2019年02月28日

【第2話】家族構成。





そろそろ冬も終わりかな・・・
そう思っていたら
先日からぐっと冷え込んだ三河地方ですが
いかがお過ごしですか。

三河地区では
すでに桜や梅が開花し始めている木があり
この時期は本当に美しい景色を目にすることができますが
逆に穏やかでない面もありまして。

4年以上封印できていた花粉症が
私の中でうるさく騒ぎ始めており
せめてこの時期だけまた沖縄に戻りたい!と
花粉症が心底嫌で
外出も控えたいほど、こんな時期にも関わらず、
「おい兄弟会やるぞ。」と
叔父の一声で1年半ぶりに開催された席へ行ってきました。

と言うことで
第2話は、私はこの家族からどんな刺激を受け、
物事の良し悪しを根源にして今日に至っているのか
プロフィールとしてまとめたいと思います。

※2019年7月27日、加筆。

12-5.jpg

画像は、母の姉妹兄弟です。


今でこそ、穏やかで、賑やかで、集まれば陽気な人たちですが

三途の川を渡る経験をくぐりぬけたり
全財産を失いかける困難を乗り越えたり
複雑な親族関係で頭を悩ませる時期がありました。

中でも、大人の事情に巻き込まれ
血を吐くような毎日を乗り越えてきた経験者が
実母と叔父にあたります。

思い出話を聞くたび、私がもしその当事者だったら
逃げず、腐らず、甘えず、現実を受け入れ乗り越えられるだろうか?
不安すら抱いてしまうほどの経験を乗り越えた人たちが
私にどのような刺激を与えていくのか、
母の姉妹兄弟を辿っていきたいと思います。

母は、画像の通り姉妹兄弟がいますが
産み母、私から見るとおばあちゃんは
3子目の叔父を産んでじきに若くして他界しています。

母の実父は、
大勢の姉妹兄弟の真ん中にあたり
実家の本家は、海外へ荷を運ぶ船乗りとして
片田舎ですが財を成した一族でした。

本家の兄弟は、ほとんどが家業を継いだわけですが
不運なことに本家の長男夫婦に子が出来ず、加えて、
産みの母が若くして他界してしまったことが重なり、
私の母はこの長男夫婦の養女として、本家に入りました。

以前、この過去のブログで祖母100歳を更新をしていますが

母を育てた立場上、乳母にあたります。


母は、今になっても、「おばあさんとは血が繋がっていない。」と強調しますが

現実には、祖母は、薄くとも血縁関係にある祖父と結婚しているので

母は姪にあたり、DNAの繋がりが、なくはないわけです。


こうしたつながりはさておき、養女として迎えたはずの長男夫婦は、
家業の船乗りを継ぎ、祖母自身も本家で専業主婦に収まらなかったため
四六時中付き添い、船出していたためほぼ不在でした。

なので、良く言えば、働きづめ。
悪く言えば、養女に迎えた育児を姑に任せたのでした。

3歳に満たない母にとって
今100歳を迎えた祖母が立場上の母であり、
乳母は曾祖母と言えます。

曾祖母は若くして未亡人でもあり、
確か7人くらい兄弟姉妹を産んでいるので
女で一つで大勢の子を育てた苦労人だったとも想像できますが
曾祖母からすれば母は孫にあたるのに
現代でいうネグレクトという育児放棄な様だったようです。

幼い母の記憶は、
小学生の頃、誰も居ない部屋にはんぺん1枚だけ置かれていてそれを食事にしてきた、とか、
虚弱体質になり、給食で出されるおかずを食べらず、先生から叱られてきた、とか、
育ててやっている、と乳母の口癖をいつも聞き給食費が必要になっても中々言えなかった、とか。

なぜ自分には甘えられる親がいないのだろう、と寂しい幼少期だったようですが
現実は、環境を恨む余裕もなく、
曾祖母だけでなく、祖父母にも気を使いながら育っていったようです。

