ビゼン「新」ブログ

2019年02月22日

物足りないくらいがちょうど良いバランス。


川崎へ行った時のくすんだ空模様、画像に残します。

お天気なんですけどね、ちょっと残念でしたけど
ポカポカした陽気で気持ち良かったです。

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横浜のお友達が
Facebookで「今日は花粉症がひどくて辛い」
とつぶやいているのを見たのですが
4年半の沖縄生活で封印されていた私の花粉症も
ここで再発を遂げました。汗。

さて、
川崎駅近くのスターバックスで
作成した記事に少し手を加え、
今日の記事にしたいと思います。

こんなこと、考えていました。

私は、
20代後半から東京都内へ引っ越し、
世田谷で4年、渋谷神宮前で5年、関東で生活をしていました。

6年経った今では
地元岡崎市の生活がすっかり板につき、
川崎エリアですら大都会だなあと思い、
生活空間の変化だけでなく、
自分の価値観や感覚の変化を味わっています。

生活空間は、何かしら
自分の心に投げかけてきます。

今、幸せ?
今、充実している?

というように。

都内で生活していた時の私を表現するなら、
戦闘態勢。

なので、幸せ、という真のキーワードは
持たなかったような記憶があります。

ビジネスの成功を勝利にあてはめ、
自分で自分に何かしらの課題を掲げながら
日々過ごしていました。

人に会う、これは自分の仕事の上位マスト。

個人集団に関わらず、パーティやセミナーへと
「人と話せば、何かビジネスチャンスになるかもしれない。」
と本気で思っていました。

だから、スケジュールが空くと
「これでいいのだろうか。」と
不安になり。

自宅でゆったり過ごす時間は
チャンスを逃しているような錯覚に陥り、
マラソンランナーが自分を追い込みハイになるあの感覚に似ているというか、
休むことは、当時の私には罪でした。

東京の大都会がそう感じさせるのか、
周りが同じだったからそう感じたのか、
はたまた勝手に自分の中で作り出したのか、
分かりませんが、
生活空間から持たされることは確かで
目に飛び込んでくる光景や、
耳にはいる情報のすべて
5感が感じてくれる何もかもが

今の私は、と言いますと。

ちょっと物足りないくらいのニュートラル。

戦闘態勢の’せ’の字も残っていないと思っていますが
主人に言わせると名残がまだあるようで
なので、自分なりに、
穏やかに、和やかに、日々過ごすように務めています。

まるで真逆のような在り方ですが
そこから見えてくる日々が自分にどんな影響を与えているのか
都内生活を懐かしみながら
川崎のスターバックスで考えていました。

人生って何事においても
ちょっと物足りないくらいの腹八分目くらいが
ちょうど良いバランスで
そのバランスによって、自分の心が素直に感じる豊さに直結しているなあと
ぼんやり感じております。

そこを、美しい在り方の一つとして捉えてみますと
たとえば、どれだけ栄養価が高い食品でも
食べ過ぎたら毒に変わります。

どんなに身体に良いものでも
浴びるように摂れば、バランスを崩し、毒なんですよね。

たとえばお買い物。

限られた予算の中で
四苦八苦して買うからこそ
手に入った時の喜びは一塩であり、
手に入れた品を使う楽しみも増すというもの。

もし、お金に糸目をつけず
欲しい物全てが手に入ったら?

果たして心のバランスは整い
満足できるのでしょうか。

たとえば、休息。

私は、休む事を罪だと思っていた時期がありますが
身体は適度な休息をするから充電になり
次へのパフォーマンスが高まるし、
一度立ち止まって自分自身を見返す機会にもなる。

もし、一時も休憩しなければ
身体においては
怪我や病気をしかねず、酷いと過労死が待っています。

心においては、
働けど働けど、どれだけ結果を残しても足りず
いつまでも走り続け、
やがて心が病んでしまう。

そう考えると
身体だけでなく、心の休息にもなるわけで
休まない人生は決してバランスが取れているとは言い難い。

だからといって、休んでばかりいれば
暇を持て余し、良からぬことを考え始め、
ぐーたら癖がつくのも決して美しくない。

そう捉えると、私の東京都内時代は
女としてのバランスすら
乱れ始めていたのかもしれないなあと
久しぶりの関東エリアに来て
ぼんやり考えていました。

この画像は、まさに戦闘態勢真っ只中の頃です。
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たとえば、女性にとっての華やかさ。

持てるものなら身につけたい魅力の一つだけど
忘れてならないのは、
女性の華やかさは、
外見だけではない、心の華やかさがイコールだということ。

外見ばかり、着飾ることだけに走ってしまうと、
止められない美容整形のように
枯渇した心に歯止めが効かなくなり、
美のバランスが歪み始めている様に気づけず、
人としての温かさから
かけ離れてしまうのかもしれない。

だからこそ、何事も
適度にほどほどに
腹八分目がちょうどよいバランスで
ちょっと物足りないくらいがちょうど良いのでしょうね。

今、幸せ?

との質問に素直にうなずけるなら、
自分にとっての正しい答えとして間違いないのではないでしょうか。

誰かがジャッジすることとも違い、
素直に自分の心がどう感じるか。

その答えは、
自分の中だけにしかないように思えてなりません。

ということで、
この日は、主人の出張だったので
どっぷり仕事より、休息も大切。

ということで川崎から車を20分走らせ、
横浜中華街へぷらっと観光をしてきました。

私は10年ぶり、
主人は初横浜中華街です。

横浜中華街5.jpg

横浜中華街3.jpg

 

時間の都合上、
食べ歩き探索になり、
ネットで調べた有名店を数か所寄りました。

小籠包、焼売のくし刺し、肉まんとちまきを食しましたが
大の大人二人分の胃袋はこれで満たされた。

横浜中華街4.jpg

とっても印象深かったのは
実は中華街のグルメ以上に、
横濱媽祖廟隣の小学校の光景。

横浜中華街2.jpg

この生活空間色の違い!

ここに住んで、
この学校に通っていれば
当たり前の生活になるのでしょうけど
愛知の田舎から訪れた私には
とても印象深い光景で、
今住んでいる岡崎市が、今の私にはちょうどいいなあと
気づけることにもなりました。

いつもの生活環境から違った景色を見る。

自分の人生の色どりを
より鮮やかにしてくれたようです。

主人のお仕事のおかげで遠出していますが
趣味と実益をかねたようなこのライフスタイルに
私の貴重な時間にもなり、
有難さしかありません。

帰路に向かう途中、
静岡のとあるサービスエリアに立ち寄りましたが
美しく桜が開花していました。
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もうすぐ春、ですね。




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続きを読む
posted by Michi at 08:46| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年02月21日

時間は距離を超えられないからこそ、大切にしたいこと。

先日、川崎へ行っていました。
今回も主人の出張に便乗です。笑。

川崎は神奈川県ですが
私にとっては久しぶりの関東エリア。

雨は降らず、気温が13度まで上がったので
寒さよりむしろ少し汗ばむ程。

しかし空は、霧でもない、
もやもやによって澄み切った空ではなかったのですが
私にとっては懐かしい東京都内生活を思い出させる日となりました。

主人の仕事終わりを待つ間、
川崎駅近くの静かなスターバックスに腰を下ろし、
穏やかな景色を眺めつつ、
ブログ記事を作成をしていました。

お店のfreewifiを繋げていたのですが
更新しようとボタンをクリックした途端、
PCのセキュリティブロックが入り、
記事更新に至らず。

その記事はひとまず温めておき、
改めて更新しようと思います。

51.jpg

実は、出発直前に
自宅に小包が届いていました。

届け主を見て、すぐに誰だか分かりましたが
あの時は先を急いでいたので
小包には少し待ってもらい。

今日は、その内容を更新したいと思います。

小包主は、
当店で長らくエステティシャンとして
私の右腕以上の活躍を勤めた
元社員Yさんから送られた結婚祝いでした。

私が都内に引っ越した翌年、
2005年になりますが
SNSのmixiを通じて
バーチャルからリアルなったのが
Yさんとの出逢い。

私はビゼンとして、
田園調布で営業活動を開始した翌年、
当時、お世話になっていた不動産会社を営む社長のご厚意で
その会社の
私が自営業になり

その時、社員を志望してくれたのがYさんです。

彼女にとって碑文谷は
電車を乗り継ぎ、目黒駅からバスに乗り換えるといった
アクセスが悪い中にも関わらず、毎日通ってくれました。

サロンワークの傍ら、
某旅行会社さんのイベントにブースで
催しに参加した時があるのですが、
Yさんも初めての経験ながら
穏やかに勤めてくれました。

当時、仲良くさせてもらっていた
ネイリストさんの協力も大きく、
私たちのブースは無事終了できましたが
Yさんはそのネイリストさんともすぐ打ち解け、
天然の穏やなペースというか、
私にはぜったい真似ができない
ムードメーカー的存在になっていました。

エステティシャンと言えば
女性としての自信が美しく映りがちで
キャリアを積むほどに自信が強よくなり、
ある意味必要な要素かとも思えますが
女性としてどことなく冷たい、
近寄りにくい雰囲気にもなりかねません。

彼女はまったく真逆で
人柄そのものが相手の心を癒やしいくような
不思議な魅力を持つエステティシャンでした。

そんな彼女を横目に
私は駆け出しながら、
新しいことへの挑戦を大切にし、
常に不安と隣合わせでした。

それでも表向きは華やかさを心がけていましたが
都内でのエステ経営はランニングコストがかさみ、
正直、調子がよい時ばかりとは言えず紆余曲折したり、
経営者として至らないところが多かったにも関わらず、
隣では、
穏やかにペースを乱すことなく、
Yさんががっちりサポートしていました。

自分の持ち場はしっかりこなす。

笑顔を絶やさず、
一見穏やかすぎるかと思えても、
営業しての結果は地道にあげており、
実は、私自身Yさんに励まされていたし、
とても背中を押されていました。

そんな彼女を悪く言う人は
誰一人聞いたことがありません。

やがて、結婚を機に
寿退職をして会社を去りましたが、
Yさんの結婚式にご招待を頂き、
私はスピーチをしました。

式では、感極まりなく声がつまり、
私のスピーチは悲惨に終わったのが今でも申し訳ない心残りになっていますが
勤務期間は責任もって勤めあげただけでなく、
実店舗の南青山店をオープンしてからも

その後、
Yさんの一人目のお子さんの育児が落ち着いた時と
南青山店が起動に乗ったタイミングが重なって
その時は、エステティシャンではなく
在宅で予約管理をするオペレーターとして
当店の仕事を再開してくれました。

元社員のため、当店を熟知しているので
細かい説明を省いて即戦力になり
あの時は本当に助かりました。

そんなYさんは、今では2人のお母さんになり、
旦那さんの事業が起動に乗り、都内の一等地に自宅を構え、
私とは
一年に一度の年賀状と、時より、旬の果物を送ってくれたりと
お顔を見て、直接話すことが難しくなりました。

それでも、
ご家族で幸せに満ちあふれた穏やかな様子が
お手紙からしっかり伝わっています。

今でもこうして、やり取りが続いているなんて、
私のかけがえのない財産になっており、
人との出逢いが深い香りを帯びていくのは
時が経っていく毎に深みを増し
その素晴らしさを理解していけるような気がしています。

Yさんからの小包を心待ちにして
昨夜、川崎から帰宅してすぐ、
主人にそんな説明をしながら、一緒に開封しました。

近況もお手紙に添えてくれて、
目がうるうるしないわけがない。。。


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もし、生活環境の変化に距離があるなら、
風土や土地はもちろん、
今まで頻繁に会えていた人とは
会うことが難しくなり
変化と共に
必然的に人の環境の変化は
避けられない時が訪れます。

それでも尚、
関係を続けたい人がいれば
距離を超えなければならない。

世の中がどれだけ便利になっても
ドラえもんのどこでもドアが無い限り、
愛知県から東京まで1分で行かれないように
時間は距離を超えられない。

良好な関係は
無理をして遠くへ会いに行くことでもないし、
背伸びして自分の身の丈を超えた何に挑戦し
頑張っている自分を見せることとも違うような気がしている。

大切な事って
今、目の前のやるべきことに
心を込めてやることの日々の積み重ねと
そんな日々に幸せを感じられる自分でいることで
相手に幸せが届く。

だからこそ、
自分自身にも言えることで、
幸せは与えられたり、
幸せなんだと恩着せがましく言い放つことでもなくて、
自分の心が素直に感じられる日々を
過ごす以外にない。

幸せな生活を送っているのか、否かは、
言葉や行為では偽ることが出来ず
必ず満たされている心が
言葉の節々や、行動に相手に届いてしまうものでは
ないだろうか。

幸せの形は人それぞれ。

それなりにでも
幸せだと言えるような日々を過ごすことは
良好な関係を築くために
欠かせない条件とも言えるのかもしれないと
新しい圧力鍋を眺めながら
ふと考えていました。

私は昨年3月に入籍し、
今年、パーティを催す予定ですが
ゲストをお招きしての結婚披露宴はしません。

金銭の問題ではない
他の諸事情が理由で
だからといってわざわざ結婚したと
友人知人周りに伝え歩くのもどうかと思っており、
限られた知人友人とつながっているFacebookや
ブログでの公開程度で
個々へのダイレクトなお知らせはほぼしていません。

これが、
私たち夫婦には合っているスタンス。

また、今年は
昨年のように、
その前の年に頂いた方への年賀状を
同様に投函することを敢えて避けたため、
今年は、わざわざ年賀状を頂いた方だけに
返しています。

その中にYさんがあり、
「実は…」と添え書き程度にして
返信をしたので
小包が送られてきた時、
心がじんわり熱くなりました。

ブログから伝えるのは
失礼かもしれませんが
もしブログを読んでくれているかもしれないので
この場をお借りします。

わざわざ気を遣い、
この愛知県まで郵送して
素敵な結婚祝いを送ってくれ、本当に有難うございます。

お品はもちろん嬉しいのですが、
Yさんのお心遣いは本当に感動しました。

頂いた圧力鍋、大切に使わせてもらいますね。

いつかお顔を見ながら、
Yさんご家族みんなでゆっくり会えたらなあと思いをはせ、
主人と東京都内へ行く機会があったら、
その時は連絡させて頂きますね。

↓昨年9月に主人と行った北海道旅行にて。
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posted by Michi at 09:35| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年02月13日

活気ある場所から感じさせてもらったこと。

「気になる商品があればまずはご相談下さい。
日本どこからでも取り寄せられるよう務めます。」

というニュワンスだったかと思いますが
前向きな心意気を感じられる
実家の隣町にあるスーパーを
私はたびたび利用しています。

個人的感想ですが
無添加食品にこだわった品揃えも豊富で
このスーパーの商品クオリティは
主婦目線からして本当に有難い!

