人として間違っていませんか?」
という姿勢や生き方は私自身貫いていこうと、思います。

声を大にして、主張して出歩きますよ〜
なんぞ、お節介な、喧嘩を売って渡り歩くような
愚かなことはしません^^;

エステティシャンとしての仕事も、
会計の仕事も、
生活も、
あくまで自分の中の
一人の人としての在り方を貫く、という意味あいです。

すがきやのラーメンからゆで卵までに渡り話を飛躍しましたが、
通ずるところってありませんでしょうか。

この貫く姿勢は、人として、美しい在り方、
だと思えてなりません。

手間がかかりすぎる半熟のゆで卵。

急がないといけないときはきっちり茹でて、
つるっとむきますよ。笑。

ただ、時間の制限がないときは、
手間がかかることを面倒さがらず、
美味しい瞬間を少しでも味わってもらいたいし、
その感覚を味わえる人との時間を大切にできたほうが
やっぱり穏やかで豊かな人生だと思いますし、
私が感じる’すがきや’のこだわりのように、
人生を貫くこだわりを捨てない人生を歩もう、と
再認識できました。



正直、2パックの殻剥きは身に答えたので、
半熟卵はしばらくお預けです。汗。






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posted by Michi at 10:14| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月06日

甘々のケーキに食らいついて我に返る

DSC_0604.JPG

これ、可愛くありません?

大晦日の夜、
実家近くのセブンイレブンで購入したのですが
中はフワフワのババロアとサクサクのチョコフレークの
美味しい身が詰まっていていて、
豚?と疑わずにうまいうまいと途中まで食していて、
口の中いっぱいに広がった甘々で、
「わたし、ケーキに食らいついてる!」
と、今年の干支にようやく気づいたのでした。笑。

おはようございます。

「猪突猛進」と、
それはそれは達筆な方が書かれた美しい作品に見入ってしまったのですが
これ、そのまま鵜呑みにしたら
大変な事態になり得る危険をはらんだ言葉だなあと思いながら、
本日のお題にしたいと思います。

「猪突猛進」

辞書で引いたら簡単に出てきますが、この熟語の意味は、

’周囲の事や、状況を考えず、一つのことに向かって、猛烈に突き進むこと。’
です。

周りにおられません?こんな方。

実は、先日
猪突猛進を正しい在り方、を敢えて重んじていた時期が
私自身ありました。

自分なりの考えや理由をもって、
自分なりに周りの環境に合わせながら、
自分の進みたい方向へひたすら進み、
これが私の人生なんです、と堂々と歩みながら。

自分なりに。

しかし、現実は
度重なる大問題の勃発。

まるで、ひたすら突っ走り、
一目散に突進した猪がその勢いで自分が止められなくなり、
目の前の壁に衝突し、大破する危険をはらむように。

意図しない状況が、不可抗力のように
所謂、とばっちり、なのですが
とめどなく押し寄せていた頃を振り返ります。

人物が特定できない範囲で
実例をあげてみます。

会社員時代、ある上司に
公共交通機関の施設に車で迎えに来るように
上から指示が入りました。

当時、私が担当していた業務の一環なのですが、
「どこに居るんだ!到着しているのになぜいない!」
と、まくしたてられたことがありました。

大勢の乗車客が居る中でもおかまいなく、
物凄い剣幕、役者さんだったら名演技です。

もちろん、指示があったときに、
「出口が複数あるので東西南北の何番出口ですか?」
と担当者としては当然の確認を求めたのですが、
「空気を読み、私の考えを先回って動いて下さい。」
と、具体的な回答は頂けません。

当然のことながら、
一般車両が待機できるエリアは指定されていて、
すでに到着した人を待つ他の車両がわんさか並び、
所定場所で待機することすらできない状況で、
例の上司と合流するため、
ロータリーをひたすら迂回するしか方法はなく、
自分なりに歩調を合わせて迂回していたのですが、
結果的にどなられました。

だったり。

会合前、
なぜかそのタイミングに取引先の贈答品買い出し指示がはいるのですが
約束の時間に間に合わないからという理由で、
販売店の出入り口真正面に車を付けるように指示を受けました。

もちろん、横断歩道のど真ん中。

警備員の方々が所定の業務を担当して、
お年よりや、子どもたちは道路交通法をしっかり守り、
横断していますがそんなこと、お構いなし。

もちろん移動させましたが、
そこで私に何が起こったかは、ご想像の通り。

だったり。

然るべき理由から
会社として私用経費はかけられない、と経理担当の立場から伝えても
「社会貢献の一環だから必要経費です。」
と自己都合ですり替えられ、
前任には軽くあしらわれたり。

人として、仕事として、社会として、
何が正しい在り方かの視点で上記を説明するのは
必要ないほどどうしようもなくくだらない内容ですが
結果的に、
私は、理不尽や矛盾がドロドロのどこまでも滑稽なお偉い方々のおかげで、
世の常を痛いほど理解できた経験なのですが、
これもある意味「猪突猛進」。

その人のために私ができることはやり尽くそう。
社会のためだから自分ができることはとことん尽くそう。
仕事のために、家族のために・・・

どの理由も、猛進なのですが、つまりは、
周りの状況を見ない、見れない、見ようとしない人達の中に
自分もそこに居れば、
極論、同じ穴のむじな、という自分の環境を冷静に見ることができます。

どんな理不尽な環境だろうと、
目の前のやるべきことに淡々と向き合いながら
その経験を糧にし、
一歩も二歩も引きさがって見渡して、
人様との線をしっかり引く冷静さを保つことが、
どれだけ求められるか、痛みを伴いながら学んでいくわけですが、
人はどこまでいっても痛い思いをしなければ
学べないのかもしれませんね。

ここで、自分自身を振り返ることができて、まだ終わりません。
次に訪れるのは、もっと酷な選択。

パートナーだったり、家族だったり、友人だったり、大切な人が
わき目も振らずに目の前ことに没頭していることが
周りに迷惑をかけ、人の道を外れているような
「猪突猛進」に気づいてしまったとき。

その人と本気で向き合えますか?