ただ、仮にも、船乗りとして成功し財を成した一族の本家にもらわれた母なので
金銭的には恵まれていたのかもしれません。

ところが後に発覚するのですが、
引き継いだはずの祖父は先祖が築き上げてきた財のすべてと
命を張って得ていった傷痍軍人の年金のすべてを
実の姉妹と、その息子である甥にすべて投じました。

商売を始めたいがお金が足りない。
働きたいが体調を崩して働けないから生活がままならない。

幾度にも渡るそれらしい理由から、
借用書を交わさず金銭のやり取りを続け、
財布がすっからかんになるまで、祖父の意志で協力し続けていたというから
正直、言葉が出ませんが二人は理由の通り、商売を始め、家も建ててそうです。

やがて、祖父は他界し、金銭のすべてを受けた張本人は、行方すら分からなくなり、
1円の返金もなく、
商売は大赤字を抱えて倒産、
家が銀行の抵当に入った、
早朝の新聞配達をしているようだ、
パチンコに入り浸っているようだ、
との目撃情報だけ母の元に届きました。

例え、一族の資産だろうと祖父の意志で散財していたので誰も何も言えないのかもしれない。
だったとしても、法律上、財産を受け継ぐ権利がある長女の母は
その気があれば然るべき対応は出来ます。

ところが、母は、「すべて本人がしてきたこと。すべて過ぎたこと。」と潔く理解し
祖父が他界してからも、愚痴をこぼすことはあっても、一切、その件に手をつけることはありませんでした。

母は幼い頃から欲しいものも欲しいと言えず、
必要な費用すら言える勇気が必要なほどお金の面で苦労を虐げられ、
金の切れ目は縁の切れ目ということを嫌というほど見てしまい、
加えて、近しい身内ほどお金でもめるからこそ常日頃から気をつけなければならないという意識を養い、
肉親であっても、自分のお金と人のお金と線引きをはっきり持っているので
成人になってから、家族ですら頼ることは一切ありません。

そして、母は一貫し、この在り方に徹底しています。
・お金が足りなければ、我慢する。
・余裕があっても散財せず、お金が足りなくなった時のためにまた蓄える。

そんな母の背中を見てきた私は、
お金って何だろう?
人としての正しい在り方や幸せって何だろうか?
豊かな生活って何だろうか?
そんなことを考え、育ちました。

不運な人生を歩んだもう一人の母の兄弟は
また別の機会にまとめるかもしれませんが
母とまた違ったケースの不運な幼少期から青年期を過ごしています。

そんな母と同じ席につけば、必ず幼少期の話題にボルテージはマックスになり
かといって悲観的にならず
「頼れるのは自分しかいない。自分がしっかりしないと。いろいろあったけど今が一番幸せだよ。」
と、二人が共通して口にするため
どんな環境であろうと逃げず、負けず、逞しく生き抜いた背中には
これほどの説得力はないし、
まるで天国のおばあさんが喜んで眺めているような気すらしてしまう。笑。

不運で、不自由な環境が悪いと悲観的に生きていくのか、
それとも、いつか豊かになるんだ、いつか見返してやるんだとバネにして生きていくのか、
不運だからこそ養われる何かを環境から学べさえすれば
その先の人生は、いかようにでも進めるような
二人を見ているとそんな気さえしてきます。

異母兄弟を含めた長男は叔父ですが
実父が他界した時、葬儀なり、それなりに考えていたのかもしれない。

ところが現実は、
実父が他界した時、相続に関する連絡が、長男にも、母にも一切の連絡がなく、
すべて処理された後、周り周って事態を知り
挙句の果てに、異母兄弟は香典の都合の確認だけしてきたようです。

正直、今でこそ豊かな生活を送っている母や叔父とって
大切な人のためなら御礼を惜しまず、はずむ人たちなのに
なぜその人達を呆れさせてしまうような考えや思いがあって
連絡すらできなかったのだろうか、と心を疑ってしまいます。

その件があって以来、お金の問題ではなく、
彼らの人としての心や配慮のなさに呆れてしまい、
一切の関係を絶っていますが
異母兄弟だし、残念な対応をされたけれど俺は人は見捨てない、という甘い扱いは絶対にしません。

