隠し味、少々。

2022年01月31日

母、大腿骨転子部骨折から1か月。

o.jpg

私が今
お世話になっている方のご親族や
母が先週まで入院していた病棟に
絶えず入院される患者さんなど
母が負ったような
自宅転倒の骨折が
いかに多いかの
現実を知りました。

転倒によって骨折した方が
その後どんな治療を経て
どんな生活になるのか
〇歳代だった場合は〜
の説明は
私はあまりに
ショックが大き過ぎました。

ところが
知識を蓄えていくうちに
あることが分かりました。

患者さん自身によって
一般的な例が
当てはまらない場合も
あるのです。

大怪我直前まで
どんな日常生活を送っていたのか、
健康状態はどうだったか、
どの程度の運動を日々していたか。

さらに
リハビリ後のご本人のやる気と
家族の励ましや協力が得られた場合
〇歳代だから〜
と一般的な回復の度合いは
一概には言えないこともある
とのこと。

なんとなく前向きに
なれた瞬間でした。

情報がまったくなかった
私にとって
怪我をしてしまった
ご自身だけでなく
直接触れている携わっている
医療機関の方々の体験談ほど
励みになり
直接的に役に立っています。

今の私の経験が
どなたかのお役に
微力ながらでも立てるのならと思い
前回端折った内容や
まだまとめ切れていない内容や
もし私が患者だったらこうしたいだろうな
そんなことも織り交ぜて
備忘録をかねてまとめます・・・。

※画像は、入院中の母後ろ姿。



※記事の中には
読みにくい、または
人によっては気分を害される内容が
あるかもしれませんので
すべて事実ではありますが
不快にさせてしまうようなことがあったら
読み飛ばして下さいね。

それでは。

母は
今から約1か月前の年末に
大怪我をしてしまいました。

z.jpg

大怪我の病名は
画像の通りです。

名称をネット検索かけますと
沢山のレントゲン画像が閲覧できますが
それです。

歩行に
もっとも影響を与える
関節部分の骨折です。

母は70代ですが
この部分の骨折は
歳を取っていようがいなかろうが
運が悪いと
誰にでも起こり得るもので
母の怪我を機に
他人事とはどうしても思えなくなり
自分だったらどう思うか、
どうしたいか、を
とても意識するようになりました。


母の骨折現場;

本宅から
たった数M離れた
納屋入口付近が転倒現場です。

納屋の入り口は
少し坂になっています。

戸に向かって横から見ると
平らなところから
およそ5〜10センチほどの
段差あり。

本家から直進して
納屋入口へ向かえば
この段差が障害になることはありません。

この段差は
祖父母が生きている頃からあるし
母以外
今まで誰もつまずかなかった。

ただ、真っ暗な中
手探りで歩いてしまうと
どうしても道がずれてしまうので
その段差は
障害のある段差へと化します。

実は母は
その段差で
何度かつまずいていました。

母は毎日散歩に出ていたし
元気に過ごしていたので
今日は足が痛くて歩かなかったと
聞いても
大げさには
受け止めませんでした。

怪我をしてしまった前の月には
気になって
私が靴下を捲って
見せてもらったとき
足の甲が赤くパンパンに
腫れていました。

足をくじいた場所というより
どれだけ伝えても
運動靴ではない
お気に入りの温か靴を履きながらの
毎日2時間の散歩が
日々の積み重ねで
足に負担をかけた程度しか
思っていませんでした。

振り返れば
その時点で
なぜ怪我した場所をしっかり確認しなかったのか。
なぜ電気を設置しなかったのか。
なぜ手すりを設置しなかったのか。
なぜ段差を埋める工夫をしなかったのか。

もしこれらの対策をすぐしていたら
母は大怪我せずに済んだのかと
今更ながら悔やんでいます。

ただ
私は同居していないので
お金のかかる問題ですし
父はこうした自宅に手を入れることに
悲観的だし
どこまで突っ込んでいいのやら
悪いのやら。


母、転倒時間;