こればかりは、自分の事とは比にならないほど
大げさでもなく、
大切な人ほど、想像を超えた痛みを伴います。

子育てだったり、
教育がこれに当たるのかもしれませんね。

どうして赤信号で渡ってはいけないの?
どうして無駄使いはいけないの?
どうして人の物を勝手に使ってはいけないの?
どうしてお友達の親は許してくれるのに自分はダメなの?
どうしてお友達は傷ついたの?

ある方のまとめが
上記を踏まえた私の経験とまさにリンクしていたので
以下、引用させて頂きます。

本当の意味で人と向き合うことは、
ただ穏やかに穏便に優しく波風立てずにお付き合いするだけでなく、
時として相手が逃げるのを徹底的に逃がさずに、
ダメなことはダメ、
それがどんな理由でダメなのかを、愛情を持ってお伝えすることも
心ある1人の人間として、大切な作業だと言えます。

これを伝える側も、受け取る側も、本当に心苦しいプロセスの一つです。

これを避けてばかりで
無難に波風立てずに生きることは可能なのですが、
果たしてそれで、本当の意味で深い人付き合い、深く人と向き合うという、
心の汗をかく人間関係の基本的な構築が出来るか否かと言えば、
確実に中途半場で浅はかな関係しか築けない、
嫌なことを避けて通る卑怯な生き方しかできなくなると思います。

という、内容でした。

(ちなみに、補足させて頂きますと、
上記の内容は、特定の宗教論とか、特定の組織や、偉大な人の名言ではまったくなく、
その方自身の経験を通じたコメントです。
ご本人の記事にご自身の経験から咀嚼しながら引用をして下さい、とあったかと思います。

本来、私自身で作成したかった内容ですが、
ここまで私の心をずばり言い当てた内容はないと思い、
勝手ながら引用させて頂きました。)



私は幸いにして、
実両親からも、これまで出逢ってきた人たちからも、
痛みでもって、私に逃げ場という隙を一切与えてくれなかった環境だったからこそ、
その真意を学んだわけですが、
でもこれって、私に限ったことではありません。

誰にでも、その対象は実はすぐそばにいて、
ようは、それが真の愛情だと自分が気づけるか、どうか、だけの違いだけで、
痛みから学ばせてもらって出た私なりの答えは、
すべての原点は自分、に尽きるということ。

世の為、人の為、家族の為、の前に、
原点は自分にあるということをはき違えている人ほど
自分ではない対象のために全精力を注ぎ、
注いでいるはずなのに、
だらしなく、不平不満から逃れられず、
口を開けば愚痴しかでてこない、自分に自分の責任を持てない歪んだ生き方に目をそむけ、
大破する寸前にいることに気づけず、良しとして居る姿は
寂しいですが、どこまでも痛々しく、
こればかりは、原点は自分なので、
’早く気づいて’と、心から願ってやみません。

周りの状況を省みず、自ら大破を招く猛進より、
一息ついて、一歩引いて、周りの状況を見ながら、穏やかに、
一歩一歩大切に歩む人生を私なら迷わず選ぶし、
同じような価値観のある人と時間を大切にしたいなあと
思った次第です。

猪突猛進の強みと弱みを私自身自身の経験から、
自分なりに振り返ってみました。

目の前にある、ボックスで頂いた美味しそうなラスクを
食らいつくのではなく、
一口、一口、味わって、大切に頂こうと思います。








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2019年01月05日

頭で考えるより、まずは動け。




お正月気分がすっかり抜け、
いつもの朝が始まっています。

おはようございます。

お正月気分がすっかり抜けた、
というのは、
主人が今日から仕事初めなので、私の日常が始まったからなのですが。

いつもより少し遅めの6時半前に起床し、
朝食とお昼のお弁当の準備に取り掛かり、
見送り、片づけをし、机の前に向かいました。

プロフィールの自分の画像を挿入したり、
メッセージフォームを作成したりと
すでに日常の流れに乗り、私の頭は、
一気に、休みモードから切り替わりました。

さて、本題です。

’頭で考えるより、まずは動け。’

今年の抱負、のようですが、抱負ではなく、
これって、本当に大切だなあと改めて感じています。

前記の通り、朝早く起床し、
キッチンに向かい、調理をして、と身体を動かし、
それをわざわざブログに綴っているのは、
私にとって、今、何よりも優先すべき日常です。

休み明け、
真っ暗な中、隣で横になっている主人を置いて、
一人起き上がるのは正直億劫でした。

今日のお弁当、パスしていいかなあ?