私のお気に入りを1点紹介しますと、
片口いわし、昆布、椎茸
のみだけを粉末された商品があります。

違和感を抱くような人工的旨みと言いますか
そういうのを感じさせません。

素材そのものの香りがふんわり漂い、
お味噌汁、炒め物、和え物、鍋と
たいていの料理のベースに活かせ
我が家のキッチンには
欠かせないレギュラー選手です!
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今の世の中、
無添加食品にこだわろうとしたら
正直、キリがありませんよね。

食品添加物が身体に与える悪影響は
以前、自分のお店でエステティシャンとして
アルバイトで働いてくれていたスタッフ自身が
過去その業界でお仕事をしていた経験から
食品添加物の有害性や
商品の含有量について
現場の様を教えてくれ、
「〇〇だけは絶対に口にしないでください!」
と釘を刺されたことがあるのですが
あの時は驚愕した記憶があります。

その中身はさておき
この手の話題は
インターネットさえ見られれば
簡単に得られる時代です。

どの程度、自分の理解に変えていくかは
それこそ個人の価値観ですが
あまりに食品添加物に執着しすぎると
まずこの時代生きていけません。

健康を害する問題は
否定できない事実としても
あくまで、
自分なりの食に対する責任の範囲でよいのではと
私はほどほどに捉えています。

究極、こだわるなら
まず生活環境を徹底しなければ。

人の手が行き届いていない大自然の中で生活し、
その上で川や海へ行き、猟をして、
自分の畑で自分で野菜や果物を育て、収穫して、
自給自足しなければなりません。

第一に
地球そのものが汚染されていると
取りざたされていますし、
仮にその中でも、よりクリーンな地域を捜し当てることが
ほぼ難しいかと。

そこまで究極路線を進まず
あくまで今の生活の中で
こだわって過ごすなら
それでも自給自足は必須になりますね。

当然、外食すら出来なくなります。

となると、
「ランチ行きましょう。」
「仕事で会食ありますよ。」
とお声を頂いても、不自由でならないですし、
社会的支障が出てしまいます。

仮に、
それでも私は無添加食品にこだわるの!としたら、
まず前提に
その素材そのものがどの地域のものなのか、
どんな環境(肥料や栽培も含めて)で育てられ、
どんな機械を使って収穫され、
収穫からどんな行程を経て商品化されているのかまで
自分の足でその事実を
自分の目で確かめなければ
確かとは言えません。

こうなったら、
どこそこの研究家や、博士号を取得されている
お堅いの域でしょうか。

ストイックに生きると
お金がいくらあっても
足りませんね。

お仕事ではなく、
あくまで食べる目的として
「これって、何が入ってるの?」
「どれそれが入っているからこれ食べられんわ。」
と、事ある事に原材料を知ろうとしたり、
小難しいことを言い始めたら・・・。

もし、親しい中の食事会でそんなことを言い始めたら
その場の空気を乱すこと間違いなし。

私はそこまでできないなあ。

時代の便利さをうまく活用しながら、
自分なりの健康を意識しながら
商品を取捨選択し、
なにより食を楽しみたい!

なので、上記のお出しは
素材そのもので作られたお出し&個人的美味しさ
という私の身勝手な評価によって
我が家の定番だけでなく
大切な主婦友だけに
「よろしければどうぞ。」と
こっそりプレゼント。

さいきんですが、
そのスーパーが地元TV番組で取り上げられていました。

たまたま先日、買い出しへ行ったので
敢えて混雑を避けて平日朝10時に行ったにも関わらず
数あるレジなのに
すでに人が並んでいました。

メディアの威力でしょうかね。

おまけにです。

ほぼ、と言っても過言ではないほど
レジに並んでいる人のカートに乗っている
お買い物かごの商品は
たいてい大盛です。

大げさでもないんですよー

しかも、お一人なのに2かご大盛!
という大物もおられ、だから、
レジの大混雑の理由はここにあるのですが
しかも2!

こっそりそれぞれが利用している料金を目をやりますと
1万円以上のお買い上げされている方がざらでして。笑。

スーパーですよー

不景気だわ!と
騒がれている日本経済と
無縁な雰囲気を味わいたければ
このスーパーをこっそり教えちゃう。

そのくらいの繁盛さで、
TVに取り上げられる前からこの状態ですので
宣伝広告いらないのではと
個人的に思っています。笑。

私はこれまで14年、他県で生活をしてきましたが
kinokuniya、成城石井、りうぼうなどなど
客単高めのスーパーにたびたびお世話になってきましたが
お世辞なしでここは負けず劣らず。

もし、生活範囲内から外れ
車で2時間以上かかってしまうような遠い場所にあったら
なかなか行かれませんから
身近にあってくれて
個人的にとても助かっています。

でも、です。

すべて良い面ばかりとも言えません。

以前、イ〇事件のブログを公開したことがあるのですが
購入先は、このスーパーでした。

私自身、これまでの人生の中で
アルバイトで飲食店(食品も販売していた。)に
勤めたことがありますが、
商売で食品を扱う管理は
小難しいことは分かりませんが
簡単ではないことくらいは知っています。

だからこそ
「気になる商品があればまずはご相談下さい。
全国どこでも取り寄せられるよう務めます。」
というコンセプトが掲げられることって
会社としてとても勇気ある行動だあと感じています。

私は偶然にも、
イ〇事件に遭遇してしましたが
過去のアルバイト経験がリンクして、
「あのスーパーなのに?!」
と大げさに騒ぎ立てたり、
悲壮感を漂わせたり、
自らクレーマー化して
悪臭を放つモンスターのような
失態は一切せず。笑。

私なりの良識ある大人な対応を致しまして
その商品を現金でもって返品してもらいました。

どんな徹底した管理の中でも
不足の事態は起こる。

だからこそ
より良い環境の向上に充てられる謙虚さを
個人だけでなく、組織として養っていけるのでしょうね。

ですから、
偶然にも不足の事態に出くわすようなことがあれば
相手に悪いからといって口を閉ざす必要はなく
むしろ、本当に相手を思いやっているのなら
伝えることは大切ではないでしょうか。

つまり、どんなに「良い」と思えることでも
「すべてが良いとは限らない」という根本があるわけ
そこを見落とすことで
いろんな判断がぶれていくのかもしれません。

私がこのスーパーを月に3回は利用したり、
広告宣伝が必要ないのではと
個人的に感じるのは
実は、
この件の対応が良かったというわけでもなく、
品揃えに限ったことでもありません。

このスーパーで働いておられるスタッフの方が
異常な活気ではない、
気持ちよい元気さがあり、
雰囲気が良いのです。

野菜コーナーも
鮮魚コーナーも、その他の売り場も然り。

(すべての方とは言えませんが
大多数の方が感じいい!)

お仕事に携わっている人たちの雰囲気からして
人に品が集まり、
人に人が集まっている効力も
拭い去れません。

私は、ある時期から
相手の反応を無視してまで
一方的に何かを人に薦めようとする姿勢に
違和感を抱くようになりました。

これは良品だから使ってみて。
この人は素晴らしいから今度紹介するわ。
このお店は自信を持っておすすめしたいから行ってみて。

という伝え方は
相手の行動を変えさせようとする言葉を含み
押し売りさが強くなります。

私の回りにも
やたらそう口にされる方がおられますが
御本人は気づかれていないようで
もう違和感満載。

何より、
そのご本人から幸せな雰囲気や
人としての温かさが伝わってこないのです。

このスーパーに限らず
物事には
いい面、悪い面、その間もあって成り立つ原則があり
それらを理解した上で
自分がどう感じるかであって
良いものを良い、と伝えることはあっても
それを一方的に、相手の行動を変えさせようと伝えるのは
違和感が起こるのは自然な感情です。

お仕事なら仕方ないにしろ、
あまりに押しつけがましいと
心のしたたかさやずるさ、
自己利益の追求を垣間見ているようで
薦められれば薦められるほど
手を出せなくなるのが
正直なところです。

私が、前述した我が家のお出し定番選手を
主婦友にこっそりプレゼントするのは
日頃、ぶつぶつ交換をしながら楽しんでいる間柄、信頼関係があり
「よろしければどうぞ」という
スタンスでお互いに渡し合いを楽しんでるのであって
そこには、見返りの心は1ミリもありません。

物も然り、人も然り、考えも然り、
仕事でもないのに一方的に薦めてくる在り方には
誰かに言わされてるの?と思えてしまったり、
尊いことだと暗示にかけ自己満足にひたっているようにも
受けて取れ、
自分自身の心を満たすことに夢中になっているような利益主義にしか映らず、
身勝手なしたたかさや狡さが漂います。

仮に、
「それは間違っていますよ。」ともし一方的に言わた時、
伝え手自身が自立されていて、
常に自分と向き合い、
人としての在り方がしっかりとされていれば
納得せざるを得ませんし、
そういった人からは
優しさとか、
心地よさや温かさを素直に感じるものです。

あくまでも私の捉え方ですが
一方通行の類の人に限って
なぜか、人としての温かさがないというか
生き方が地に足がついていない姿というか
そう感じてしまい、
その人の中を知っていくと
自己啓発とか
ネットワークビジネスとか
新興宗教とか
一見、自分成りの考えを持っていそうで
どこかから借りてきた在り方に
どっぷり浸かっている傾向が強いことを
垣間見てしまったことがあります。

その人に
相手を思いやる温かい心があるかどうかって
嘘をつけません。

商品選び、
人としての雰囲気、
お店作り、
いろんなところから発せられていて
正直、明るさを感じます。

人も然り、雰囲気というものは
嘘がつけませんね。

良い品、良い人、良い空間は、
ほおっておいても人が集まり、
気持ちいい活気があるし、
見ていて楽しそうで、何より明るい!

敢えて宣伝しなくても
敢えて誰かに薦める必要はまったくないわけでして
言われなくても勝手に自分の足が動いてしまう。

良い品、良い人、良い空間、
良い生き方かどうか判断するのは
自分の中で自然と沸き起こってくる感情が
一番確かな答えなのかと思っています。

商売に限らず、
お仕事も、
人付き合いも、
すべての根っこは
ここでも人間性、人としての在り方が
すべての軸になっているように
思えてなりません。

それでは、夕食は例のお出しを使って
鍋にしようかな。






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posted by Michi at 11:33| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年02月11日

一歩間違えると強引さは奈落の底へ。

食欲旺盛の日、ってありますでしょうか。

女性であれば
排卵日を過ぎ、当週過ぎれば訪れる女性の日までの期間、
身体が本能的に栄養をため込もうとして
食欲が旺盛気味になる周期かと思いますが
その周期なのか、
先日、物凄い食欲に襲われました^^;

朝食は摂らず、(いつも通りです。)
いつも通り確定申告の作業を始め、
その変わりにお昼は、
ホッケを焼いた焼き魚をおかずに
お味噌汁と大盛の飯にお漬物を添えて
しっかり摂りました。

食べ終わったのが14時で
その量であれば
いつもの私なら夕食まで
お腹は空かないはずなのですが。

16時から夕食の準備に取り掛かろうとしましたら
無性に食欲が溢れ、
たまたま棚にあったUFOをキッチンで立ったままぺろり平らげ、
さらに、18時、
通常の夕食を頂いてしまいました。

そんな日もあるさ〜と
胃が満足した程度のたわいもない話ですが
いつもなら食べ過ぎて胃が気持ち悪くなっているはずが、
それもない不思議な出来事でした。

さて。

ブログに以前公開したのですが
昨夜入りました。

申請が無事おりました!
よかった〜

実は、
申請がおりる静かな確信が
自分の中にはずいぶん前からありまして。

なのでブログに堂々と記事にしたわけなのですが
それでも、受験結果を待つ学生に戻ったような
心境で数日を過ごしたので
連絡がはいった時は、正直に嬉しく、
このワクワク感は久しぶりでした!

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予定通りにいけば3月下旬に引っ越しです。

あと1ヵ月弱しかなく、
洋服、雑貨、食器などなど
細かい梱包の引っ越し準備は
ほぼほぼ私担当なので
確定申告作業の途中途中、
頭のリセットに引っ越し準備に充てようかと思っています。

なぜ静かな確信が私の中にあったか。

ですが
私の中だけで感じている
静かに、かつ、スムーズに事が淡々と流れていたので
間違いなく申請がおりる確信に変わったわけでして。

スピリチュアルではなく、
このリズムというようなサイクルは
これまで何度か実体験してきたので
断言できるのですが
仕事にしろ、
人との出逢いにしろ、
引っ越しにしろ、
体調の回復にしろ、
何かの課題に向き合っている時にしろ、
物事がうまく前進する時は必ずと言っていいほど、
無理な力が不要で、静かに、スムーズに事が進みます。

つまり、
無理な力が不要で、静かに、スムーズに事が進んでいるときは
しっかり前を向いて進め、という捉え方です。

この流れの感覚は
身体で覚えてきたことなので
私の中では99%間違いがないとはっきり断言できることです。

たとえば、今回の賃貸物件。

自分が住む賃貸物件を探したご経験のある方であれば
おおよそイメージ出来るかもしれませんが
物件探しを自分でやろうと思うと
けっこうな労力と時間を要します。

なので、
机上に置けた賃貸物件があるということは
それなりの労力と時間を経て、机上に乗るわけであり
私の場合、主人との住まいを探していたので
主人の考えも尊重しなければなりませんから
机上に置けたことだけでもけっこうな成果。

また、自分なりに
主人の希望や性格を理解しつつ
事前に共有できる情報は共有するという先回る行動を常に取っていたので
それでも机上に乗せた書類をさくっと却下されたとき、
正直、こんな私ですら、
どっと肩の力が抜けたのものです。

お互いの虫の居所が悪ければ
夫婦喧嘩へ発展する火種になるかもしれませんね。

私の内心は、確かに消沈したのですが
もう一方では、
「今は向き合うべき課題が残っていて、まだ引っ越しすべきタイミングはないんだ。」
と頭を入れ替えつつ、
「次の波を待とう。」と動きに変えました。

その動きは、こんな感じでした。

まず、昨年夏
時間をかけてネットサーフィンをして
賃貸物件を探し当てました。

仲介する不動産業者にすぐ連絡を入れ、
見積書を頂き、内見までしたのですが、
主人の返答を待ち悩む前に、
他者の申込みが入り、仕切り直し。

続きまして、
入居者が未だおられるので外観のみチェックをした物件がありましたが、
「エリア外。」と、主人より却下。

(いずれも賃貸物件を探す前にある程度の条件は夫婦で話し合っており、
内見前、事前に物件データを確か、主人に共有済み。)

こんな流れだったわけですが
そもそも主人の根本は、
穏やかで温厚な性格で、私とは真逆の方。笑。

「この賃貸物件がいい!」と
もし私が強引に押し通していたら、
おそらく、主人は
しぶしぶ頭を縦に振っていたでしょう。

特に、2回目探し当てた賃貸物件は
書面上だけでしたが
とっても気に入ったので
押し通したかったのが正直な気持ち。

でも、しませんでした。
なぜか。

これが本日のテーマでもあるのですが
強引に物事を進めようとすればする事ほど
人間関係がドロドロになったり、
多額の借金を抱えたり、
怪我や体調不良になったり、
目的を果たさないだけでなく、
自分自身で痛い思いをし、
後のちまで長引く、
負の資産を抱えるからです。汗。