転倒は、早朝のおそらく4時半〜5時に起こりました。

歳を重ねると
早起きと言われますが
母も早朝4時前起き。

だとしても
まだ陽が上らず暗ければ
じっと過ごせれば幸いなのですが
母にとっては一日の始まりなので
ごそごそと
外へ出たり
動き始めます。


母の危うさ その@;

この状況は
危ないので
じっとしていよう。

これをしたら危険を孕むから
気をつける行動をしよう。

人は
痛みを経験しながら
少し先に起こり得る危険を
ある程度予測能力を身につけて
日頃から無意識に
行動出来ているのかと思います。

母はそれが弱いのか、
欠落しているのか、
それとも何かしらの
脳の障害が始まっているのか。
(病院での精密検査はすべて健康でした。)

もしくは
それ以上に勝ってしまう
他の感情を優先してしまう事情が絡んでいるので
危険を回避できないのかもしれないと
しれません。


母の危うさ そのA;

転倒時は、早朝真っ暗闇で
小雨が降る、所々水たまりあるのある
外気温は1〜2度程度の寒い日でした。

そこに、両手に
瓶を握って歩いていて転倒しました。

なぜその時間に
なぜ瓶を
しかも両手に?

まず1つは
その瓶がお酒だったこと。

家族の恥を晒すのは
心苦しいですが
母が怪我をしてしまった状況に
大きな影響を持っているので
恥を忍んで・・・。

私の父は
恥ずかしながら
娘からすると酒乱父です。

本人にはまったく
まったく自覚なし。

日本酒一升を飲み干した
若かりし頃を
今でも自慢気に話すほど
悪そびれる気配は
まったくありません。

若い頃に比べたら
ずいぶん弱くなり
酔い方も丸くなりましたが
基本的な性質は
変わっていません。

飲み始めて
一定量を超えた瞬間から
酔い方は豹変します。

決まって攻撃の対象を定め
チクチクとつつき始めます。

だんだんとエスカレートし
周りに誰が居ようと
関係なくなります。

特に母に対する
日頃のうっぷん攻撃には
目に余るものがあり
鬼の形相と化していきます。

当然、体調を崩しまして
お酒の量が
直接的な原因なのかは
分かりませんが
脳梗塞、大腸がんを患いました。

父にはいつまでも健康で元気でいて欲しいので
家族は
お酒をやめてもらおうと何度も訴えますが
まったく受け入れず、
年々悪くなる肝機能の検査数値から
アルコールや喫煙の
ドクターストップがかかっても
それでも笑って受け入れません。

にも拘わらず
脳梗塞、大腸がんケアの
通院は続けるという矛盾。

ここまで来たら
依存症ですね。

お酒を用意しない強行突破を試みたことも
ありますが
父は怒り狂い
母をどこまでも追いかけ
攻めていました。

そんなこんなんありまして
母が怪我をした前日に
お世話になっている方からお酒を頂いてしまい
母は瓶を隠そうとしました。

ところが、父は
宝探しのように
母の隠し場所を探るので
父が寝静まっている時間に
なんとしてでもお酒を隠したかった。

もしお酒がジュースだったら・・・
怪我は起こらなかったのかなあ。

とざっとこんな状況でした。

病院から
参考になりそうな
チラシを頂きました。

q.jpg

えっそこで?
見れば分かるじゃん!