ぬくぬくの布団の中で、このだらけた考えがどれだけ私を誘ったことか。


ずるいことをしようと思えば、とっても簡単。
だって眠たいんだもん。

たった一言、相手に伝えるだけで、
さぼろうと思えば、どこまでも、責任転嫁して、好きなだけさぼれます。

私は、主人との結婚を選びましたので、この日常がありますが
極論、起きたくなければ、結婚を選ばなければいいだけのこと。

「建設業を営み、朝出が早い肉体労働で、お昼はほぼほぼコンビニ夕食は、両親が用意したスーパーの惣菜と、くたくたに煮た鍋が自宅にいるほぼほぼの食事。」

と、結婚前に主人から聞きました。
致し方ない部分もあるがこれが生活パターンになっている、と。

なぜわざわざ結婚前の私に伝えたのか、その心の声一言一言を、
私なりにじっくり咀嚼しまして・・・

「もし私と結婚をしたら、自分のエステの仕事が減ってでも、
あなたの健康を第一に考え、身体が資本である食事は私が責任を持って勤めます。
なぜなら、私自身のためでもあるから。」

と、自分で決意を固め、意志を伝えました。

そして、やることを決めました。

避けられる合成調味料は自分なりに選択し、生姜、ニンニクなどの薬味を使いながら、
旬の野菜をなるべく主にして、動物性をバランスよく取り入れる。
酢の物や、梅干しなど、減塩を意識しながら、アルカリ性の調理に心がける。

9割がた自炊に切り替え、スーパーの惣菜はイベントや体調不良などの特例をのぞいて、ほぼほぼ利用しない。

お茶はペットボトルで購入せず、都度、作ったものを用意し、お昼には水筒を。

珈琲が好きなので、豆を購入し、飲む直前にミルにかけ、珈琲を作り、日常使いや、水筒に。

これら自炊を3食、毎日行うことを何より優先すべき仕事、
というパターンを示しました。

一緒に生活をはじめ、8カ月が経過。

昨年健診受けた主人の診断結果は、
高かった血圧が正常値へ。

本人は、大変驚いていました。

この自炊って、
出来ている人にとっては話題に挙げるほど大したことではありませんし、
正規社員としてバリバリお仕事をしながら、ついでに育児もして、
家族の為にしっかり自炊されておられる主婦の方が
那覇で担当していた花嫁さんにおられ、この話を聞いた時は本当に頭が上がりませんでしたが、
そのくらい、生活の当たり前の常識的な範囲と今は思っていますが、
不思議とそれをしない人もおられます。

私は眠いし、体調も痛いから、今日もお弁当を作らなくてもいい?
私の作る味が口に合わないみたいだから自炊しなくてもいいよね?
私は、正社員として働きたいので、家事を抑えていいかなあ?

きっと、私がこういうスタイルだったら、主人の場合ですが、
おそらく彼との結婚は成り立たなかったと思います。

それ以前に、
ここを優先したいのであれば、話は簡単で、
主人との結婚を選ばなければいいわけで、
そこを優先させてくれる相手と結婚すればいいだけの話。

もっと切り口を変えて見るならば、
例え、両親と共に生活していようが、例え、男性だろうと、
健康を重視し、食事を大切にしたいと本人が切に願うのであれば
既に自らが動けばいいこと。

という見方もできますが、
そもそも食事を大切に捉えようが、していなかろうが、
第三者、私がとやかく触れるのは、論外です。

家事を単純な毎日と捉えていた時期が
残念ながら、私にはあり、家事に手を抜くと、
人がどうなっていくのか、おおよそは読めるようになったので


その経験値から、主人から聞いた話をリンクさせ、
私自身の健康のためにも、後悔のないように出来る限りのことはしていきたい、
と、二度と後悔をしたくないから、自分で決めたことです。

理想を並べたら、正直、きりがありません。

不平不満を並べ、旦那の愚痴をこぼしても、
自分のためには一文もならない。

愚痴をこぼせばこぼすほど、
習慣という恐ろしいどつぼにはまっていき、
不思議と愚痴っぽい人を呼び込み、
自分周りを一気に囲むもの。

でも、ほんの少し頭を切り替えてみますと、
家事から自分の至らなさに気づけたり、
弱点に気づけることが山ほど埋まっていて、
私は、愚痴をこぼし続ける人生を選ぶより、
ひとまず、動いて、とにかく動いて、
今、自分がすべきことに邁進していたい。

ほんと、忙しい時って愚痴を考える暇というか、
時間というか、そんな余裕はまったくないんですよね。

ところがどんなに世話しなく過ごしていましても、
理不尽さや、納得がいかないことは尽きません。

そんな時はただただじっくり考え、
都度答えを出し、都度修正していくだけのこと。

これが、人としての正しい在り方だと思えてなりませんし、
これまたありがたいというか、
不思議なものというか、
正しい在り方からずれていくと、
ほっておいても、必ず、よからぬ方向で大問題が勃発してくれます。

また、手がつけられない理不尽な不可抗力もありますが
それも世の常だと学ぶことができますし、
そこからどう気づき、学んでいくか、の大切さを
大問題が嫌というほど教えてくれます。

ちゃんと意味をもって、
大問題って勃発してくれているのでしょうね。

世間体とか、
しがらみとか、
自己犠牲とか、
身内とか、
ぜんぶとっぱらってみて、
今、目の前にいる人を見渡し、
愚痴や不平不満、責任転嫁しあう人間関係がまったくなく、
心から穏やかな心地の良さを私は感じられるだろうか。

その素直な心の声が、
何より自分にとって正しい答えなのではないでしょうか。

人としての在り方さえずれていなければ、
自ずと、心ある良識のある人たちが自分の周りに集まってくるもので、
こんな人たちと一緒にいたいなあと私は思いますし、
そんな方々から「あの人とは関わりたくない」と思われないように
正々堂々と人としての正しい在り方でもって、
生きていくことを私なら選びます。