まさに奈落の底へ。

実はおおげさでも、何でもなく、
強引に押し通そうとすればするほど
おおよそ、そうなっていますあせあせ(飛び散る汗)

長い間、満足な運動をしてこなかったお父さんが
子どもの運動会で、
若い頃に戻った感覚で
グランドを颯爽と走ろうとしたら
肉離れをして、大怪我をした。

という話は珍しくありませんが
強引とは、
まさに身の丈を知らず、
周りの環境をしっかり見ず、
地に足を付けない行動かと
私は過去の経験とその仕組みを一致させています。

先日更新したブログ内に挙げた
私たち夫婦の課題にも付随していきますが
前述した1回目、2回目と仕切直した賃貸物件の最中は
まさに夫婦で、例の課題の核心に迫っている真っ最中でした。

今振り返れば、たった1カ月弱の事でしたが
周りの環境がザワザワしていたので
私の心は静かに穏やかに過ごし、
その嵐が去るのを待ちました。

やがて、次の波が訪れたわけですが
まさにその直前、
例の課題の解決の兆しが見えたタイミングと
がっちり重なったのでした。

つまり2月1日、
結果、申請が通った賃貸物件を
その日情報公開されたばかりの新着物件が
がっちり重なったタイミングで私の目に飛び込んだため、
あの時がすでに確信となっていました。

たぶん、ここに住むだろう。

ちなみに、申請が通った賃貸物件には
現在も入居中の方がお住まい中で、
まさに内見せず、書類だけで締結する賃貸物件です。

でも、チェックすべきところはチェックしましたよ。

外観は昼、夜共に自分の足を運び、
日当たりや住まいの周りの生活環境も自分の目で確かめました。

部屋の中までは内見できないので、近寄って見て見たものの
ほぼ書面のみで賃貸契約するのは、
私自身、初めての経験です。

そして、元入居者が退去されてから
クリーニング業者が入り
所定の準備が整った後に
私たちの入居日となるわけですが
何と、その入居日が、私たち夫婦が入籍した同日。

もちろん、先方は知る由もないので
見積書を差し出された時は、正直、驚きましたし、
その書面を見た時、やはりここに住むんだなあと
断固たる確信になっていました。

「そんなこんなんなの!」と、
仲介の不動産業者から提案を主人に先日話したばかりで
二人してその偶然に笑ったほど。

極めつけは、
大家さんを調べましたら
人体への危害を考慮し、素材一つ一つ
小さな子どもも安心して過ごせるように施工にこだわった内装で
地元の建築会社が施工した
その会社の持ち物件でした。

実は今、私たち夫婦は妊活中です。

もし、運よく我が子を授かったとしても
ここなら安心して育児が出来そうだという安心材料にもなっていて、
また、将来的には家を建てる構想もあり、
その時の業者選びの参考にリアルになりそうで
私にとっては、まさに棚から牡丹餅のような
サプライズ的な要素になっています。

引っ越しまであと1か月弱。

昨年の4月末、
沖縄からこの岡崎へ引っ越した時、
とにかく私自身、身の回りの物にあふれすぎ
アップアップしていまして
私の周りに居て下さった優しいお姉さま方が
御助けに入って下さったおかげで無事引っ越しを果たしました。


去年とはがらりと変わり今回の引っ越しは、
心身共にゆとりを持って穏やかに準備にかかれそうですので
楽しみながら、確定申告と引っ越しに
取り込めそうです!

さいごにまとめますと。

思い通りに事が進まない時、
なぜうまく進まないんだろう?と
現実を責め、自分を責め、
どっぷりネガティブにはまり、我慢して過ごすのか。

それとも、
今はタイミングではないからその時期が来るまで静かに待とう、と
力を抜いて過ごすのか。

どうやって過ごすかは
それぞれの自分次第。

「今は進むときですよ!」
「今は静かに待つときですよ!」
第三者に言われ、そう動くこととも違い、
今、自分の目の前で、なぜこのタイミングで事が起こっていて、
それに対し自分の心がどう感じていて、
どう理解に変え、その後、どう行動していくのか、
自分で決める。

だからこそ、
人としての在り方の軸の
自分と向き合う立ち位置をぶらしてはいけないなのかと。

つまり、自分の人生の責任は
あくまで自分にあります。

私なら、力が抜けた生き方を選びたいと素直に思いまして、
だからそうしていますが、
肩に入れて過ごす時期が比較的長かった
これまでの自分の人生41年間に比べて今は、
嘘のような身軽さで過ごしています。

周りにいる人の人間性を上から目線ではなく相手の言動から冷静に見れるようになり、
またその先起こるであろう事を冷静に想定する視野を持てたり、
自分自身で自分の目の前の優先順位を冷静につけられるようになり、
また、今やるべき目の前の事に
自然と集中できるようになりました。

そして、いつも、心地よい在り方で
時間を過ごせるようになりました。

また、
良いこと悪いことをはっきり
心から淡々と他者へ言葉にして伝えられるようになりました。

この在り方には
天と地ほどの差がありまして、
そうなれたのは主人はもちろん、
周りの環境のおかげ以外の何者でもありませんが
一方では穏やかさとはかけ離れた課題は
現在も向き合っています。

しかし、事が事であっても対して心を乱すことなく
本当に穏やかで豊かな日々を過ごしており、
なにより今幸せです。

自分へのマインドコントロールのような
怪しい在り方ではありません。

心が軽くなったという感じでしょうか。

何事にもガツガツと強引に
目的に向かって猪突猛進していた時代の私を知っている方が今の私を見たら、
その変わり様に驚かれるかもしれませんね。

もちろん、目的を見出してから、
机上に乗せるまで
自分なりに、与えられた時間や環境の中で
水面下でとことん動いたからこそ、
今に至っています。

今、自分の目の前にある
経験、時間、生活、金銭の身の丈。

つまり身の丈を見据えながら
動きました。

私がもし、
過去の経験を活かさず、
生活をおろそかにしてまで昼夜物件選びに励み、
夫婦で話しあった賃料を超えた豪華な物件ばかりを並べ、
強引に契約を突き通したら?

それこそが、身の丈を誤った道へ
まっしぐらです。

当然、主人は却下し続けます。

その却下し続ける主人をもし私が攻め続けたら?

奈落の底へようこそ、です。

どっぷり相手に頼りきり、
もっと稼いでくださいと金銭的に無理をさせ、
相手を奴隷にさせるの如く
傲慢に過ごす。

たまたま運よく、机上に乗せられたとして
たまたま運よく、契約に漕ぎつけたとしても
その前に
「もっと裕福な男性と一緒になって下さい。」と
三下り半を突き出されるのがオチでしょう。

事はスムーズに進むはずはなく、
仮に、主人が私に合わせようとなれば
本人は無理をします。

稼ぎが未だ足りない、未だ足りないと
いくら稼いでも満足できないような精神的に病んでいってしまうか、
お金を増やそうと無理な投資に走ったり
人生そのものの判断を誤っていくか、
身体を酷使させた労働を課して身体の病気を患うか。

これこそが、強引を押し通した奈落の底かと
私の過去の経験から、これも確信しています。

また、私と主人は夫婦ですが
目の前のすべきことはお互い違います。

だから、
必然的に動ける時間や労力は異なります。

役割を自分たちの中でしっかり決めていて、
今回、私なりに、身の丈を確かめながら
動きました。

なので、のほほんと
待っていただけではありませんよ〜^^

旦那さん宜しく〜という
甘ちゃんでもありません。笑。

私成りの持ち場の中で
やれるところまでは
自分なりにやり尽くしました。

その後は、うまくいくときはうまくいく、という捉え方で待ち、
途中途中、こけたり、何かしらうまくいかないようなサインが出た時は
今は時期ではないんだと、
潔く諦めただけのことです。

自分の人生を自身に強引に押し通すことも
やはり無理があります。

そばにいる人の弱みにつけこみ
自分のわがままさと
したたかな思いを強引に押し通すことも
やはり無理があります。

また、そんな人を肯定していく在り方も
ミイラ取りがミイラになる在り方であり
やはり無理が生じていきます。

そこにしっかり自分自身に目を向けられることって
とても大切なことではないでしょうか。

これって、
肩の力が抜けたスマートな生き方だと思いますし、
美しい在り方だなあと
先日の申請の回答を頂きながら、
内心感じながら担当の方のお話しを聞いていました。

さあ、引っ越しの梱包の前に
まずは段ボール集めから始めようと思います!






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posted by Michi at 12:59| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年02月09日

温かい家庭を築くに欠かせない秘訣。

カレンダーは
今日から3連休。

お休みの方も多いでしょうか。

私は、ここ数日、確定申告の作業のため
散歩がてら近所へお買い物に行く程度で
ほぼほぼ部屋にこもっています。

1〜6月分はずいぶん前に終えているのであと下期のみですが
丸一日、べったり確定申告だけをしているわけもいかず
おそらく今月中はずっとこの調子でしょう。

また、このタイミングで
主人の会社で使用している会計ソフトを
別のPCに乗せ換える作業もしていて
これがまた分かりにくいマニュアルで・・・
スムーズにいかない。汗。

何より
落ち着いてこの作業に向き合える環境が整っているのは
主人のおかげ以上の何物でもないのですが
この時期は、私の脳みそがフル回転しますので
自炊がとても良いリセットになっています。

数日前、3日間の夜勤を乗り越えた主人から
「今日はたっぷりお酒を飲みたいので、つまみメインでお願いします。」
とリクエストが入りまして、こんな感じに作ってみました。↓

46.jpg

手間のかかった順から説明しますと
画像上の大き目のお皿には
エノキを豚ばらで巻いて焼いた、
名前なんでしょう、肉巻きです。

大葉のリクエストがありましたが
我が家の冷蔵庫で欠品していましたので
ふりかけのゆかりをエノキになじませ代用しましたら
けっこう美味しくできました。

隣は、卵焼き。
主人好みの甘めに仕上げています。

その左隣、ラーメンどんぶりにはいっているのが
大根サラダ。

大根、ニンジン、たくあん、ちくわを適当にカットして
蟹缶に黒コショウとマヨネーズでまぜまぜして、
鰹節をふりかけ、出来上がり。

大き目の大根半分を
カットしたんじゃないかなあという量です。

中央のチーズに見えそうですが
葱を敷いた上に、味付けイカをカットして
グリルしています。

あとは、湯豆腐。
そして、前の日の残りのカレーに白だしを加え、
スープにしたものと、

お正月に作った大根と人参の酢漬け、
頂いたたくあん、
夏に作った冬瓜の酢漬けと
以前ブログでも紹介しました大根の梅肉和え
計、漬物4種。

私の理想は、
オシャレな器に盛って出すことなのですが
引っ越し前ということもあり
限られた中で
頑張って盛り付けています。汗。

ちょっとお見苦しい画像で申し訳ないのですが
対した手間はかかっていないものの
お気に召したのか、つまむという箸の動きではなく
もはや、食事のように
もりもりとくらいついておられました。

主婦をするようになって
改めて思ったこと。

不定期でも、日持ちする惣菜や、漬物を
作りおきするひと手間。

ほんとやっておいてよかった、と
日頃から実感していることです。

漬物類は、お皿に盛りつければ
すぐ食卓に出せます。

また、惣菜として
火をかけるという手間は必要だったとしても
生姜焼きのタレ、
塩コショウ、
バジルとガーリック、
甘味噌などなど
手作りのたれをこしらえまして
味のついていない生の肉や魚をジップロックで漬けておけば、
生でも1週間、質によっては10日は腐らず、保ちます。

あとは、漬かったものを
フライパンで焼いたり、
グリルしたり、
油の種類を変えれば
バリエーション豊かな惣菜がさくっと出来上がります。

でも、この事前準備、けっこうめんどくさい。

3時間以上は、し込みに時間がかかります。

でも、この「ほんのひと手間」
単なるパフォーマンスだけではいい尽くせない
もっと根の深い意味があるのではと
思っていまして。

これこそが、
「温かい家庭を築くに欠かせない秘訣。」なのかなあと
一緒に生活をはじめ未だ9カ月経ったばかりですが
おぼろげながら感じております。

例えば、
私的にかなり手のこんだ料理も
味によっては
「ごめん、これ手がつけられません。」と
惨敗する日もあります。汗。

ですが、毎日仕事が終わり、真っ先に
「今仕事終わりました。今日の夕食は何でしょうか。」
と私に電話をかけるのが
主人の日課になっておりまして
(頼んでいません。自発的に始まった。)

基本、まったくまめな人ではないので
この不まめさんが毎日、毎日、連絡を絶やさないのは
かなりの変わりよう。

主人の胃袋を掴めたのかなあと
したたかな私がおります。笑。

胃袋を掴んだ理由の一つには
前述したレトルトのルーより
なるべく、さ・し・す・せ・そプラス薬味を配合した
手作りにこだわっていることでしょうか。

たとえば、鍋の御汁の元や、
これ1つで〇〇ができますとか、
多種多様のレトルトが市販で売られ、
簡単に手に入り、しかも調理が楽で、美味しい。

私自身が自炊に飽きてしまい
時にはレトルトのお世話になることもありますが
基本的には、甘んじないというこだわり。

お好きにどうぞ、という世界ですし、
別に自慢したいわけではありませんが、
もし私が男で、
疲れて果てて仕事から戻ったとき、
レトルトやスーパーで買った惣菜が食卓に並ぶのと、
手作りでもてなされたお料理が並ぶのだったら、
毎日どちらに幸せを感じられるだろうか、と考えまして。

私なら間違いなく後者。

嬉しいし、明日も頑張ろう!
って素直になるだろうなあと思い
敢えてひと手間を自分に課して、
自主的に始めたことであります。

完璧でなくってもいいんです。

ひと手間加える、という自分なりのもてなし。
大切ではないでしょうか。

もし、夫婦仲が冷めてしまったり、
さいきん上手くいかない負のモードだなあと
思われる点がありましたら、
まず自炊にひと手間かけた出来る範囲の手作りに心がけて
半年は続けてみることを
私なら真っ先に薦めるなあ。

もう一つの側面。

私は今、夫婦で
とある課題に向き合っています。

ここでは具体的に挙げられず
抽象的な表現になり、じれったいところで申し訳ないのですが
つまり、この件は私たちが結婚する前から
主人がすでに向き合っていることでした。