と思えるようなところでの
転倒事例を
説明している内容です。

健常者には
見たら分かるでしょ、
という環境なのに
そうでないと
危険へと化す例です。




話は戻り
母は病院へかかる前の
大怪我日を含めた丸5日間を
自宅で過ごしました。

その期間の状況も
まとめてみます。


転倒当日;

 一日中、じっと寝ていたが少し寝ては激痛で泣き叫び、少し寝ては激痛で泣き叫ぶを一日中繰り返していた。
 父からもらった鎮痛剤が効かなかった。
 ナプキン生活開始。(オムツとは伝えなかった。)
 お尻を自分で上げてセルフで交換し、トイレ代わりにした。
 ナプキン交換が苦痛過ぎて
 わずかな薬膳茶を少し口にする程度で
 そのほかの飲食を怠った。

 会話はほぼできない。


2日目;

 激痛に変化なし。
 わずかばかり薬膳茶を口にする。
 便出ず、苦しそう。
 一日中、じっと寝ていた。 
 唇が荒れ始めた。
 呼吸が少し早くなっていた。
 少し会話が増えた。


3日目;

 激痛に変化ないとは言っていたけれど、すこし身体を動かし始めた。
 わずかばかり飲食する。
 排便もよおし、自力で動こうとして
 寝ているマットレスから身体が落ちてしまい
 体制が戻せないまま数十分、固まっていた。(発見した時、失神しているかと思った)
 唇、舌がただれていった。
 呼吸が早い。
 調子がよいと会話をするようになった。
 TVをつけはじめた。


4日目;

 激痛に変化か、布団の中でさらにごそごそ動けるようになった。
 生姜、大蒜をたっぷり利かせた野菜スープ、みかんジュース、薬膳茶の
 飲食を口に出来るようになった。
 どうしてもトイレに行かせて欲しいというので
 私の支えでトイレに行くが
 激痛に悶えた上に
 寒かったようで体調を崩してしまい夜、発熱。
 ずいぶん会話が増えた。
 呼吸が荒い、苦しそうだった。


5日目;

 激痛にやや変化あり叫びながらでも、
 私の支えで多少、横に座れるようになった。
 食欲がないと言っていたがなるべく口にしてもらった。
 熱下がらず。
 呼吸が荒い。
 起きている時間が長くなった。
 ぐっすり寝た後は、よく会話するようになった。


6日目;

 激痛が少し和らいできたようで
 横に座れるようになったし、怪我をしていない足で
 数分であれば身体を支えられた。
 わずかばかりの飲食をする。
 朝、平熱に戻る。
 援助があれば、車に乗れるようになったので
 ようやく近所の整形へ。

以上、丸5日間
自宅での
寝たきり激痛生活でした。

******

転んだらすぐに
救急車を呼ぶべきだっただろうに。

精神的不安定にさいなまれる酒乱夫なら
とっとと離婚すればよかっただろうに。

娘ながら
何度も、今でも頭をかすめます。

けれど
どんな状況であれ
どうしたいかは
本人が決めることだと
思っています。

たとえ親でも
意識、意思がはっきりあり
生死に直接かかわらない範囲なら
自分で判断し
自分で行動していくことなので
娘なりに手を尽くしたその先は
手が出せません。

とは思いながら
ひとまず私は、
激痛で泣き叫ぶ母をほってはおけず
仕事を休みつつ
父と交代しながら
5日間、母のそばに
付き添いました。

これは介護というのかな。

お手洗いへは
行かれなかったので
飲みものを用意したり程度で
これと言った大したことはしていません。

ただ、少しづつ母の痛みが和らいでいくと
もじもじ動き始め
気づくとマットレスから
身体が落ちてしまいました。

そうなると自力では
戻れず
凍えてしまったり
失神してしまうのが怖かったので
見守っていました。

夜勤の大変さを
すこし経験したような。

母の大怪我は
あまりの突然な出来事すぎて
家族には
とてもショッキングでした。

ただ、そこまで
落ち込まず
心が平穏で居られたのは
そばで支えてくれた夫の存在や
父や弟と協力し合うようになったり
復帰したパート先のお仕事のおかげで
とても気持ちのリセットに
なりました。

もし、自分が実家暮らしで
協力し合う家族も
仕事もなかったら
どうなっていたのだろう・・・。


さて、続いては
近所の整形クリニックから
大きな病院へかかり
手術→入院と
慌ただしく生活が変わる母の
心境の変化・・・。

次回は、そこから始めたいと思います。






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