’頭で考えていても、何も変わらない。頭で考えるより、まずは動け。

経験済みだからこそ、
これに間違いないと胸を張って断言できますし、
人としての在り方は、どこまでいっても、
美の在り方なんだなあと、思いました。


DSC_0606.JPG

そんなことをつらつら考えながら、
主人を部屋から見送り、頂いたお土産をほおばりながら、
ブログを更新しています。




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メッセージフォーム

新ブログとして、こちらへブログの引っ越しをしました。

既に6日が経ちまして、
一昨日から新年のブログを更新し始めているのですが
昨夜、システムを確認していましたら
1点、私の勘違いに気づきました。

ブログを更新しますと、下段に以下フォーマットがあります。
これは、PCでもスマートフォンからもご確認頂けるのですが・・・

qq.jpg

これは、メッセージ用ではなく、ブログ更新ページに対するコメント用で
私がイメージをしていました、
ブログ発信者である私へ公開用ではなくダイレクトに
ブログの感想やご意見を頂くフォーマットとは、用途が異なります。

ということで、
早速、ダイレクトに私宛への
ブログの感想やご意見を頂くメッセージ専用フォーマットを作成しました。

■ブログの感想やご意見は、このメッセージフォームご利用下さい。

’メッセージフォーム’という文字アンダーラインになっていますので
これをクリックしますと、フォーマットへ自動的に飛びます。

あとは、形式に従ってご入力下さい。

気づくのが遅くなり、申し訳ありません。

ぜひ、ご利用下さいね。






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2019年01月04日

厳しくとも何が大切なのか

このブログを読んで下さっている方は
初詣へ行かれましたか?

私は先日、岩津天満宮へ初詣に行ってきました。

主人の実家から2キロくらいの場所にあり、
初詣の参拝者大渋滞を避け、徒歩で向かいました。

この時期の徒歩は、耳が切れてしまいそうな寒さですが
ちゃんと防寒すれば問題なく、
歩いて20分ほどすればじんわり汗が出て、
代謝があがり身体の内側からポカポカ。

体温の上昇とともに、
この寒さが心地よくなるタイミングが訪れる
寒い、暑い、涼しい、この何とも言えない感覚のミックスに
贅沢な気持ちに、ちょっとなったりして。

それだけでなく、
景色だったり、
雑草の花々だったり、
マンホールのユニークなデザインだったり、
空気感だったり、
ゆっくり楽しめる徒歩や自転車移動が
個人的には好きです。

一瞬億劫に思えることほど、
新しい発見やチャンスが潜んでいて、
いつもと同じ行動パターンを繰り返してしまうと
実は見逃し、損していることが多いのかもしれません。

そんなことを考えながら無事に徒歩で到着し、
厳かに参拝をさせて頂いたあと、
主人だけおみくじを引きましたら昨年同様「大吉」。

「大吉だけど、今年も気を引き締めて行こうね。」と話ながら、
おみくじを神社指定の場所にくくっておきました。

こうして徒歩でとぼとぼと岩津天満宮へ向い、参拝するこの流れは
今年で2年目。

私たちの恒例になりつつあります。

初詣の後、
主人は明後日からの仕事の準備、
私は豊田市の浄水まで足を運び、ネットでリサーチした大衆銭湯へ行ってきました。

どうやら過去に利用したことがある銭湯だったのですが
ここもまた大勢の人で賑わい、
ちょっとばかり疲れてしまいました。

大衆銭湯の安さはここにありますね。

料金が高くなってもいいので、
近隣で静かに利用できる銭湯を探してみようかなあと
ぼんやり。

その後、
お友達のバーに居る、と主人から連絡が入ったのですが
代行を頼んで帰る、とも添えられていたので、
新年の挨拶もかねて、
交流することにしました。

今の住まいからお友達のバーまで、約3キロなので
夜徒歩、してみました。

どうやったら最短距離になるか、
この道は街灯がなく暗いから危ない、とか、
ここは歩道が狭いから徒歩には向かない、とか、
この店舗のデッキは参考になる、とか、
こんなお店あったのね、とか。

夜は夜で楽しい経路は
主人が教えてくれた1時間ではなく、30分で到着。
最短距離を意識したのがよかったのでしょうかね。

個人的ですが、
スポーツウエアに着替えてウォーキング、を過去に試みましたが
続きませんでした。

私の場合、生活の中での移動を
敢えて徒歩に切り替えると続くので、
運動も、美容も、何事も、
自分に合う方法を見つけることが
もっとも難しい’継続’の秘訣かもしれません。

DSC_0607.JPG

じんわり汗をかきながらお友達のバーへ着いた早々、
こんな美味しそうな丼が作られ、ご褒美のように待っていて↑
自分的には、心身ともに気分爽快になりました。

もっと美しく盛られていたのですが
崩してから撮影したらこうなってしまいました。ごめん!

さて、ここから本題です。

私は昨年から、
長らくぶりの人との再会に恵まれているのですが
昨夜も、13年ぶりの再会がありました。

その方は
相手の弱点を見逃さず
悪意ない気持ちで平気で突く人情味が溢れる人と言いますか、
人と真正面から語り合いたい人間くささ満載で、
男が男に惚れる、という代表格のようなインパクトさは
私の知っている当時のままでした。

さも親しき友人のように綴ってしまいましたが、実は、
真正面から話したのは過去1度か2度程度。

あとは、いつも合流するメンバーにいる一人、というくらいで
私にとって、会えば必ず話し込んでしまう人、ではありません。

なので、友人とは呼べないような間柄なのでしょうが
私の中では印象深い友人の一人です。

姓がうちなんちゅー(沖縄の姓)の方なので
おそらく身内の方のどなたかが沖縄出身者か、
今度会ったら聞いてみようかと思いますが
先日、更新したブログに触れましたように
私自身、環境からの影響を受ければ受けるほど、
自分の内へ内へとより深く入り、
’人としての正しい在り方’に
意識が強く働いていくので、
その方向性が再会した相手も近しい感覚があることが分かると、
長い年月を経たからこその、感懐深いものがあります。