その件とは、相手が居ることです。

その相手が、主人に甘え、頼りきっており、
そのことで現実に迷惑をこうむっており、
行動を変えてほしいとひたすら訴え続けている課題です。

相手は、
「主人に迷惑をかけないよう、変わろうと精一杯努力している。」
と謙虚に話されるようですが
具体的に何度主人が訴えても、
口とは裏腹で、行動は、何も変わられないようで。

完全に自立できていません。

そんなやり取りが長い間続き
いつの間にか諦めか、慣れあいか、
問題は解決されないまま月日が過ぎ、
そんな在る日、私との結婚が始まりました。

私と結婚するまでは主人だけの課題でした。

ところが、夫婦になった以上、
私にも必ず関わるため、夫婦の課題へと発展したのです。

私は、まず相手の良い悪いではなく
人間性を理解してみることから始めました。

どんな人なのか。

その相手がどんな人たちとの関わりを日頃から持ち、
何を大切にしてこれまで過ごしてこられたのか、
という具合に。

次に、なぜ、
問題に冷静に向き合えないのかを。

主人はその課題に
むしろ諦めの境地に入りつつあり、また、
「人を嫌いたくない。悪く思いたくない。」という
肯定や、かばう心すら芽生えていました。

冷静にならなければと自分に言い聞かせ、
相手の心の内を掘り下げて
相手の立場から立ってみました。

内容が内容だけあって、
私がこの件をもし誰かに相談して
「あの人がこう言ってくれた。」
というコピー的な在り方をしてしまうと
まず言葉に説得力が欠けてしまう。

極力避け、綺麗ごとや机上の理論ではなく、
事実を自分の目で確かめる必要があると思い、
証拠となる物をひっくり返して、
過去から今日までの流れに
洗いざらい目を通しました。

そして。

よりによって
その相手と席に座らざるを得ない事態が
私自身に起こりました。

品のない表現ですが
真っ向からやり合いました。

私としてはやり合ったつもりは毛頭なく、
あくまで社会的良識として
「それは人として間違っていますよ。迷惑をかけていますよ。」
と主人が再三伝えてきた同じことを淡々と話したのですが
相手が炎上して取り乱しました。

そのやり取りが、
日を改めて2回も続いてしまいました。

私がこれまで人間関係の中で経験したことで
確信ある一つに、
話している相手が感情的になったり、
あるいは取り乱したとき、
人は、後ろめたさや、図星を得られた時に
感情を乱します。

でなければ、普通、会話は穏やかですから。

何が不安なのか。
何を怖がっているのか。
こういった性の人が陥りやすいパターンは何か。

私は、それまで以上に
冷静にならざるを得ず、
事象から考えうる問題を洗い出し、
洗い出した内容からさらに
法的に避けられない要素が潜んでいないか、
考えられる範囲の中で、自分なりに、徹底的に調べました。

すると、私の嫌な予感が的中し、
さらに次の問題が浮上。

近い未来か、遠い未来に
事が大きくなるような大問題の火種になりかねないと
自分の中の断固たる確信へと変わりました。

それを主人に伝えますと
私の心配をよそに、真向に否定しました。

「人を疑うとは何事だ。」と。

心で泣きましたが、
泣いても、現実は何も変わりません。

まず前提に
私たちは入籍して1年満たない新婚。

出来れば穏やかに、
温かい関係を育んでいきたい。

その課題を見て見ぬふりをして
敢えて触れずに過ごす選択を
私にはできました。

しかし、事が起きてからでは遅い。

心を鬼にしましたが
何より、穏やかで温厚な主人と
真正面からぶつかりあわなければならないことが
私にとっては一番切ない現実でした。

でも、最終的には自分に関わってくる。
情けは、人の為になりません。

根本は、人に迷惑をかけているという紛れない事実。

もし、
「それ迷惑だから辞めてくれませんか。」と他者に言われたら
まず、自分の手を止めませんでしょうか。

なので、私は、どこまでも交われない、賛同できないという姿勢を
主人にも、その相手にも、貫きました。

その中で私が一番大変だったこと。

それは私自身で、
人として何をすることが良識ある行動なのか、
人として何が正しい在り方で、何が悪い在り方なのか、
道徳というか、人としての道のような軸を
自分の中で立てなければなりませんでした。

その軸を徹底的に向き合うことでしか
自分を守る方法が残されていないと
そう捉えていました。

もし、軸がずれていたら?

この先、人生そのものが悪い方向へ
自然と進んでいくだろうという
覚悟も持ちながら、だからこそ、
このブログの美の在り方にもつながっているわけですが
人としての正しい在り方を
淡々と、ただただ、同じ内容を繰り返し、
主人の心に響くまで
何度も、何度も、何度も、
向き合いました。

百歩譲っても
ダメなものは、ダメ。
人として間違っていることは、間違いなのです。

そして、今。

完全に課題解決とは言えず現在進行中ですが、
少しづつ、事が前向きに進み始めているのは
本当に大きな前進です。

その相手ですが
私から見る限り、
根本的な行動は未だ、何一つ変わっていません。

きっと、
これまでの人生の中で、
「それはダメですよ。それは間違っていますよ。」と
誰も注意してくれる人がいない、もしくは、
注意できない人たちだけの付き合いに留まり、
自らの行いを省みる姿勢を持たないまま
わがままを貫き続け、
今に来てしまったのかと察しました。

「迷惑ですよ。」とどれだけ言われても
自分を抑えられず、
自分は間違っていないという思い込みから脱しられず、
だから行動が変わらないのでしょう。

相手の気持ちに寄り添えない生き方は、
人として本当に悲しいこと。

しかし、どんな原因や理由があったにしろ、
他者に迷惑をかけることは人として間違っていますから、
どれだけ伝えても変われないのであれば、
こちらが相手との線を引くことでしか
対処できないと考えを変えました。

相手は変えられないですし
こういう人が世の中にいると知れたことは
お金では買えない貴重な経験になったことには
違いありません。

相手を見極める、
相手に期待しない、
という見方は、
決して穏やかでありません。

気分がよいことは何もありませんが
人はその冷静さをいかに自分の中で持てるかで
これからの人生を大きく左右するような気がしてなりません。

私は主人と向き合った過程で
どんなに辛くとも
自炊の手間だけは惜しみませんでした。

時間がかかりましたが、
前向きに事が動きつつあることから
自炊が大きな助けになっていたのではないだろうかと
変化しつつある主人の言動の節々が
その答えを語っているかのようです。

抽象的過ぎて、伝わりにくいですね。
つまりまとめたいこと。

考えや生き方は正しい軸を立て、あとは貫き通し、
毎日は、自炊でひと手間をかけ、温かい食事をこしらえる。

温かい食事には温かい想いが伝わり、
冷たい食事には冷たい想いが伝わる。

その食事を一緒に食べる人には
必ずその温度が心に伝わるものだと
仕事を終え真っ先に毎日電話をよこす
主人の行動が何よりの答えかなあと。

だから、もっとも身近な人を粗末に扱い、
もっとも身近な人を大切に出来ず、
自分の行いを省みることもせずに、
わがままなまま、逃げや甘さを貫けば、
長い年月を経て、自分で自分の首を締め、
厳しい現実が戸を開けて待っています。

結局は、自分の行い、思いが
すべて自分に返り、
人生の責任は、すべて自分。

私なら、そんな人生を送りたくないですし、
選択できるのなら
穏やかで温かく、豊かな人生を横臥したいなあと。

自炊は、自分なりのおもてなしの心であって、
料亭だけでなく、
もっとも自分のそばにある
自がで築く家庭そのものかもしれませんね。

人それぞれの生き方がありますが
これが、今日ふと、まとめたくなった
「温かい家庭を築くに欠かせない秘訣」
としてここに残します。

さあ、
確定申告に取り掛からなくては。





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posted by Michi at 12:06| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年02月05日

引っ越し先の訪れるチャンスを待って。

深夜になると
0度近く気温が下がっていた岡崎市も
日中になると5度以上高くなり、寒さ和らぎほっとします。

それでもって今日は、
楽しみにしていたお友達とのランチ。

ポカポカ陽気になってくれて
ラッキー!と朝からウキウキ。笑。

外出する日にお天気が崩れていると
ちょっとばかり億劫になってしまいますからねー

さて。

昨年秋から始めた新居の引っ越し先を探し続けて、早半年・・・

その間、事件が起こり、2回ほど流れていました。

さすがに2回も流れると、引っ越しを断念すべきかと過るもので、
それでも諦めず、前進していましたら。

今月入った途端、いつもの賃貸サイトをチェックしましたら
掲載が始まったばかりのほやほや物件を発見!

発見!

即、管理会社に問合せまして、先日申込み書を提出することができました。

あとは必要書類を揃え、無事審査を通過すれば
早ければ3月中旬に引っ越しで
たぶん、この物件で決めますが、
実は現入居者がまだ生活しているため
内見は出来ない物件です。

せっかく三河地区の賃貸事情を理解出来たので
お役に立てるか分かりませんが
ブログに残しておきます。

ここ岡崎市は、市内を中心に
三河地区一帯が自動車産業の街。

1つの工場に、数万人もの方々が勤める大企業もあり、
多くの家庭が車社会の中で暮らしています。

朝の出勤ラッシュになりますと
主要道路では異常な渋滞を生み、
働く皆さんは毎日その渋滞戦争をくぐり抜けて、お勤めされていて
本当にご苦労様です。

そのくらい大勢の人々が生活されているんだなあと
思うわけでして。

ということは年明け前後、春、秋の人事異動は
三河地区の賃貸事情がまさに引っ越しシーズンとなり、
激戦地と化するものですね。

もちろん物件を選り好みしなければまったく影響を受けませんが
賃料5〜8万円、築10年以内、岡崎中心地、
これらの条件を掲げてしまうと
需要の高い物件域に飛び込んでいることになります。

となれば、
人気物件は必然的にネット情報だけで内見しなまま、契約締結となるのも
うなずけます。

ちなみに私ですが
これまで、世田谷区尾山台、渋谷区神宮前、港区南青山、那覇市金城の
住居・店舗共に賃貸契約を締結してきましたが、
内見せず契約締結するなんて、まずあり得ません。

去年の夏頃、別物件のメゾネットが見つけたのですが、
そこはたまたま内見が出来たので伺いまして
見積書を主人に渡し、翌々日に申し込みの連絡を入れたことがあります。

内見から、たった3日後なのに
「半日早ければ、申し込みを受け付け出来ましたよ。」
と東建物件は流れてしまいました。

確かに、営業の方が
「岡崎市の人気物件は申し込みが早く、ネットで見ただけで申し込む方もおられるので
気になったらすぐ、連絡いただくことをお勧めします。」と言われており、
経験ない私は営業文句だと軽く受け止めてしまい、
違ったようです。汗。

そして、今回。

私の物件探しが引っ越しシーズン真っ最中に重なっているだけでなく、
一軒家のような階建てメゾネットを条件に掲げていたので
砂漠の中で花を探すようなもの。

絶対無理だから、条件変えたら?と
何度友人から釘刺されたことか・・・

それでも諦めきれず、
ホームズ、スーモ、エーブル、
手当たり次第に賃貸サイトをチェックしまくり、
年を明けるのを待って、今日に至るのでした。

これが、岡崎市、三河地区の
引っ越しシーズン中の人気物件賃貸事情と言えるのでしょう。

ちょっと路線をずらしまして、
大げさかもしれませんが
時の流れとか、タイミングってあるなあと
つくづく感じています。

タイミングが良くない時は
どうあがいてもしっくりこない。

そうせざるを得ない理由があれば致し方ないわけですが
それではない自分のわがままな気持ちを抑えられず
強引に進もうものなら、これぞ猪突猛進。

私の経験上、焦って決めたことは
何かしらのトラブルを抱える羽目になり
いい事はおおよそありません。

そこから、何かしら学んでいくものですが
やはり、焦る気持ちは抑え、
自分で静かに動きつつも、
そのうち訪れるタイミングを待つくらいの余裕な気持ちでいるほうが
待っていましたよ!と言わんばかりの
ありがたいチャンスが目の前にやってくるものかと。

今回、申し込みが出来た物件で
再確認できた気がしてなりません。

物件探しは、特に、そんな感覚が
際立ちます。

審査が無事通りますように。







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posted by Michi at 10:32| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年02月02日

それぞれのお役目。

いよいよ2月が始まりましたね。

実は先日1日、
この記事を7割方を仕上げていましたが
まだ更新には至れないなあと思い
一晩寝かせていました。

自分の中のちょっとした
違和感があったので。

少しでもそう感じた時、
心を落ち着かせて次への行動に変える余裕って
大切だなあと思う今日この頃です。

さて、
一昨日が1月最終日だと
狙ったわけではないのですが
たまたま思いつきで、主人に声をかけ
私の両親と4人で
初めてこの顔ぶれで外食へ行きました。

私の両親ですが
実母は、実父と顔を合われば
ぶすっと不機嫌そうに愚痴りはじめ、
その表情をくらう実父も負けじと反撃をするという
長らく犬猿の夫婦仲を過ごしています。

夫婦も長くいれば
いろいろあるでしょうから
なんとなく理解はしていますが
もうちょっと仲良くしたらどうかなあと
思って見ています。

ということで、
私、昨年結婚をしまして
嫁の親に旦那が会いに出向くって
よほど仲が良い家族かと思いますが
年一回の大晦日の晩餐しか過ごさないのは
寂しいものを感じていましてが
しかし、顔を合わせればやりあってしまう両親ですから、
私にとっては、夢のまた夢。

ちなみに、実母がぶすっと不機嫌になったり
極力実父を避けるのは母なりの理由がありまして。

頑固親父の代表格的存在として、
さらに輪をかけて
お酒がまわったこの人の話相手が務まる人って
この世でいるのだろうか?
と思えるほどたちの悪い実父。

私自身も迷惑をこうむることがあるほどで、
しかし、その日、
あれだけ避けていた実母が
「たまには4人で外食もいいんじゃない。」
となったわけで、私一人大騒ぎです!