ご都合主義は、どこまでも自己都合で言葉は悪いですが周りを巻き込んでいくことを知っているので
線を引く方法を母も叔父も貫いています。

血縁の交流を絶つ、との決断がどれだけ切ない思いの裏腹なのか、
ここでも考え深いものがありました。

祖父のケースも然り、
甘え、頼る側の人は、
頼れる人の最後の一滴を絞り切るまですがっていく。

自分さえ良ければいい、
今さえ良ければいい、
やってもらって当たり前、
もらって当たり前、
弱いから助けてもらうのは当然、
出来ないからやってもらって当たり前、
という在り方と、また、その在り方の人を援護してしまう在り方。

良識を持ち、相手を考えれば
そんな悲しいことが出来るはずない、と疑いを持たず信じたかったのですが
本当にそうしてしまう人が現実に居ることを
冷静に受け止める術を学んだ気がしています。

実は、後妻は熱心なある新興宗教者で
祖父は、熱心な仏教徒。

この共通点から、この人たちの何が、そうさせていたのだろうか?

人は何かにすがりたくなるタイミングは
心が弱った時や、世の矛盾や理不尽な思いを感じ続けた時に
こうした行動に出るのだと言う。

信仰に頼りたくなるのはある意味、
人らしい行動ととれるのかもしれませんがというものかもしれませんが宗教は?

最近になり仕組みを理解しつつありますが
不思議と宗教=お金という構図はどの団体にも当てはまるのですが
信仰にお金って必要?

この部分はとてもデリケートだし、
戦争だって起こり得るアイデンティティでもあるので
安易に触れるべき点ではないのかもしれないけれど
深く深く考え、考えた私の答えは自分の生活には無意味だと分かったのです。

なぜなら、長きに渡り、その教えに従っていた人たちは
両親に恵まれ育ったにも関わらず、金銭でもめにもめ、やがて周りから相手にされなくなってしまう。

一方で、自分の経験則に従った人たちは
若くして苦労を虐げられたにも関わらず、歳を重ねるごとに金銭も心も豊かになり、心ある人達に囲まれて余生を過ごしている。

あまりに違い過ぎた人生の結末が、
その本質のすべてを物語っているようです。

では、母と叔父が生まれつき
特別な能力や鬼の心がある人だったから乗り越えられたのか?

とも考えられるのかもしれませんが
私が知る限り、相手が肉親だろうと信念がぶれることがないところからも
環境からそれぞれの強さを養っていったと理解しています。

たった1回の小さな判断を見誤ると
小さな隙だと思っていたらいつの間にかパックリ大きな隙になってしまい
もっとも身近な人からほころび始めていくのかもしれませんし、
たとえ今、目先真っ暗で、不安しか思い浮かばない状況にだったとも
母と叔父のように、いつか解決する日が、必ず訪れるわけです。

母を含め、この姉妹兄弟の大先輩方が
今の私、つまり、エステの経営だけでなく、自分成りとは何なのか、
大きな影響を与えていることは確かで、
こうした波乱な人生経験が状況は違えど、物事を多方面から考える習慣を養いました。

何より私の人生をより豊かにしていて、
どんな経験も客観的、かつ楽しむ姿勢を
背中で教えてもらっているので、彼らの家族で居られて本当に良かった。

これからも大切にしていきたい存在であり、
間違いなく今の私を築いている一部となっています。

以上、第2話のプロフィールでした。







=======================
=======================

posted by 美知 at 08:33| プロフィール

2019年01月26日

【第1話】私の根本の気質。

※2019年7月23日加筆。

24.jpg
凛とした美しさと、どっしりとした存在感で静かに咲き誇る蘭。

私はこんな蘭が好きです。
画像の蘭は、実家の庭で咲いてくれたもので
私の記憶が正しければこの蘭は、祖父の代から
生きついているような。

蘭が温暖な地域で逞しく育つ類と知ったのは
沖縄へ移住した時で、元々は熱帯の地域で逞しく育つ植物。

一度花を咲かせた苗から再び新しい花を咲かせることは
なかなか難しい類だと思っていて、
冷える日は0度を下回る四季がしっかりある三河地方の冬にも逞しく生き抜き、
こうして、今リビングに花を添えてくれている
実家で育った蘭を眺めていると
感懐深いものがあります。