その友人との再会で再認識できたのですが
自分が弱って落ち込んでいるときに
「大変だよね。かわいそうだよね。」と同情する人より、
厳しくとも、人として何が大切なのかを
堂々と真正面から主張できる人達との時間を
私は大切にしたいなあと
強く感じられたこと。

人の輪の空気を乱してまで
自己主張を通す個性は避けたいものですし、
また、
相手の顔色ばかりをうかがってしまい意と反することしか言えない姿より、
人間くさいほうが、
どこまでも人間らしいし、何より自分の性に合っている。

なぜなら、私自身昨年まで
人の顔色をうかがいながらでしか
会話の方法を知りませんでした。

誰から聞いても、
何を読んでも、
その本意をまったく理解できなかった。

’自分に自信を持つ’という形で都合よく変換し、改める、を繰り返してきましたが
実は、感情に蓋をしているのと何ら変わらないことで、
そうではなく、
人として自分はどう在るべきか、
自分の生き方はこうです、
と、自分の心に嘘偽りなく胸を張って伝えられることがすべてなんだと、
昨年5月から嫁いだ生活の中で、視点が切り替わりました。

人として自分がどう在るべきか。

私なりの理解ですが、
自分の在り方って、実はとってもシンプルで
自分は選ばれし特別な存在なんだ、とか、
これだけ儲けてますから、とか、
社長ですから、とか、
そんなことは何一つ関係なく、
ただ、自分のやるべき目の前のことは何か、
しっかり分かっていて、
それを淡々とこなし、日々の生活を送るということ。

その積み重ねの年月がその人なりの基盤として築かれ、
結果的に、人としての在り方として表れているだけなのかと。

人としての在り方、と言葉だけ見ると
弱きを助け、だとか、
ボランティアとか、
社会貢献とか、
善意のような活動だけが派手に映り、また、
それが評価されると信じて止まない人も居て、

確かに、困っている人を助けることは
助け合いという面では必要ですが、
だんだんと度を越え、自分の生活範囲を超えてまでして手を出しかねず、
必ず、どこかで無理が生じて、
誰かに迷惑をかけてしまい、
それに気づけなくなる。

弱きを助け、
自分を犠牲にして、
は一見美しく聞こえますが
やはり、それは自分の弱さや傲慢さ以外の何物でもありません。

生活の基盤の中からでしか、自分自身の足元をしっかりと見据えることも、自分自身も築けない。
私自身を振り返えれたことで、
厳しくとも何が大切なのか、
今では理解がしています。

自分の目の前のやるべきことを地味にでも、淡々と、やる。

これって、1年2年といった短期的なことではなくて、
生きている間ずっと続く一生涯のことで、
淡々と送ることや、
都度、自分自身の間違いを正すことは、とても、とても、辛いことです。

しかし、人の成長の過程で、そこを飛び越え、何かを得られることは何もなく、
シンプルに、それだけのことなのかと。

友人のバーで、新年の挨拶を交わし、
友人との再会から、
改めてこうしたことを再認識できました。

偶然にも
主人も、その友人に共感していて、
私にとっても幸いなことがまた一つ、増えたように思います。

人との関係性も、
何が自分に合うか、
心が素直に感じる気持ちが
一番嘘をつかないのかもしれません。






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2019年01月03日

自分なりの終わりと始まりを考えてみる

新年、明けましておめでとうございます。

平成さいごの年越しが過ぎ、
お正月をいかがお過ごしでしょうか。

今日はお正月三日の3日、ですね。

私が生活するこの三河地区では、
朝晩は0度近くまで冷え込みますが
日中はじりじりするほどの陽が差しこみ、
外気を遮断さえできれば、ガラスを通り抜けた日差しで
室内はぽっかぽかに。

窓を全開にして、
太陽をしっかり部屋に届けました。

お正月というものは、
くっちゃね(食っては寝て過ごす)して、
何も考えずにだらだら過ごすのが
何よりの贅沢な時間ですよね〜

だったなあと、
昨年までの自分を振り返っております。

家事をする主婦の方は、
私に限らず同様かと思いますが、
旦那さんやお子さん、家族をすべて置いて、
自分の実家、もしくは、
一人っきりでどこかに籠らないと
この贅沢は叶えられない夢のまた夢・・・

正月早々皮肉ってみましたが。笑。

そろそろ日常生活に戻したい私がいまして、
事前に決めていたわけではなく、
本年、本日からブログの更新を再開いたします。

改めまして、
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

さて、先日の大晦日は
母、弟、姉と姪が不在の中、
それでも私にとってうるさいほど賑やかな
夫、父、甥の男所帯の中、
料理は、母が予め作っておいてくれたホルモンや大根を煮込んだ味噌煮、
箸休めのお刺身、
夫の仕事関係者から頂いたふぐ鍋セットと、
事前に母が注文をしておいてくれた蟹を囲みました。

鍋.jpg

頂いたふぐセットには、出汁用の昆布、ポン酢、薬味だけでなく、
野菜やお豆腐など鍋一通りの具材が含まれていましたが
てっちりにするため、ふぐの身だけはこちらで切り身にしなくてはならず。

ふぐの身は、鯛のお刺身に比にならないほど固く、
食べやすいように、うすーく刃をいれる職人技がいる独特な食材なのですが
これが素人ではかなり難しいと言いますか、
中々できない。

元、釣りバカ(地元では釣り名人と言われるほどだったらしい)の父にお願いして
自慢の包丁で使い慣れた手つきで
丁寧に一枚一枚切り身にしてもらいました。

てっちり.jpg

ぐつぐつと温かい鍋を囲めたわけですが、
とっても驚くことがありました。

例年なら21時過ぎた頃には
除夜の鐘が鳴ると同時に氏神さんへの初詣参拝のために
自分の部屋で小休止をしていた父が
先日は、ほぼぶっ通しで起きていました!!