地元で人気の回転寿司へ行き、
お酒も進んでいくわけですが
どんなに酔っ払って毒舌を吐いていようが
その隣でのらりくらり交わし、
しかも和やかに酔っ払いの実父との会話を楽しんでいる主人が
明らかにクッション的役割になっていました。

クッションになる人がいれば、
犬猿の夫婦も穏やかになっていくもんだなあと
私は終始圧巻で、子どもながらに
とても異様な光景を眺めていました。笑。

もとい。

ささやかながらも両親が
お互いを気遣う
かすかな温かい空気感を垣間見ることができ
2月スタートは
’それぞれのお役目’についてちょっと考えてみました。

さて、私は自分で言うのもなんですが
かなり荒い大人に囲まれて
図太くすくすくと育ちました。

周りに誰がいようと、
感情のままぶつかり合う。

それが毎日、でした。

あの時は、
隣の芝生がどこまでも青々と見えたもので
自分の家族以外の家庭すべてが
穏やかに過ごしているようにしか映らず
なぜ私は穏やかな家に生まれなかったんだろう。
と同級生の全員が、羨ましく思え、
その環境が嫌で嫌で仕方ありませんでした。

ところが大人になった今。

たとえば話相手に突然どなられたり、
ののしってきたり、
耳をふさぎたくなるほど感情的に訴えて来られましても
子ども時代に養った図太さが
冷静さを保とうとするもう一つの面として
がっちり私を支えていることに
たびたび気が付かされる事が起こりました。

人がもめていたり、
大声でどなり散らすシーンは
言葉が悪いですが、やくざの世界。

近寄りたくない関わりたくないのが
正直なところですが
たまたま居合わせた、
たまたま会話の方向が脱線して相手が感情的になってしまった。

突然、事態が急変した。
そんな場面に出くわすことってありませんでしょうか。

目の前の相手が感情的に大暴れしてきたら
こちらは逃げ場がありません。

そんな時、
相手は何がきっかけで感情に火がついたのか。
何を不安に感じているのだろうか。
どんな結果を求めているのだろうか。

と頭を切り替え、
じりじりと後ずさりし、
必要以上に自分は興奮させず、
沈着しながら居られる冷静さは
あれだけ嫌だった家庭環境だったのに
この両親に育てられなければ養えなかった一面には違いないので、
環境に対して捉え方を一つ変えるだけで
強さにもなり、弱さにも変化するものなんだなあと
発想を広げられるようになった自分がいます。

そして、反面、私は
温かい場所があったおかけで
人らしい優しさも養えました。

それが、おじいちゃんとおばあちゃんの存在。

両親や姉が大声でもみ合っているすぐ隣では
何も関わらず、静かに座る祖父や
畑仕事で収穫した野菜たちの下ごしらえを
キッチンで黙々としている祖母が
私と一緒に過ごしてくれたのは
本当に恵まれた環境でした。

同じ空間に居たのに、
おじいちゃん、おばあちゃんを目の前にしたら
私の避難場所になったんですよね。

もし、毎日、ののしりあい、大声を張り上げ、
大喧嘩ばかりの人間構造だけだったら
きっと、大人に成長してからも
その環境を心の底では安心感を抱き、
その類のタイプの人を
引き寄せてしまっていたのかもしれないという捉え方もできます。

私は、人が感情的になったとき
たった一瞬で、取返しのつかない選択をする
人の愚かさを嫌というほど見てきたので
その類の人たちとは
極力関わりたくありませんが、
おじいちゃん、おばあちゃんの存在が
間違いなく私のクッション役になっていて、
「荒:穏」の両面を
私の中でバランスよく養えたのではないかと
見ています。

人には、その状況状況によって
それぞれの役目がいい塩梅で働く影響力があって
そこに携わる人の心に大なり小なり
ちゃんと影響を与える良さと悪さの両面があるのかもしれません。

さて、
犬猿の夫婦と私は比喩していますが
実は、二人が唯一
筋が通っていると感じることがあります。

それは、
人としての正しい在り方や、
それを貫く断固たる強さです。

私自身、20代後半に自立してから
社会人になり、
いろいろな人間関係の中に
身を置くようになってから、
親も一人の人だと
客観的な視野を持てるようになったわけですが、
周りを見渡せば見渡すほど
両親が貫いてきたその強さには
天下一品に近いものを
感じずにはいられません。

たとえば、
人が集まれば社会になります。

一人一人が住みよい社会になるために、
国は法律を定め、人は道徳の元、
社会の中で生かされています。

法律には遵守する義務があり、
反すれば罰則の対象になりますが
道徳は反しても、罰則はありません。

道徳は個々の価値観であったり、生き方。

生きるために何を大切に重んじ、
日々の生活の中で起こる環境に自問自答しながら、
自分自身の人生を築いていくのが
人の道かと思います。

つまりは、人の自立。
精神的自立、
経済的自立、
社会的自立。

自立している一人一人が集合し
社会が構成されていると思いますが
両目をしっかり見開き、見渡してみますと
自立できているだろうか?と感じてしまう人が
少なからずおられます。

そもそも
何が自立で、何が人としての正しい在り方、生き方なのか、
法律のような一律の定めはありません。

その尺度は
自分の経験の中で気づき、自分なりの答えを
日々の生活の中で
見出していくことで築いていくものだと
私は思っています。

私自身、
その自立の本当の意味が分からないまま
長らく過ごしていたので、言えるのですが、
自立できない在り方の一つに、
わがままがあるかと捉えています。

人は誰しもわがままな面を持っています。
私も、結構わがままですし。

それを押し通すのか、それとも、
時と場合、周りの環境を見ながら、
ひっこめたり押したり、
微調整しながら環境に合わせていくのが
それぞれの性格だったり、
良識ある大人かと思っています。

「あの人はわがままだ。」
とはよく耳にする声ですが
何をわがままと捉えるのか
この線引きは、聞いてみないと分かりませんが
私が考えるに、要は、
急いでいるから赤信号を無視して渡ってしまおう。
お金が足りないから身内にお金を借りて、欲しいものを買おう。
兄弟が人の物を盗んでいるけれど喧嘩したくないから黙っておこう。
あの人は精神的に弱い人で仕事に支障が出るがそこは目をつむろう。

もし、自分のそばで
これをあからさまに良しとして堂々と生きている人がいたら、
明らかに人としての冷静さを失っていて、
周りに迷惑をかけていると冷静に気づきたいものです。

その本人が
「これが私だから。」
「これは私が良しと思って決めたことだから。」
と言い放ったとしても、
迷惑をかけていなかければいいのでしょうが、
済まされない部分も必ずあります。

なぜなら、
急いでいても赤信号を渡ってはいけませんし、
お金が足りなければ蓄えればいいですし、そもそもお金を借りるべきではありませんし、
人の物は盗んではいけませんし、
弱いなら仕事を休んだり、それなりの治療をしなければ、仕事の支障は周りの誰かの手を借りなければいけませんし、

それが人としてずれている、
間違っていることであって、
どれだけ捉え方を変えても、間違っているものは間違っているという
姿かと思います。

仮にそばに居る人がそうであっても、
喧嘩をしたくないから、
相手を傷つけたくないから、
と自分が目を伏せてしまうようであれば
それは甘えであり、
相手のわがままはより助長されている
自分もわがままである構図かと
私は捉えているのですが
そういったわがままな在り方を
断固違っていると貫いたのが
私の両親二人に共通している強さでした。

実際の話ですが
今ではその面影すらありませんが
思春期の頃、私の姉は
人の道から外れつつありました。

実父はそんな姉を
連れ戻しては、姉はまた飛び出し、
連れ戻しては、また飛び出し、
毎日続けていました。

仕事から帰宅し、
心身共にくたくたなはずなのに、
家に居ない姉を必ず探しあて、何時だろうと
必ず家へ連れ戻します。

泣けば、
体調不良を訴えれば、
仲間を家に連れてこれば、
親は自分の思い通りになってくれるはずだろう、
という本人の甘えもしっかり見抜き、
一切受け付けませんでした。

ほっておけば抜けられない道に進んでしまうからと
負の可能性すら阻止をした徹底ぶりには
怖いものがありました。

人は本気で命を懸けて向き合っている時、
品よく穏やかにはぜったいに居られません。

周りに人がいようと、
誰にどう思われようと、
自分や相手が血や涙や鼻水でぐちゃぐちゃになろうと
本気で向き合っている時、
人は自分に構いません。

そして、それを貫ける人は
ごく一部かもしれません。

姉の周りに居た人たちの親は誰一人、
我が子を連れ戻すことがなかったそうです。

誰一人。

この詳細は
また別の機会でブログで更新するか分かりませんが
さいきん、主人と、この話題について、
深く話すようにしています。

もし、我が子が
人の道から外れようとしたら
自分が親なら、子どもが暴れても阻止できるか?と。

もし、私の両親が
あの時、姉を傷つけたくないという
自分たちの感情を守ったら、
姉はわがままなまま、自立できない大人へと
成長したかもしれませんし、
今も尚、両者とも泣き続けていたかもしれません。

家族も人格をもった一人の人ですが
もっとも身近な家族だからこそ、
人として冷静に見極め、
断固、相容れないと線を引けなければ、
結局、自分の身も守れませんし、
活かされている社会でも自立して生きていくことは
難しいのではないでしょうか。

私は、両親の背中を見て、
強く感じました。

人としての正しい軸がないまま
自分の感情を優先するばかりの
わがままな在り方だけは、
せめて自分は
しないようにいつも言い聞かせていますが

間違っているからと
愛しい我が子を
叱り続ける切なさの本当の意味は
きっと自分が親になってから
理解していくことなのでしょう。

その両親もすでに70歳にさしかかり、
角々しかった二人の心にすこしばかり、
人らしい穏やかな温かさが戻りつつあります。

また、新たなクッション役の登場によって、
先日のような穏やかな時間を
過ごすことが出来たのかもしれません。

家族とは、それぞれが、それぞれの役目に
結果的にきちんと活かされているもので
ちゃんと支え合っているのでしょうね。

一番してはいけない過ちは
正しいことは正しい、
間違っていることは間違っている、
この在り方を経験から見直さず、軸に立てず、
思い通りにならない現実に背を向け、
自分の感情に蓋をしてしまい、
どこかのコピーの在り方を
人としての生き方だと貫いてしまい、
起こっている現実に他力本願になり
放置してしまう生き方を送ることかと思っています。

その在り方に自分がどんどんと進んでしまえば、
そこは甘さやわがまましかない世界となり、
穏やかな豊かな生活から
かけ離れていってしまうのかもしれません。

いやいや、
それにしても先日の団欒な席は
異様な光景でしたが
これからもちょくちょく実両親と美味しい食事が出来たらなあと思い、
それぞれが影響し合うお役目の大切さを考えながら
先日の2月を迎えました。






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posted by Michi at 13:15| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月30日

自分の心でしっかり感じて1票を投じたい。

私が住む三河地区では
今週末2月3日に行われる
愛知県知事選挙に立候補する応援活動車が周り
生き生きとした声で
うぐいす嬢の演説が
私の部屋まで響き渡っています。

選挙の応援活動といえば。

私が高校生の頃ですが
母方の身内の叔父さんが
とある選挙に立候補した時、
うぐいす嬢として何度かお手伝いをしました。

今では、
何の選挙に立候補したことすら忘れてしまいましたが
遠くとも血縁だからと、祖母に頼まれ、
しぶしぶ行かされ、
そのお手伝いの私の楽しみは
不謹慎にも食、でした。

そのおじさんの家には
誰の繋がりなのか知らない婦人たちがより集まり
ワイワイガヤガヤ楽しそうに炊き出しをして
活動で出入りする人たちのために
率先して台所仕事を担ってくれていて
それを唯一の楽しみにして、
うぐいす嬢に励んでいた経験です。

また、
だいぶ大人になってから。

都内で生活している頃、
とある秘書をしている知人社長のお誘いで
永田町の会館を何度か行き来しながら
活動の催しのお手伝いを
ボランティアスタッフとして数回やったり
また、
昨年まで住んでいた那覇で生活していた時も
お手伝いをかねて
とある議員さんの事務所へ
何度か行き来し、
お手伝いをしたこともありました。

私個人的には
その手のお手伝いはちょこちょこさせてもらいましたが
選挙そのものにはうとく、
まったく何も語れません。

ただ、何となくながら、
その世界の中を見て感じたことは
選挙は、立候補前からその活動が始まっており、
その責任は当本人だけでなく、
家族にもその視線が厳しく向けられ、
多額のお金が動き、多くの人を巻き込むので
私の人生は選挙活動と無縁の場所で過ごしたいなあと
正直に思ったものです。

ギラギラと
使命感に燃えた人たちと言えば。

この時期になると
不思議な行動を始める人が
表れるものだなあと
客観的に見ている私がいます。

「あの人の活動は素晴らしいの。だから今度の選挙、あの人に1票入れてね。」と
わざわざ電話をよこす元友人や、
日頃何度も私と顔を合わせているのに
ほとんど会話もせず、
「ゆっくり話をさせて下さい。」
と、この時期になると途端に言い始める人や。

「あの人の活動でこのような社会が現実に変わっているのです。だから今度の選挙、あの人に1票入れてね。」
家に押しかける人もいたり。

必ず目をぎらぎらさせて、出没します。笑。

一見、応援活動に使命感を抱き、元気に
はきはきしているようですが
「なぜ、人としての繋がりを
日頃からしっかり築かないのだろうか。」
と、ひねくれた私からしたら
その動きに矛盾しか感じられず
そこに気づけない姿が不思議でなりませんし、
特に投票は、
立候補者がどんな思いで日頃その活動をしているのか、
自分の目で見て、自分で判断することであって、
第三者が薦めることではないのになあと
思っています。

目をギラギラさせている人たちを見ていますと
日頃から周りの人との関係を良好に築かず
このときばかりがチャンス!と言わんばかりに、
自分の言いたいことだけを言い放っている自分の残念な姿に
気づけないものかなあと思えてなりません。

私はこれまで数回ですが
選挙関連のお手伝いとして、
実際に現場に立った私が言えるのなら、
「土足でもよそ様の領域に入り、1票入れてもらうよう応援活動をせよ!」
とは、一度も指示を受けたことがありませんので
過去の経験を振り返ってみても、
どうしてもその在り方には、すっきりしません。

これって、
こんなことにたとえられませんでしょうか。

複数人で会話をしていて
その中にダイエットをしてもなかなか痩せられない人がいたとして、
「何かダイエットでアドバイスはありますか?」
と、当の本人から自分へ直接質問をしてきたら、
そのときはじめて、
アドバイスを伝えるのが
通常の会話の流れかと思います。

そして、質問を受けたら
基本的には自分の成功例をお伝えしませんでしょうか。

しかし。

当の本人が何も質問をしていないのに
たまたまその話題が挙がったからと言って
私がいきなりダイエットのアドバイスをし始めたら。

「何も聞いていないのに何言ってるのだろう。」

聞いている周りはドン引きで、
押し売りのような、
お節介のような、
所謂、会話のキャッチボールが出来ない
残念な人として指を差されて終しまいです。

仮に、
自分が10キロ痩せたダイエット方法があるから
自信をもって教えられるわ!
と自負できても、
やはり、前提には、
それを知りたい相手がいるからこそ成り立つ会話であって、
この順序を無視して一人勝手に暴走している姿と
似ているなあと。

私自身もあるのですが
特に、女子会でおお盛り上がりしてしまうときなんて
女子特有の楽しい会話に、
時々、暴走して、反省することがあります。

そんな時、
「いかん、お節介の域にはいってしまった。」
と、我に返ります。

なぜ、そこに気づくかと言えば、
会話には、必ず、
相手の顔の動き、
身体から発せられる表情、
返答など、
相手の無表情さと言いますか、
相容れないという表情と言いますか、
うまくかみ合わないなあという
違和感を抱いているサインを
発してくれているものです。

だから、さっと身を引くことが出来るわけで、
逆に相手も自分と同じような感覚で
会話をしている方なのかどうかも
感覚で分かるものです。

前述した、
他者の活動の担い手として
使命感にメラメラ燃えている人を目の前にしますと
仮にその人が仕事として収入を得ている活動であれば
ある意味、理解できる範囲ですが
自分の意志で、
任意でその使命感を貫いておらる姿は
やはり度を超えており、
また会話のキャッチボール以前に
「ちょっと待った。私は何も質問をしていませんよ。ずかずかはいっていますよ。」
と、じわりじわり引いてしまいます。

何のために、選挙活動をお手伝いしているだろうと
その人の心を私はどうしても感じ取ることができず、

ご家族の御飯はちゃんと作っていますか?
自分の生活のために家でやるべきことはないですか?
仕事には支障でていませんか?
その応援している方は身内だからやっているんですか?
ガソリン代は応援事務所が負担してくれているから回られてるのですよね?