雑草の中に埋もれているようでも
逞しく生き続ける。

まるで私が目指す生き方のようでもあり、
この蘭のように静かに逞しくこれからも暮していければ
理想だなあと思っています。

さて、
昨年大晦日を機に、ビゼン「新」ブログとして引っ越してから
こちらのブログで日々更新をしていますが
私の頭の中の考えがいまいちぼやけて
なかなか更新できていなかったプロフィール。

なぜエステサロンの公式HPからこのブログがリンクされていて、
そもそもビゼンというエステサロンが
いつ、どこで、どんなコンセプトでオープンして、
どんなメニューがあって、
どんな人がエステティシャンなのか説明させてもらおうと
このプロフィールにまとめてみたいと思います。

疲れてしまうほど長い文章になってしまいましたが
昨年の大晦日に更新した一歩踏み出した先に見た道。 をご覧頂きますと
このプロフィールがより鮮明に読んで頂けるのかもしれません。

それでは本題へ。

私は、愛知県の三河地方、元は幡豆郡という田舎で生まれ育ちました。

4つ離れた姉と、8つ離れた弟との3姉弟の次女として
自由奔放に育ちました。

弟とは年が離れていますが
4つ離れた姉は、幼い頃から身近な存在だったので
背中をいつも追っかけ回すほど姉が大好きな妹気質でした。

どれほど大好きぶりかはこんな感じです。

2段ベッドの姉妹同じ部屋なのに、
小さなシングルベッドの姉の寝床に潜り込んで寝ていたり
トイレにいきたくなると扉のそばまでついてきてもらったり
お風呂も一緒。

姉がお友達と遊びに行くと言えば、ついていけないのに
金魚の糞のようにべったり。

とにかく、お姉ちゃんが大好き!に加え、
極度の怖がりでした。
どろぼう、おばけ、の類には本気で怯えていましたねえ。

そんな頼りない私も、人生を右往左往しながら
24歳にはエステティシャンに就きました。

その後、約4年の現場経験を積み、28歳で独立。
翌年には東京都内へ拠点を移し、
2009年から4年間は表参道でエステサロンを構え、営業しました。

その後、縁あって沖縄那覇市へ拠点を移し、4年10カ月那覇の小禄で
マンションエステを営業しましたが
昨年3月に結婚し、翌々月に故郷から車で1時間走らせた岡崎市へ嫁ぎ、
約14年ぶりに三河地方に出戻ってきたようで、今日に至ります。

昨年5月から仮住まいの主人の実家に嫁ぎ、新しい生活を始めていますが
新しい生活に慣れつつ、
出張エステやエステ化粧品の販売は
変わらず営業させてもらっているわけですが
中々思ったように事が進まない側面もありまして、
度重なるきっかけによって
素肌に直接触れるエステティシャンというより
心の美、即ち、人としての美しい在り方を
暮しの中で深く考え、向き合うようになっています。

プロフィールというものは本来、
華麗なる過去のキャリアを並べ、
メディアへの露出があればあるほど称賛を得やすいものかと思っています。

ただ、今の私は、
人は何を考え今を生き、
どんな在り方で日々暮しているのか、
この目には見えない部分がプロフィールの根幹、
その人と成り、と思うようになりまして
せっかく公に公開しているブログですので
プロフィールにもまとめてみたいと思い、
導入編のような「第一話:私の根本の気質」の更新をしてみました。

続く第2話は、
いつ更新するか、
どんな内容にするか、
まだ分かりませんが結局は自分で自分を振り返るきっかけとして
今後もプロフィールとして更新するかと思いますので
ご興味ある方はぜひお立ち寄り頂けたら幸いです。






=======================
=======================
posted by 美知 at 08:00| プロフィール