ふらっふらのぐでんぐでんなのに。笑。

こうして、
あっという間に除夜の鐘が鳴り響き、4人で初詣へ。

DSC_0603.JPG


片田舎の山の頂にある
日頃は人っ子一人いない静かな神社に、
この日ばかりは地元の方大勢で賑わうのですが
私たち4人は参拝の最後尾に並んで、
と言いたいのですが。

厄年の人達が係になり、
参拝できる環境を整えてくれるからこそ、
こうして私たち、地元の人が
初詣を安心して参拝できているわけですが、
その方々が休憩している場に
何も尽くしていない夫と父がちゃっかり混ざり、
アルコールをもらうという。

なんとも情けない、
父となんら変わらない主人と一緒になってしまった。汗。
これも私の家族のとほほな姿、恒例であり、
お酒の飲み方は、これからの課題です。

DSC_0601.JPG

世があけ、元旦の朝は
準備していたお節料理と、
前日の鍋の煮汁を使ったお雑煮をふるまいました。

昨年5月から主婦が主になった今、
こうした大晦日や元旦ですら
だらだら過ごせなくなり、
先日は一人実家で過ごさせてもらいましたが、
それはそれで寂しいものがあります(わがまま、笑)


大晦日、元旦。

一年の終わりと始まり、のように
私にとって、この大晦日、元旦は
自分の中の終わりと始まり、を
見直す日と捉えている部分がありまして。

私にとって、
昨年は生活環境が激変しました。

一人だった独身から新しい家族を迎えた人の変化、
沖縄那覇から岡崎市への場所の変化、
本業だったエステティシャンから主婦業が主になった仕事の変化、
長い人生から見れば、たった一年ですが、
それら生活の変化は
確実に私に影響を与え、
人生の転換と言っても大げさではない私自身の在り方を
見直すきっかけになりました。

私は、これまでに
穏やかに過ごしたい、
豊かな人生を送りたい、
と常々口にしてきました。

そう願ってきたのですが
結婚を機に、
日々の生活の中から
机上の理論から自分の経験則がリンクし、
今はで穏やかな心で
お正月を過ごせています。

正直、人生で初めての感覚です。

私の考えの根本にですが
自分の中に、人としての正しい在り方’芯’さえあれば、
周りが、何をしようと、
周りが、何を言おうと、
そこから自分が傷ついたり、
落ち込んだり、一瞬はあるものの
それからネガティブになったり、それが長引くことは
まったくありません。

その域が、
いわゆる、穏やかな人生だと思っています。

人の人生って、
どこまでも自分自身で向き合って、気づき、築いているもの。

家族という近しい人ほど、
そこをはき違えやすい。

自分がどうこうでもなく、
家族がどうこうでもなく、
誰しも一人としての人生、なんですよね。

あの偉大な人がこう言うから私の考え。
あの有名な人がこういう人生を送っているから私も。
産まれてきてからずっとこの環境だから、仕方ない。

こうした人生を正しき生き方、良し、
としている人ほど
心から幸せな我が人生、
心から豊かな我が人生、
と、実感できないネガティブさを漂わせているといいますか。

過去の私自身がそうだったから
声を大にして言えるわけですが
あくまで自分の選択で、
今の環境を選んでいます。

自分の弱さや生き方の癖に気づけたら、
過去に執着しない新しい人生を築こう、
と選んだだけのことで、
これを理解できてからというもの、
大げさでも冗談でもなく、
42歳にして今、
ようやくストレスフリーの領域におります。笑。

そこを試されるのが
結婚なのかもしれません。

そんな意味を含めて、
先日迎えた大晦日と元旦は
私の中にある心の在り方、
つまり’美の在り方’が変化した
終わりと始まりの瞬間だったと言っても
大げさではありません。

大晦日、元旦と
どの料理もどれも
美味しすぎるほど贅沢なものではありましたが
それ以上に、
家族とこうして過ごせる時間に、
心から幸せだなあと
しみじみ実感できる
穏やかな心で居られる自分に気づけたのでした。

自分にとって、
終わりと始まりについて
考えるいい機会になりました。





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2018年12月31日

新しい年を迎える前に

先ほど、
長らく更新を続けてきたアメーバブログから
最後となるブログを更新いたしました。

引っ越し先にしたこのブログは、
正確には、
当店の公式HP内の最新情報欄にて
サロンの告知をするために
既に取得していたアカウントを活かしています。

なので、正しくは「新」ではありませんが
敢えて、新と位置づけています。

初更新となるブログは
少しの自己紹介を交えながら、
これが本当の本年さいごの更新となります。

※このページは日時設定にて、
今月中旬から準備を整えてきた更新となります。



さて、このビゼンは、
私エステティシャン美知が、
自営業を始めたエステサロン名です。

私自身、エステティシャンのお仕事に就いたのは、
自営業になる約4年前です。

美顔、痩身、リラクゼーション、脱毛、
その他付随するセールス、など
多岐に渡る技術と知識の基本を
日本エステティック協会に属しながら、
職場での現場経験を積み、
そこから、フェイシャルの奥深さに
より興味を持ちました。

そこから、自営業者になったことを機に、
’リフトアップ小顔’にしぼり、
フェイシャルエステやブライダルエステを
エステティシャンとして
このビゼンサロンから提供しておりました。

また、日々の素肌ケアは
フェイシャルの基本中の基本です。

数多くある会社から
スキンケア化粧品(株式会社フェースビューティー)を厳選し、
取扱いと、小売店としての通信販売、
また、セルフスキンケアの方法をお伝えする講師も
時々させてもらっていました。