と、近所のおばちゃんのように
心配になってしまいます。

まずは、自分の生活を成り立たせることが
人として基本かと私は思っています。

仮に必死に、生きぬこうと
走っている本物の人の目と比べてしまうと
たとえたダイエットの会話のキャッチボールが出来ない姿と同じで
一人暴走している行き過ぎた人たちとは
本物の生きた使命感を感じ取ることが出来ず、
静かに線を引いている自分がいます。

さあ、今週末は投票ですので、
それぞれ立候補者の方が
どんな思いで日頃その活動をしているのか。

私は、自分の目で見て、
自分の心でしっかり感じ取って、
清き1票として投票したいと思います。







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posted by Michi at 11:27| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月28日

今、自分には何が欠けていて何が足りないのか。

今日は、講習へ行ってきます。

講習内容は美容ではなく、
労務向けの事務講習です。

昨年秋ですが
会員費を納めている
ある団体の広報部から
その案内が届きまして
先着順での無料講習との案内が目に入り、
所定の申込みに従って、
今日の受講となりました。

さて、
自分が労務に携わったと言えば
もう10年以上前になりますが
自営業として初めて従業員を正社員として雇用した時の事です。

それまで私は勤め人でしたので
労務と聞けば頭が痛くなりそうな
手渡された保険証を受取り、
給与から天引きされる社会保険料や
源泉徴収の内容をさらっと目を通す程度でした。

それが、自分が手続きをする側に立ちまして
従業員を雇えば
法令に従った加入の義務があり
法令で定められた手順で必要書類を揃え
行政の機関へ提出しなければなりません。

その一連の流れには、
それなりの知識が必須で
労力や手間がかかることを
立場が変わり初めて理解しました。

また私の場合、
契約していた顧問会計士の先生が
ある程度サポートをしてくれていたので
分からないことがあれば先生に聞こう、
という甘さがあったので
自治体や行政機関が無料で講習会を開催しているところには
目が向きませんでした。

また今の時代、
分からないことがあれば
インターネットで検索をかければ
情報を簡単に得られますし、
今日のような本格的な事務講習を
あえて受講せず、今日に至っています。

任意の講習。

義務や責任ではないけれど
自分に何が欠けていて、
何が足りないのか、
そこに意識を向けられたから
目を向けられました。

今回、私が受講する会員向けに開催されているサービスは、
会社によっては必要であり、
会社によっては必要ではないので
今回このタイミングで受講できることが出来て
私にとっては幸いです。

さあ、頭をリセットして
労務の基礎に目を向けてみようと思います。








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posted by Michi at 10:18| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月27日

不調をきたしてはじめて有難みを痛感する。

師走まで走り切って、
その疲れを年末年始休暇で癒し、
新年明けて通常の日常を送り、
再び身体が忙しさに慣れてきた頃、
ぷつっと糸が切れたように
体調不良に見舞われる。

でしょうか。

先週末から主人が
胃腸風邪で寝込みました。

無理がたたったのか。
それとも、
自分の免疫力が相手にもならない
強力なウイルスの威力に負けてしまったのか。

「一緒に仕事をしていた人がマスクをしていてしんどそうだったから、あの人からうつったかもしれない。」
と本人は言っていましたが
めったに体調を崩すことがない、と言いますか
私は主人と出逢ってから体調不良の姿を一度も見たことがなく、
「3年ぶりくらいに風邪で寝込んだ。」
というので正直驚きました。

前兆は、先週木曜日の夜から始まりました。

その日、いつも通り夕食を終えると
「今日は眠いからこのまま寝てしまうかもしれない。」
と19時には布団に入り、数時間後、
「寒気が止まらない。」
となりました。

たまたま私が別の治療で処方されていた
ロキソニンが残っていたので
それを服用。

じきに寒気は治まり、一先ず、朝を迎えましたが
熱は38度以上のまま、翌日金曜日は
身体を引きずるように仕事に出ました。

帰宅後、お昼のお弁当半分を残したまま帰ってきて、
その不調さがひしひしとこちらまで伝わってくるようでした。

薬を飲むためだけの御汁を食しただけで寝込みまして、
不幸中の幸いなのか
たまたま先日土曜日は仕事が入っていなかったので
丸1日ゆっくりと身体を休め、
一日3回の抗生物質のおかげか、食欲も戻りつつあり、
日曜日の今日の朝は
ようやく平熱に戻り、
無事仕事へ出ることが出来ました。

ほっ。

生意気のようですが
私からみると主人は鉄人か!と思う程
身体が強いのです。

平熱が高めなので免疫力が強いのか、
あるとき、一緒に居た私が突然39度の発熱に襲われ
風邪をこじらせてしまい、その看病をしてくれたのですが
まったくうつりませんでした。

仕事は8割がた、肉体労働なので、
元々筋肉質がさらにがっちりとした
体格を築いていますし。

そして、危険が伴う仕事でありながら
今のところ大きな怪我をすることもなく、
年数回襲ってくるぎっくり腰をのぞけば
41年間、健康体で過ごせているようです。

健康に胡坐をかいていない?という節を、
私から見るとどうしても感じてしまうので
「自分がいつまでも若いとは思わないで、健康のありがたみをしっかり感じて下さい。」
と、体調不良で寝込む病人を痛めつけるように
と言ってしまったほど。

体調を崩してから
健康にありがたみを感じていては
遅いんですけどね。

なぜなら。

自営業と企業勤めの大きな違いは
自分の仕事の変わりをしてくれる人がいないことです。

もちろん、
自分の変わりに、その業務を担当できる外注さんなり
従業員さんがいれば、
周りに迷惑をかかることは
とりあえず避けられます。

ですから、
一人ですべてをこなす自営業者にとって、
身体の不調が原因で仕事ができなくなることは
致命傷です。

なので、主人のような健康体は
体調不良を定期的に経験でもしないと
いつまでも胡坐をかきつづけそうです。汗。

身体が資本。

とはいえ、
どれほど自分なりに健康管理に務めていたとしても
事故や怪我など
万が一が起こらないとはどこにも保障はありません!

と、どれだけ私が心の声を叫ぼうと
主人に鞭を打とうが
本人が心から思わければ
何も意味がありませんから、
この気持ちをブログにぶつけてしまいました。

そんな私ですが昨夜、足の関節の鈍痛があり
3日間看病していて
いよいよ次は私の番か?と気をもめましたが
今朝、すっきり目覚めることができたので
ちょっと安心しています。

自分にいつ、何が起こるか分からない。
主人にいつ、何が起こるか分からない。

もし、いつ、どのような内容で予期せぬ事態が起こっても
冷静に判断し、行動できるような
健康管理、
生活習慣、
金銭感覚、
人間関係、
心の在り方や生き方を
いつも整えておくことは
日々生活を送る上でとても大切な事だと
主人を看病しながら、改めて心から思いました。

こんなことをいつも考えすぎて
鳥越苦労が行き過ぎて、ストレスでがんじからめでもなく、
パニックしているわけでもなく、
冷静な時、日頃から自分がどんな在り方でいるのかが
結局、自分の身を助けるのではないでしょうか。

私は、そう思えてなりません。

これをいつも頭にしっかり置きながら
今日も一日を心込めて過ごしたいと思います。







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posted by Michi at 09:51| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月25日

日常生活の中の非日常を自分なりに作ってみると。

一昨日、無事北関東から戻り、
いつもの日常に戻っていますが
私自身、先日は朝から午後過ぎまで所用で外出だったため
今日4日ぶりに
いつもの自分の落ち着いた日常が
始まったような気がしています。

ということで今回の北関東、
画像の整理と共に
私の頭の整理をしようと思います。

北関東へ発つ初日、
夕方前に岡崎ICから目的地へ向けて
出発しました。

浜松を過ぎた頃には
陽が暮れ始め、
ヤマブキ色に優しく広がった美しい夕焼けに
遭遇することが出来ました。

新東名高速道路を上りへ走行していたのですが
静岡県にはいりますと
いくつかのトンネルを
通過しなければなりません。

ちょうど日暮れにさしかかり、
とあるトンネルを過ぎますと・・・

「どでかいまんまるのお月さんだ!」
と主人が叫んだほど、見事なまでの眩しいお月さんが
夜空へ向けて登ろうと顔を出している途中でした。

20190125-1.jpg

夜間の工事現場照明?

かと思ってしまったほどの煌々と街を照らすような明るさで
画像にはうまく収められませんでしたが
本当に圧巻でした。

朝日、夕暮れ、自然。

何度同じ道を走行しても
気候や時間帯と、タイミングがほんの少しずれただけで
目に映る光景がまったく変わり、
今、目に映っている景色は
ほんの一瞬しかない。

そう思うと
かけがえのない瞬間であり、
自分の感性がくすぶられるような
私にとって、ドライブは貴重な楽しみの一つです。

こうして、主人とロケーションを楽しみながら
途中、通行止めによる迂回をしたため
予定より1時間伸びて22時を回りましたが
移動中に手配が完了できた
翌日の目的地から近い
アパホテルへ無事到着することができました。

これがプライベートであれば
ホテル周辺の居酒屋へ足が向かうところですが
明日に備えて身体を休めなければなりませんし、
所用を終えた後は
プライベートでの出費が待っています。

「外出だからと言って、外食ばかりしてしまうと食の感動が薄れるし、疲れるから今夜はホテルでゆっくりしよう。」
となりまして、コンビニで軽食を購入し、
部屋でゆっくり過ごしました。

私ですが、今回に限らず
宿泊するような外出時には朝夕問わず、
念のため、軽いお弁当を作って
出掛けるようにしています。

長距離走行は、
渋滞など予測できないところがあり
たとえかなりの余裕を持たせた移動時間ですら
万が一、飲食店の閉店時間に入ってしまうと
お店での飲食は、まず厳しくなります。

こうした想定外の事態を過去に何度か経験していたので
それ以来、遠出をする際は、
ほぼ軽食を持参するようにしています。

なので、その日も自宅を出る前に
2種類のおにぎり5個、
生ハム添えのカリフラワーやさやえんどうを茹でた大量のサラダ、
かまぼこと果実。

これら軽いお弁当を準備してきたので
道中、つまみながら移動することが出来ました。

やはり、準備して正解でした。

さて、今回の第一の目的。
実は、主人の仕事でした。

県外出張の仕事に合わせ、
現地に前日入り。

翌日は、予定の仕事をこなし、
終えたらそれ以降はプライベート。

そこに
私が同乗した、というわけです。

実は、このような同乗は
今回が初めてではなく、
「私も行きたい〜」という軽いノリ、とも違い、
主人の同意を得た上で成り立っているわけですが。

クライアントさんから
県外出張のお話を頂いた際、
現地の場所、
どの程度の関係者が仕事に関わるのか、
主人が予測できる範囲を事前に教えてもらい、
もし、その道中、私が同乗しても
主人に負担がかからないだろうか、
ということを事前に確認しています。

また主人は今、一人親方という自営業なので
定期的な休みを自分で立てるものではなく、
あくまで仕事が入らなかった日が休みになる、
勤め人とは逆のスタイルに在ります。

なので、
大変有難いことではありますが
1か月ぶっ通しでお仕事が続けば、
繁忙期では休みのない月もある程。

ですから、
予め旅行の計画を立てるという
プライベートを優先しにくいスタンスにあり、
こうした県外出張プラス、翌日の移動=余暇に
充てるというスタイルです。

また、
私自身も自営業でもあり、
ノートパソコンとスマートフォンの端末2台さえあれば
成り立つ業務もあるので、
自宅のマイデスクで落ち着いて作業に没頭することもできますが、
敢えて、こうしたロケーションが変わることで、
ごちゃごちゃした頭を整理できたり、
環境が変わることは
いい意味でリセットになります。

また、県外出張先の近隣が
観光地であれば
主人が仕事中、私だけ一人ぷらっと観光をすることもありますし、
現場近くにカフェがあれば
丸一日静かにこもり、作業に没頭することも出来るので
県外出張に同乗できることは、
私自身にとっても、合理的。

勤務時間が決まっている会社員であると、
こういう自由はまず効きませんので
そう思うと、こうした有効に時間を活用できる環境に
とても有難さを感じています。

さて、また幸いにして主人は
予定より大幅に早く仕事を終わらせることができ、
合流してから、一緒にランチを済ませ、
まだ決められなかったお宿を
30分ほどリサーチをして、手配しました。

本来であれば、
お宿は事前に予約するものです。

しかし、前述したような主人の仕事上、
時間が読めるようで読めない事情から
お宿は、その日の動きに合わせた予約が
私たちのスタイルです。

たとえば、
チェックインの時間がはっきりできない、
夕食前にお宿へ入れるかも分からない、
状況によってはクライアントさんとの会食が入る、
といったイレギュラーも実際に起こります。

この在り方は、実は、
予定を事前に立てずとも
随時フレキシブルに、かつ、
都度、迅速に判断しながら動く軽さがある私たちには
ぴったりの動き方です。

希望通り、予定通りに事が運ばないことで
自らを乱すことはなく
これがダメならあれにしてみようか、という
機敏さの中で事が進んでいます。

自分の中で、先を読むという感覚を
しっかり働かせながら。

これは、一見、
方向性が定まっていない
ぶれた在り方と受けて取れそうですが
実際はそうではありません。

これらの選択の軸は、
第一は仕事にあります。

仕事の場所がどこか。
その場所軸によって、
前泊の宿とプライベートの範囲が決まっています。

仕事が何時から始まり、おおよそ何時に終わるかの時間軸によって、
移動できる距離、行動範囲が決まっています。

たとえば、
私か、主人のどちらかが
事前にすべての準備を整えて、
きっちり予定を立てた旅程表を作り、
その通りこなさなければ気が済まない丁寧な性格だったら、
まずこのスタイルはストレスが大きすぎます。

それ以前に、県外出張に同乗すらできません。

同乗だけでなく、私たちの関係すら
成り立たっていないことでしょう。

アバウトながらも
目的は仕事という1本の軸が立っており、
あくまでそこに付随しているプライベートは
状況を見ながら、自由に動きながら、楽しんでいく。

私と主人には、
このような似たような感覚が
元々あります。

よく言いませんか。
日帰りでも旅行をすれば
相手の性格をリアルに見れますよ、というたとえ。

私は、まさにその通りだと思います。

旅って、選択の繰返しで、
何を優先に人生を送っているかが
リアルになりますから。

逆に、あなたとは呼吸が合いません、と
愛想つかれる危険性もありますけど。笑。

パートナーに限らず、
友人もしかり、
私自身がかなりアバウトな面が強く、
しっかり緻密に計画を立てて
実行しなければ気がすまないタイプの方には
迷惑をかけてしまう私がおります。汗。

という諸事情により、
お宿を選ぶ条件の
露天風呂、混浴出来たら尚理想、
という軸を立てていまして、
露天風呂もあり、
予約すれば混浴(笑)も可能な、
しかし、夕食は材料の仕込みが間に合わないので
朝食付きのみ、というお宿を
運よく手配することができまして、
私たちは、磯部温泉街へ移動したのでした。

到着してから、
露天風呂を利用したり、
身体を少し休めました。

で、夕食に関しては、
ご当地の郷土料理という特徴はありませんでしたが、
お宿から徒歩15分先にあった
居酒屋を利用し、
冷えていた身体をもつ鍋で温め、
葱の天ぷらを頂くことが出来ました。

20190125-7.jpg

夕食を終え、部屋に戻った途端、
前日や仕事の疲れがどっと出て、
21時にはぐっすり寝てしまいました。

お部屋は、ゆったりとしたシンプルな和の個室でした。

20190125-2.jpg

↑ 朝食は、個室を案内されて
シンプルな御膳でしたが、
静かな空間で、ゆっくり堪能することが出来ました。

20190125-3.jpg

翌朝は、
7時半に朝食を始め、
朝風呂に浸かり、
お部屋でゆっくりしてから
10時にチェックアウト。

富士山を眺めながら移動してみようと長野軽井沢経由を選びまして、
快晴の中、磯部温泉エリアから浅間山?の
富士山かと一瞬思えてしまったような
美しい雪山を目にすることが出来ました。

20190125-4.jpg

↑ そして、道中、国の指定文化財である
めがね橋に立ち寄りました。

明治25年から昭和38年まで
実際に鉄道として使われていた
日本最大の橋と言われています。

歴史ある橋を眺めていますと、
大きな音を立てて黒煙をはきながら機関車が通過しているような
モノクロの映画の光景が
ぼんやり、目に浮かんでくるようでした。

それから、さらに車を走らせながら、
この日のお昼。

そば店に狙いを定めて走らせていたわけですが
3件続けて見事に水曜日定休。汗。

「そばはまたにして、お昼ずれちゃうけど道中目にしたお店にはいるのもいいんじゃない?」
と、まだあきらめようとしない
主人をなだめながら、
偶然に立ち寄ったのが、ほうとうのお店でしたが
これが大正解!でした。

20190125-5.jpg

↑寒い地域の昔からある日本家屋のような
古い建物かと思いきや、
掃除がしっかり行き届き、空気の澄んだ綺麗な店内でした。

20190125-6.jpg
↑ 初めて食したほうとう。

お米が貴重だった時代の最上の日常食、
と説明書きが添えられていました。

濃い目の白みそ汁で
じっくり煮込まれた
大きなかぼちゃ、じゃがいも、人参等
沢山のお野菜がゴロゴロ入っている
甘い白みそ煮込みうどん、のような
みそ煮込みで育った
生粋の三河人の私としてはなじみのある味でした。

ではありますが
ほうとうのお店でこういうのもなんですが、
実は一緒にオーダーした、えび天重が
個人的には感動しました。

車エビくらいの太さがある
大ぶりの海老がサクサクに揚げられ
それが3匹ドカンとのっていましたよ。

食事は、一人でも美味しく頂けるものですが
二人いると、ほうとうとえび天重の
別々のメニューが頼めましたので、
美味しさも二倍でした。

こうして、
今回の県外出張ついでの小旅行は
事故も怪我もなく無事帰宅でき、
その日の夜のクライアントさんの誕生日会へも
無事間に合わせることが出来ました。

日常の毎日が
当たり前になってしまうマンネリ。

仕事のこと、家族のこと、
すべて自分の思い通りになることは
まずあり得ませんし、
当たり前になり過ぎた故に
近しい関係ほど妥協が生まれ、
人としての正しい在り方がずれ、
そこにまったく目を向けられず、
誤った道を突き進んでいることさえ、
心が向かなくなることに
非日常に身を置き、
改めて気づかされました。

非日常を作りだすことは
目の前にある生活の
ほんの少しの工夫次第。

別に大金をはたいて
目の前の生活を犠牲にしてなくても
ほんの少しの工夫、発想の転換さえ出来れば
非日常は作り出せるのではないでしょうか。

仮に私か主人が
お宿は一流ホテルでないと気が済まない。
食事は割烹料理でなければ満足できない。
あそこへ行かなければならない。

というような
目の前の生活を無視して
我を通そうとしたら。

もちろん、やろうと思えば
出来なくはありません。

でも私は、思います。

日常の慎ましい心、
慎ましく送る生活があってこそ
非日常は楽しめるものだと。

豪華、豪遊も
毎日になればやはり、飽きて
マンネリします。

こうした
当たり前の人としての正しい在り方を
貫く方向性を踏み違えないのは
慎ましさの中に時々ある非日常の一時によって
何事にも心を込められる優しさという強さは
養われれないと言っても過言ではないのかもしれません。

人としてのバランスは
誰から与えられるものではなく
誰かに整えてもらうものでもなく
自分で整えていくもの。

そこに心が向けられなければ、
自分を律するタイミングすら見失い、
どこまでもわがままへ突き進み、
わがままさに自分で自分をがんじからめにしてしまう
矛盾した人生に
自ら陥るように思えてなりません。

そんなことを
心から実感できた穏やかながらにも
豊かな時間を過ごせた小旅行となりました。












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posted by Michi at 09:20| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月23日

今日はここまで。

おはようございます。

先日のブログにも
ちらっと入れましたが
私は、主人と所用に付き添い
一昨日高速道路を北上しました。

先日、目的の用を済ませてから
再び移動。

今は、北関東南西にある
とある温泉地に来ています。

そこは川のせせらぎが
穏やかに聞こえてくるような静かな場所で
非日常ではない空間が
私にとってご褒美のようです。

初日の移動中、予期せぬ圏央道の通行止めから
迂回をしたため予定より移動時間がかかり
寝るのが深夜になってしまい、
寝不足気味で、日頃はどちらかと言えば
規則正しい日常を送っているせいか
一日中、身体がどんよりしてしまい
すっきりしない一日でした。

しかし、
所用を済ませた後、
温泉にゆっくり浸かり、
美味しい夕食を頂いてから
21時には寝てしまったので
朝はいつも通りの朝5時半には目が冴え、
身体がすっきり、とても楽に
目覚めることが出来ました。

今回、所用を含めた2泊3日の移動ですが
私のことなので、この今の気持ちを
ブログにしたためたいだろうと踏んで
PCを持参して出掛けてきました。

なので、先日も今日も更新できているわけですが
画像を公開しようと思うと…出来ない。

マウスを忘れていました。汗。

実は、ノートパソコン上のパネルが不調なため
マウスが無いと、本来のマウス機能
右左クリック機能が出来ません。

ですから、日頃ブログに公開する画像は、
手持ちのスマホから撮影してから、
メールかSNSに飛ばしています。

飛ばしだ画像を
一旦PC上でダウンロードをしてから、保存。

そこから、必要な画像はPCで加工をしてから
ブログシステムにアップロードして、
ようやく更新。

わざわざそんな手間をかけず
スマートフォンから
ブログへログインして、
その端末からブログの更新をすればよいのでしょうが
手間な作業だと分かっていつつ、
PCを経由した操作に慣れてしまったため
これをしているのですが、
マウス不在ないため、画像はストックしたままで
テキストのみの更新します。

帰宅してから
画像を整理しながら
ゆっくり更新したいと思っています。

この後、ゆっくり朝食を摂りまして、
一息ついてから再び移動。

夜は、主人のお仕事の関係者のお誕生日会なので
今日のブログはここまでにします。







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posted by Michi at 07:24| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月22日

自分の目で、耳を信じたい。

なんだか年寄りみたいなことを
口走しってしまいますが
便利な世の中だなあとITの恩恵をまた
実感しておりまして^^;

実は私、先日午後より
所用のために主人と高速道路を北上していました。

比較的、遠出の多い私たちですが、
車に設置されているナビゲーションは
ほぼ、使用しません。

その変わり、スマートフォンを使用しています。

移動距離が短い長いに関わらず
現在地から目的地まで最短時間で案内してくれる音声付きの地図、
その移動間の渋滞のお知らせ、
渋滞による迂回回路、
さらに迂回による所要時間など
車両に接続されているナビゲーションではなく、
リアルタイムで情報を得られるGmapsを
スマートフォンから閲覧して移動しています。

時々、通信の不具合なのか、
端末の反応が鈍くなってしまい、逆の方向を差してしまう時が
時々ありますが、そこをのぞけば
基本的に、不便なことは何もありません。

本当に便利。

私のような方向音痴一人でも
無事目的地へちゃんと辿りつけます。

そんな理由から
先日、走行していた圏央道に通行止めのアナウンスが
入ってきました。

始めは、「通行止め」だけのアナウンス。

内容までは届かず、事故かと予測はしました。

しかし、
いつ渋滞が解除されるのかまったく分からず、
そのうち解除されるかもという期待から
渋滞の中へ進もうか。
迂回しようか。

考えてしまったほど。

ならば、何が起こっているのか
調べてみよう、となりまして、
(本当は先を急いでいた)

私のスマートフォンから
「圏央道 通行止め 1月22日」と検索をかけましたら
twitterと連動している
口コミサイトのようなサイトを見つけました。

そのサイトは
twitterなどのSNSを通じて、
個人が配信した
「圏央道」「通行止め」のキーワードを
システムが自動的に拾いあげ、
それを時系列に見られるように組んでいる
SNSかと理解したのでしたがこれが便利で。

それによると、
「大変なことになってるぞ!」と
まさに今、通行止めのど真ん中にはまっている
知らない方々が、リアルタイムでツイートしているではないですか。

その方々のつぶやきによって、
例の通行止めは
大型トラックの転倒による火災事故で
2時間以上渋滞が続いている、という背景を
知ることができたのです。

ここで、固っ苦しく考えてみます。
例の口コミサイト。

どこまで信憑性があるのか、
本当に当事者が配信している内容?

これ、実は
100%の確信はありません。

報道番組でもないわけだし
情報に責任が伴うメディアやその関係者というわけでもなく、
実名や所在地を明らかにしている方ではない、
どこの誰かも分からない情報です。

そのくらいこの情報は、確かというより
不確かと捉えられます。

ここをまず、確かな前提として置きまして、
私は、日頃情報を受け取るように心がけています。

よく主人やお友達と
ケラケラと楽しい時間を過ごしていますと
本当にくだらない話題のおかげで、
心から笑わかせてもらっているわけですが
楽しい話題から突然真剣話になった途端、
どこからかかじった情報をそのまま流している自分に
「ちょっと待った!」と我に返る時があります。

経験談なのか、
どこかで聞きかじった内容を
右から左へ流しているだけなのか。

先ほどの内容を例に挙げます。

「『圏央道 通行止め 1月22日』と検索したら
twitterと連動しているような
口コミサイトを見つけたの。
どこまで確かな情報なのかは分からないけど、
そこによるとね・・・。」

と、この前置きを
添えています。

相手がどうではなく、
私自身としても、
事実なのか、否か、
自分の耳ではっきり判断できるようにしたい。

そのために、たったこれだけ
なんですが、前置きを添えるようにしています。

どこかで聞きかじった情報を
あたかも事実のように話してしまうと
いつの間にか相手に押し付けてしまうようになり、
その癖が、相手との距離感として意識を持てないようになり、
自分よがりになってしまうからです。

たとえば。

「さいきん仕事で上手く行かないことが多いんだよね。」
という会話。

「それって、今、〇星にどっぷりはまっている時期からだよ。何月には抜けると変わるんじゃない。」
とか。

なぜ仕事がうまくいかないのか、
その仕事を満たすスキルが自分に備わっているのか、
人間関係が原因で上手くいかないのか、
自分の努力で改善できるのか、できないことなのか、
まずは冷静に自分が振り返れているのか。

そこを通り越して、星座や四柱推命のせいにして、
言い放ってしまう在り方だったり。


「また同じような人とお付き合いしてしまったような気がする。」
という会話。

「それって男運ないからだよ。」
とか。

自分はどんな人が好きなのか。
どんな人が好きになれないのか。
過去出逢ってきた人の共通点から自分がどんな人と過ごしたいかのイメージとか。
自分のどこに心の隙があるのかどうか。
そこを飛び越え、運のせいにする在り方だったり。


「なかなか子供ができないんだよね。」
という会話。

「祈りが足りないからだよ。もっとお願いしないと。どこどこ神社がいいらしいよ。」
とか。

シリアスな内容ですが
なぜ子供が欲しいのか、
婦人科の検査はしているのか、
何か治療をしているのか、
しないならなぜしないのか、
もし子どもが出来なかったらどうか真剣に考えてみたか、
自分と向き合うことを飛び越えて、
願掛けに走るのを良しとする在り方だったり。


「今の家に引っ越してから、何かとうまくいかない。」
という会話。

「今住んでいる家や土地が合わないんじゃないかなあ。」
とか。

家に引っ越してから、という前提を鵜呑みにして
アドバイスに変えてしまう在り方だったり。

第三者の在り方に何の疑いも持たずに、
それが確かなんだと信じきってしまい、
それを他者に、
堂々と、アドバイスに変えてしまう。

もっとひどいと、
それを実行させ、観察し、
相手が実行できるまで
徹底的に管理してしまう人を見かけると
それって、
自己啓発に走ったり、
新興宗教にどっぷりはまったり、
何か特定の世界に浸かって
自分を見失った身の丈を超えた在り方だ、と
恐怖すら感じるようになりました。

過去のブログでも
何回か綴っていますが
私は昨年夏頃から、
自分の癖や習慣に
深く、深く、考えるようになり、
例の前提を話に添えることの
大切さを意識しています。

会話って、
面白いほどに
人の生き方を裸のようにオープンにしているので
そこに目が向いた時
濃霧が晴れたとき、心奪われるような美しい田園を
目にしたような。

目に映る世界や
耳にはいってくる情報のすべてが
まったく変わったことに
正直驚いています。

かなり、固っ苦しいですが
その変化に確かな実感を得ています。

さあ。

この後も移動は続くので
情報をほどほどに受取りながら
実りある旅路を楽しもうと思います。






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posted by Michi at 15:52| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月21日

ユーモアの前に大切にしたいコト。

おはようございます。

今日は10時から、私が今住んでいる市内で
岡崎市民駅伝が開催されます。

今の時間、エントリーされる皆さんは
ウォーミングアップ中でしょうかね。

先日、市内の堤防沿いや主要大通りを車で走行していたのですが、
至る所でその駅伝のチラシや看板、
休憩場所が設営されていたりと
目にしていまして、いよいよだなあと眺めていました。

この時間、すでに太陽が顔を出していていますから、
今日はお天気に恵まれて本当によかった!