その宣伝広告ツールとして、
ブログを設けておりました。

旧、ビゼンブログ >>> 

アメーバブログを敢えて選択したのは、
補足しますと、
著名や芸能などのお仕事に就かれている多くの方が利用していると言われ、
一般人でもアクセス数を増やすことが可能で、
また、多くの方の目に止まるようなメリットもある、
ということから選択しています。

また、
「日本の女性を美しくしたい」という考えをもっていた時があり、
そこに少し触れてみます。

したい、という私の願望を含んでいるメッセージ性ですが、
そもそも美しさは私がとやかく言うのではなく
それぞれが自分の心が感じるもの。

何を美しいと感じるか、
あくまで自分がどう思うかが軸にあります。

例えば「あなたは美しくない」と
家族、友人、知人、職場の方など誰かに言われたとしたら
想像しただけでもショッキング極まりないですが
よくよく考えてみますと、
自分自身の心がネガティブに捉えたからショッキングなだけで、
どこを捉えて美しくないと思っているのか、
外見のことを言っているのか、
雰囲気のことを言っているのか、
自分好みではないからなのか
その言葉からではすべてを理解できず、
もう少し深く探ると意外な回答があったりして、
自分を見直すよい機会になる場合があります。

そう考えると
もし傷ついたとしても、
言葉をそのまま鵜呑みして自分が傷ついたという、
自分の中で勝手に変換したことに
視点に目がいくかと思います。

逆に何をみて、
何を美しいと感じますか?

と意地悪な質問がもっとできたら、
視点が広がるように思います。

美はどこまでも、
自分の心で感じ、
自分が決めることが軸だと思いますので、
第三者の言葉を
そのままネガティブに捉えるのではなく、
また第三者が美しくするわよ!と先に述べたことに
自然に違和感が持てるのではないでしょうか。

そもそも第三者をどうこうしようとする発言自体、
おかどちがいと言いますか責任のない発言で
あなたはそう感じるのね、でも私はそう思わないわ。
という考えの軸さえ持てたら、
第三者の考えと自分の考えから、しっかり線を引けます。

例えば、私には4つ離れた姉がいるのですが
20代前半に172センチ、10頭身の容姿を活かして
ショーモデルの仕事をしていたときのこと。

名古屋の某モデル事務所に所属していたのですが
同じ事務所のモデルで
姉から見て、お世辞でも飛びぬけた美しさとは言えない同僚がいて、
その方が、仕事が絶えない人気モデルだったそうです。

なぜ、仕事が絶えないか姉に尋ねますと
明確な答えが返ってきました。

「彼女は、自分自身に断固たる自信を持っている。」

一般人からかけ離れた作り物のような生まれつき美しい容姿を活かした職業は
一見、人気商売に見えるかもしれないけれど
その厳しい世界でも勝ち抜ける人と、消えてしまう人がいる大きな違いは
ある程度の外見は数割で、
あとは自分の中だけにもつ’自信’と姉から聞いた時は
流石に考えさせられました。

まさに、第三者の考えと自分の考えから、しっかり線を引けている
分かりやすい例かと思います。

また自分を全否定している方もよくおられますが、
たいていは過去に、第三者から言われた言葉のまま鵜呑みにして傷つき、
これ以上傷つかないようにする守りから
開き直っている姿からは、残念ですが、
他人をよせつけない冷たさを漂わせてしまいます。

美はどこまでも
自分の心が感じるもので、自分が決めるもの。

これまで、バービーちゃん人形かと思うほど、
容姿端麗の数名を担当したことがあるのですが、
エステティシャンの立場から、
「あなたは私が施しようがないほど美しいです」と、
どれだけ伝えても
事務所に顔がむくんでいるといわれたから
エステに行かないダメなんです、
と、自信なさげに通い続けるんですよね。

商売面でみたら、お越し下さるのは大変有難いことなのですが
やはりその姿は痛々しく、
スクリーン上で自信を持って立てているように
いつか自分に自信が持てる日がきますように、
と切に願ったものです。

美容整形をやめられない話題のヴァ〇ラちゃんや、
韓国の扇風機おばさんは、
自分を止められない例なのかもしれません。

美容整形も、
適度なケアとして利用できるのはよいかもしれません。

また、美魔女と呼ばれる
代表格のような美しい女性は確かにおられますが
やはり、適度なケアから
はみでてしまった行き過ぎた美は、
年相応ではない違和感を感じずにいられません。

クリニックからしたら
いいお客さんかもしれませんが、
その人の幸せがそこにあるのか、
疑問です。

話を冒頭にもどますと
私自身、過去自分に自信をまったく持てず
悶々とした時期があったのですが
日々の生活の中で美の在り方を考えるようになり、
その真意をようやく理解できたのでした。

言葉にすると軽くなってしまいそうですが、
エステティシャンは人であり、
私もそのエステティシャンなので、
私自身が自信のなさを伏せ隠したまま前に進むのは
等身大の自分からかけ離れるので、
過去の自分から今の自分へ線を引く意味も含め、
午前中のブログを更新しました。

目を覚ませ!と、
もし過去の自分をどつけられるのなら
容赦せずにどついているところですが、
私の中では、もう整理できた考えです。

なので、過去にさかのぼり、ブログを読んで下さって、
今と違うじゃん!と
どうか誰も怒り狂われませんように。

そして、もし勘違いをさせてしまった方が居られましたら
この場を借りて、お詫び申し上げます。

もっとやるべきこと、
向けるべきことに懸命になり、
目の前のことを丁寧に尽くす生き方のほうが
どれだけ心が健全で、豊かな人生なのかと、
そんな気がしてなりません。