さて、話は変わりますが

18.jpg

主人のお仕事の取引先の方から
こんなユニークな鹿児島土産を頂きました。

えっと、念のため。

このブログは
風俗行為は一切しない当店のエステサロン公式ブログから
リンクをしているエステティシャンブログなので
画像加工してしまいましたが
ストレートなネーミングに
つい笑ってしまいました。

実は、個人的に好きです。
こういう、ストレートな表現。笑。

私はご当地土産の開発に
お仕事で携わった経験はありませんが
商品開発に関わるスタッフの方々のユーモアさというか、
陽気さというか、
枠に捉われない発想によって
こうやって個性的な商品が
世に誕生していくんだろうなあと思うと
そのアイデアを世に出そうと
勇気ある会社組織によって
実現しているのであって、ある意味、
芯のある在り方を垣間見ているようで
個人的に興味をそそられます。

主人が
「日本列島、下へ行くほど、下ネタがオープンだよね。」と
笑いながら私に渡してくれたのですが
商品を渡す人、受け取る人、両方が笑っているのですから
この威力は凄い。

私だけではないと思うのですが
「いつも前向きに、今日も笑ってご機嫌で過ごそう!」

とどれだけ平常心を保とうとしても
自分との考えの違い、
相性、
相手の気分の波、
といった他人はもちろん、
たとえ気心しれた血のつながった家族であっても
人との交流がある以上、必ず、
人からの影響を大なり小なり受けていて、
やっぱり笑えないと悶々としてしまう時って
ないでしょうか。

どれだけ、気持ちのリセットに心がけても
中々その負の感情から抜け出せない。

そんな時、人は、
自分が傷つかないように感情に蓋をして、
あえて、感じないようにするか、

「勝手にすれば」
と相手にせず無視するか、

愚痴を誰かに吐いて
気持ちをすっきりさせるか、

人それぞれ在り方があるかと思いますが
どんな方法をとっても、やっぱり一時的であって、
素直な感情は、「落ち込んでいる」です。

私は、どちらかと言うと
まず一人になる時間を作るようにしますが、
この「落ちこんでいます。」という感情って
とても大切だなよなあと思っています。

だって、だからこそ、
そんな時、この
ち♡こ団子を渡されたら、
一瞬でも自然に
ぷって笑いがこみあげてしまうから。笑。

笑わない人っているかなあ。

私、思うんです。

人生って、
ぷって自然に笑いがこみ上げてしまうユーモアを
どれだけ一日の中の要所要所に
自分の選択で取り入れられるかがとても大切で
それを当たり前にしている人って、
心のバランスが自然に整っている人だなあと
感じています。

私が主人から受け取った
ち♡こ団子。

自分自身の選択で
ユーモアを取り入れる器用さが持てれば
ある程度の落ち込みなら、
感情が乱れず、
平常心を保てるなあと。

第三者から頂いたご当地土産で
私は突然、主人から渡されたサプライズでかなり盛り上がりましたが
もらうことを期待したり、
頼ったりすると、感動は薄れますものね。

ユーモアと言えば。

今では、直接的には接点はなくなってしまいましたが
出逢ってから5年以上経っても尚、年の瀬になると
ユーモアを人生の重きにおいている方ご自身が
自ら登場する手作りカレンダーを
律儀に送って下さる方がおられまして
毎年、ぷっと笑わせてもらっています。


登場されるご本人は
都内で不動産業を営む社長さんで、
実は、最愛の息子さんを失っています。

きっと長い長い、途方もない時間をかけて
深い悲しみと向き合い、
「人生には笑いが大切」という在り方に辿りつき、
このユーモアに富んだマイカレンダー作りを
ようやく楽しみに変えることができたのだろうと思います。

だからこそ、
たった1度しか会ったことのないご縁を
ご自身なりの在り方で、
笑いの大切さを伝えようとする優しさが「送る」という形に
なっているのかと捉えますと、
その悲しみの深さは、
今の私には正直すべては理解できませんが
心を寄せることが少し、
できるような気がしています。

私は今、愛知での生活を送っていて
その社長とお会いすることは
もうないのかもしれませんが
私が思うに、
自分が望まない辛い経験から逃げず、腐らず、
しっかりと自分自身に向き合い、乗り越えた人ほど
ユーモアや、笑いが、
人生でどれだけ自分の身を助けるのかの
真意をしっかり理解されていて、
押し付けではなく、
その大切さをさりげなく教えようとしているのかと
今年送られてきたカレンダーを
ぼんやり眺めています。

実は、私がこれまで出逢ったきた
私が感じる心豊かに過ごされている人たちの唯一の共通点が
「ユーモア」「笑い」プラス、そこに成り立つ
心の余裕さです。

さほど小さなことは気にせず、
だからと言って、不安や辛さを他力本願にはせず、
楽しみや笑いに変えていて、
自分で自分の人生に責任を持つと言う在り方から
人や物や時間を大切に扱っています。

今、目の前にあること。
今、自分にある人間関係、時間、収入。

この範囲がどこまでなのかちゃんと冷静に分かっていて、
誰にも頼らず、おごらず、迷惑をかけず、
「ユーモア」「笑い」のある
毎日を楽しんで過ごされている人たちです。

で、付け加えますと
その周りも
「ユーモア」「笑い」のある毎日を
楽しんでおられ、
その人たちの口からは、
ひがみや嫉妬、妬み、嫉みといった言葉は
ほぼほぼ出て来ません。

よく、豊かさ、というキーワードが挙がりますと
「大金持ちでしょ。」
「ありあまるお金があるからだよ。」
と、必ず言う人がいて、
私も過去、その考え以外持てなかった時もありますが
今は、きっぱり言えます。

お金の大小は、豊かさに一切関係ない。

正直、1円を大切に出来ない人ほど
豊かさをお金の大小で計ろうとし、
そういう人に限って、なぜか
自分の手元にある範囲の中での選択を超えて、
周りに足りないから助けて下さい、
と平然と言ってしまい、
また、その範囲が限られているから可哀想だと助けてしまう人がいる限り、
その両方とも、
本当の意味での豊かさから
かけ離れた人生を歩んでいくような気がしてなりません。

私は、ふざけながらも
頂いたち♡こ団子をもぐもぐ食べて
笑いのある一日を過ごしたいと心から、そう思います。







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posted by Michi at 08:17| 美容・旅/居心地いい暮らし

2019年01月19日

続・永遠と繰り返してしまう満足が出来ない性。


先日、スキンケア化粧品選びにおいて
ブログを更新しましたが

気に入ったスキンケア化粧品を見つけたとしても
満足できるのは一時だけで
すぐ新しい商品を探しまう。

という在り方に視点を向けてみて、
’続・永遠と繰り返してしまう満足が出来ない性’
として、私の考える美の在り方を
整理したいと思います。

私は、高校を卒業した18歳の頃、
口の回りに水泡ができる’ヘルペス’と診断された
肌トラブルを患いました。

その前なのか、後なのか、
時間軸は定かではありませんが
同時期に
花粉症、猫アレルギー、埃アレルギーを発症しました。

とにかく、かゆい。

痒みは拷問だなあと思い出すほど、
痒みを我慢することができません。

爪で掻いてしまうと酷い外傷になる。

なので、爪の先や、針のようなピンセットを使って、
つつくように刺激を与え、
痒みからちょっとでもしのげるようにしていましたが
突然、ストレスが爆発したように
かきむしってしまう。

細かな傷は、何層にも薄くかさぶたになっては、
それを爪で剥がしてしまうを繰り返し、
ぐちゅぐちゅになっていきました。

痒みが我慢できない。

そして、ようやく皮膚科へ行きましたら
「ああヘルペスだね。ステロイド出しとくから塗って。じきに痒みが治まるから。」
と、さらっと言われ、
なぜヘルペスにかかるのか?今後気をつけたほうがいい生活習慣は何か?
私が質問すると、
「ストレス要因もあるので、はっきり言えません。
血液検査の結果を待ち、そこでアレルギーの種類が分かるので、受付で次回の予約を入れて下さい。」
と言われ、ステロイド剤の入った塗り薬と、
抗生物質のお薬をもらいました。

確かに、検査結果に基づいて
適切な処置がされるものかと思いますが
さんざん悩んだ挙句、病院へ行った私は、
あまりにもマニュアル過ぎるその皮膚科の対応が
どうしても腑に落ちず、
次の予約はキャンセルし、それっきり
皮膚科へ行かなくなりました。

頼りたいけど、すがりたくない。

いいのか、悪いのか、
私の中にある元々の性格が際立ってしまい、
「自分で解決策を見つけよう!」
という気持ちが背中を押し、
姉の仲良しのお友達エステティシャンを
紹介してもらいました。

お友達エステティシャンMちゃんが
自宅でエステサロンをやっていたので
そこに何度か通い、
素肌の構造、
なぜ突然敏感肌になってしまうのか、
アレルギー肌とは何か、素肌の中で何が起こっているのか、
ステロイドの効果と副作用やその先素肌に与えるリスク、
スキンケア化粧品が素肌に与えるメリットデメリットなど
私に分かるように、丁寧に教えてくれ、
何度かフェイシャルを受けました。

そして、Mちゃんが薦めてくれた
’ノンオキシ―’というシリーズを使い始め、
半年もせずに、私の顔から水泡は姿を消し、
痒みからようやく解放されました。

11年後。

私自身が仕事でそのメーカーを取り扱う側になるとは
その時は想像もしていませんでしたが
あの時もし、自分が発症した水泡の悩みから抜けられなくなって
不安のどつぼにはまっていったら?

きっと皮膚科を渡り歩き、
何を言われても耳に入らない枯渇した心の習慣となって、
ステロイドから手が離れない
取返しのつかない肌体質に
なっていたのかもしれません。

まず前提として、
私は何かしらの症状が出ても放置しておくことを勧めたいがために
このブログを更新していません。

あくまで、
悩んだ挙句、専門家を訪ねたけれど
その対応に腑に落ちない点が多かったため
自分なりに解決策がないか、迷った挙句、私が選択した
過去を振り返っているだけです。

やはり、専門家は専門家。

途方もない勉強や、苦労して苦労を重ねて
国家資格を取得されたその道のプロフェッショナルです。

健康ではない不調を患ってしまったら自己放置せず、
しかるべき病院で診てもらうことは
必要な処置だと思っています。


先日の記事で、
「私はスキンケア化粧品の浮気が出来ない肌体質」
と綴っていますが、元を辿ると、
18歳の時、突然口の回りにできた水泡事件以来、
超敏感肌へ体質が変化してからの付き合いになります。

今でこそ、
店舗を持たない
非店舗型エステサロン兼エステティシャンですが
店舗を構え営業をしている時は、
これまで何度か、
他社のスキンケア化粧品を
無料で頂いたことがあります。

その商品は、スキンケア化粧品に限らず、
ヘアケア商品、
メイク用品、
健康補助食品、
消耗品やボディケア商品と様々です。

「これ、とってもいい商品なので一度使って見て下さい。」

メーカーやディーラーが
試供品としてエステサロンに
いずれ取引をしてほしいという目的で
自社の取り扱う商品を配ることは珍しくないのですが
何せ私は、こんな肌体質。

ただ、たとえ私が超敏感肌の持ち主であろうと
一つのスキンケア化粧品だけにこだわり続ける在り方は、
情報が偏り、自分の視野を狭める、
人としてアンバランスな偏りが出てしまいます。

時にはリセットも必要ですし、
視野を広く持つ為には
他の商品をリサーチすることも大切だと
思っています。

先日のブログでも更新しましたように

自分をマンネリさせないためにも
実は、他社製品も一先ず蓋を開け、使っています。

なので、「浮気はできない肌体質」
と一言では実は言い難く、
決まったスキンケア化粧品に右足をつけながら、
もう一つの足で他を見る、という
自分なりのバランスを保つようにしています。

なので、
今でもドラッグストアの試供品を試したり、
ディーラーから届く試供品を
使用することはしていますが
その容量が1ヵ月用だったりと、
大きいサイズになると肌が負けてしまい2日と
使い続けることが出来ないので
封を開けても、使い続けることが出来ない商品は、
かさこそしてしまうボディケアとして脚に使ったり、
「もったいないけどごめんさい」と思いながら
捨ててしまうことも正直あります。

素肌は、必ず、
自分の体質に合うか合わないか、
サインを出してくれる機能を
人間の機能には元々備わっています。

肌体質に合わないと
痒みや、ひりつき、ほてり、赤み、吹出物として
警戒音を鳴らします。

また、逆に、
何も反応しないこともありますが
私が敢えて、
続・永遠と繰り返してしまう満足が出来ない性として
更新したかったこと。

自分の体質を冷静に見極め、
痛い思いをしながら辿りついた商品を
自分の中の基本にしながら、
もう一方で、外を見るなどリセットをしてバランスを保てほうが、
スキンケア化粧品や薬が
願掛けのようになってしまうと
中々、そこから抜けられなくなります。

そして、
「もっともっと」
「まだまだ足りない」
「まだ綺麗になれない」と
いつまでも満足ができない
枯渇した性に陥ってしまう方を過去に
フェイシャルの担当をしてきたことがあり、
ある意味、すがる怖さに
向き合ったことがありました。

「この商品がなければ・・・」と
すがりすぎてしまうと
やはり視野は狭まり、
自分が疲れてしまいますから。

もちろん、私のように
超敏感肌で肌がトラブルになって警戒音を発しているのに
あの先生が間違いないからと言うから、
あの芸能人も使っているみたいだから、
と、自分の痛みを我慢してまで
使い続けるのは、より状況を悪くしていきます。

あくまで、満足を追及するという在り方ではなく
スキンケア化粧品って、
人それぞれ体質が違うものだし
良いも悪いもあるのは当たり前で
でも、私の肌には合ってそうだから使い続けてみようかなあ、
くらいのスタンスが、スキンケア化粧品に限らず、
価値観としては、ちょうどよいバランスなのかもしれません。

そのくらい
フレキシブルな在り方を
自分の中の意識として持てたほうが
品のある美しい在り方ではないかなあと
「続」として、
ブログを更新してみました。









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posted by Michi at 07:34| 美容・旅/居心地いい暮らし
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