私が経験したことの整理、
そしてこれからの備忘録のために
毎日の暮らしの中で
気づけた小さなことを大切に紡いでいきたいです。

エステサロンを構え、
エステティシャンを本業にしていた頃とは
今は明らかに状況が変わりましたが、
それでも今も尚、
エステティシャンとしてビゼンを地道に続けることができているのは、
主人の温かい理解に恵まれ、
また、引き続き利用して下さる理解ある方々のおかげです。

本当にありがたい以外の、
なにものでもありません。

いつもご利用下さっている皆様、
本当に有難うございます。

引き続き予約を頂きまして、
担当させて頂くフェイシャルやブライダルエステは
これまで頑固にこだわってきたリフトアップ小顔というより、
’美の在り方’という軸を意識しながら
技術を担当出来ればと思っています。

営業エリアは、
今のところ、愛知県三河地区近隣とさせて頂いております。


また、引き続き通信販売でご注文を頂いた購入者さんには
メールやSNSなどから
フォローという形を引き続き取らせて頂き、
スキンケア講師は、
今のところ活動予定を組んでおりません。

これからは
辛いことほど、美のスパイスに変えてしまい、
それでもしんどい時は、もっと煮込み、
人生をもっと味わい深いものにいっそ仕込んでしまい、
その過程を、’美の在り方’として、
自分なりの考えを整理する場としてブログを活用します。

そこから、一つでも、お仕事へ繋がったのなら、
ある方の言葉をお借りしてしまいますが、
それこそ、ありがたさ、以外何もありません。

これからも不定期で、
’美の在り方’に焦点を絞り、
あくまで自分の整理のためにブログを更新して参ります。

それでは、今年お世話になった皆様へ。
そして、ブログを観て下さっている皆様へ。
どうぞよいお年をお迎えください。

エステティシャン美知






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2018年10月07日

【2018年10月7日】ご予約の前に御一読下さい。

日頃より、ビゼンをご利用下さり
誠にありがとうございます。

ビゼンをご利用されるお客様への
ご利用概要を一部リニューアルしました。
ご予約前に御一読下さい1 ビゼン20181001.jpg

ご予約前に御一読下さい2 ビゼン20181001.jpg

ご予約前に御一読下さい3 ビゼン20181001.jpg

初めてのお客様は
上記をご一読下さい。

皆様のご予約を心よりお待ち申し上げます。

ビゼン
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2018年09月30日

【2018年9月30日】予約フォームを一部、リニューアルしました。

日頃より、ビゼンをご利用下さり
誠にありがとうございます。

ビゼンの予約フォームを
一部リニューアルしました。↓↓↓

https://my.formman.com/t/b6iN/

皆様のご予約を心よりお待ち申し上げます。

ビゼン
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2018年05月28日

【2018年5月28日】ビゼンエステ営業再開のお知らせ

先月4月30日を持ちまして、
ビゼン沖縄那覇サロンの閉店し、
しばらくお休みを頂いておりましたが
ビゼンエステの営業再開に伴い、
6月1日より予約の受付を開始致します。

現段階では、営業エリアを『愛知県三河地区』にて限定し、
お客様のご自宅、またはご希望される場所へ
出張する形式を取らせて頂きます。
(ご要望に応じて沖縄県那覇市・都内青山への不定期出張あり)

また、誠に申し訳ございませんが、
セキュリティ上におきまして、
当面はビゼンを1回以上ご利用下さった既存のお客様、
及び、そのお客様からのご紹介のみ、
また、挙式を控えた花嫁様のご予約に
受付を限定させて頂いております。

営業日時におきましては、
完全予約制にて承りますので
メールでのやり取りにて皆様のご予約を確定させて頂きます。

尚、ご予約方法はこれまでと変わらず、
ビゼン公式HPのご予約フォームをご利用下さい。>>>

また、ビゼン公式LINE,及び
サロン専用携帯やSMSにても承っております。

再び、お客様のエステをビゼンが担当できますことを
心より楽しみにしております。

皆様のご予約を心よりお待ち申し上げます。

ビゼン
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2018年02月09日

【2018年2月9日】ビゼン沖縄那覇サロンの大切なお知らせとご報告

2015年4月よりビゼン沖縄那覇サロンは
那覇市金城にて開店しましたが
誠に残念ではありますが同年4月30日を持ちまして
沖縄那覇サロンの営業を終了致します。

その後、愛知県三河地区出張エステを再開、
準備のためにしばらくお休みを頂きますが
まずは愛知県の既存のお客様のみ営業を再開致します。

また、スキンケア化粧品を日頃お買い上げ下さっている
表参道青山、沖縄のお客様につきましては
日常のご自宅美容、また商品に対する疑問、ご質問等ありましたら
今まで通りメールにて対応致します。

詳しくは、当店ビゼンblogからご覧下さい。
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2016年01月20日

【2016.1.20】

1月28日〜ビゼン沖縄初「体感型スキンケアセミナー」を開始致します。

詳しくは、こちらをご覧下さい。>>>
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2015年04月30日

【2015.4.30】

ビゼン沖縄那覇サロン、オープン。

詳しくは、こちらをご覧下さい。>>>
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2013年04月30日

【2013.8.1】

ビゼン南青山店から青山隠れ家プライベートサロンへ移転致しました。

詳しくは、こちらをご覧下さい。>>>
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2012年12月01日

【2012.12】

青山・表参道ライフガイドに当店ビゼンを掲載して頂きました。2012.11.27.jpg
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2012年09月02日

【2012.9.2】

季節のキャンペーン・愛知への出張日程等詳細は当店公式ブログをぜひご覧下さい。>>>
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