隠し味、少々。

2022年01月20日

あんずを食べながら・・・怒涛の数日を振り返る。

00.jpg

今から5年くらい前
杏を人生で初めて食しました。

中国人の知人から
お土産でもらったのがきっかけで
美味しさに出会いました。

以来、虜になってしまって
今回漢方取り扱うお店で
通販しました。

相変わらず、美味しい。

杏と言えば
台湾スウィーツに入っていたり
中国の料理の香辛料として料理に使われていたり

日本では
あまり見かけないけれど
私たちの祖父母やその昔は
庭や畑に杏を植えて
普通に食していたようですね。

そんな杏を
漢方の視点から調べてみたら
栄養価に驚かされます。

一日3個を食べて
病気知らず、なんて。

もちろん無肥料無農薬で
あってこそですが
美味しい果実が
身体にいいなんて
そんな幸せなことはないよなあ・・・。




大好きになった杏。

今年の夏、畑に
苗木を
植えてみました。

沢山収穫出来ますように。

さてさて、
私にとって
怒涛の数日が終わりました。

気持ちに余裕が
ようやく出てきたので
ブログにまとめます。

内容は母ネタです。

私の母は年末のある早朝に
庭で転んでしまい
大腿部あたりの
大怪我を負いました。


本来なら即救急車ですが
本人の強い希望で
数日の自宅安静。

丸4日間激痛に
もだえ苦しんだ結果
状況把握のためにせめてレントゲンでもと
ようやく気持ちが向いてくれ(私の夫のなだめによって)
正しくは痛みから解放されたい一心で
近くの評判がよさそうな
整形へ飛び込みました。

先生にとって
あまりに珍しくない症例なのでしょう。

レントゲン見るなり
あっさり。

「あー折れてるね。ここ、分かります?」
てな感じで淡々を説明。

70代以上の場合は
9割9分即手術する
骨折らしいです。

手術はおそらく部分麻酔になり
術後数日で
歩行のリハビリが始まるそうです。

数日!?

もちろん手術を選ばない選択もあります。

しかし約1か月は寝たきり。

寝返りすら打てない激痛の骨折なので
床ずれの心配や
筋力の低下や肺炎、
それに伴う合併症の恐れあり。

それらを懸念すると
長い期間身体が寝たきりに耐えられるかと
骨がくっついてから
いざ歩こうとしたら
年齢的に歩けない場合も
大いにあるとのことでした。

どちらが母にとって
リスクなのか考えた末
手術を希望しました。

その場で紹介状を発行されて
1時間後には次の病院にいました。

その2時間後には手術を終えるという
忙しない
入院生活が始まりました。

手術直前の
執刀医との家族面談によると

手術当日〜1、2週間
;その病院での入院。

以降
;リハビリにより専念するため専門クリニックへ転院し、さらに1〜2か月リハビリ入院。

これが
母のような骨折術後の
計画とのことです。

※合併症なくスムーズに行けた場合のケース。

手術を終えた頃
執刀医から直接電話を頂きました。

懸念していた
骨粗鬆症もなく
手術中の
大出血もなかったそうです。

また、確かに骨はもろくはなってはいるものの
思った以上に強い骨だったと
先生がほめていました。

家族全員びっくり。

また、さらに心配していた
内臓疾患の恐れ。

約40年ぶりに
頭の先から足の先までされて
ありとあらゆる検査をされましたので
異常が見つかないとも言い切れない。

血圧は大丈夫か。
貧血はどうか。
糖尿はどうか。
肝機能障害はどうか。

おまけに今は〇ロナ化。

で、検査結果はすべてクリア。

異常がなかったようで
本当に幸いでした。

術後3日目に抜糸。

心配していた術後の血栓症や
その他の合併症もなく
穏やかな入院生活を送れていると
担当看護師さんから教えてもらいました。

で、ここからです。

家族は、年内には
転院かと思っていたのですが
看護師さんからも
病院からも転院の勧めはありませんでした。

たまたま弟が
差し入れに行った際に尋ねたところ
そこから病院側が動き
転院の対応を始めました。

ん?
えっ?

こちらから
打診しないと進めてくれないの??

その時ですでに
術後5日が経っていました。

家族は待つしかありません。

病院の転院支援員→リハビリ病院への空き確認

リハビリ病院の回答→ 病院の転院支援員→ 患者家族

この流れだけで数日を要し
その上に
リハビリ病院先の空き状況、
プラス
年末年始の大型連休と
祝日連休があったため
母の転院予定は
当初の話よりかなり伸びている。

家族面会は一切できません。

母の様子は分かりません。

本人が公衆電話を利用して
電話してくるか
家族が病院の端末予約をして
リモート面会以外
母の声は直接聞けません。

なので、大慌てで
母が自分で使うためのスマホを入手し
届けました。

がしかし。
母は扱えないふらふら

年末のある日
母から泣いて電話が入りました。

たまたま
自分の病室に男性看護士さんが近くにいらしたようで
とても親切な方だったので
勇気を振り絞って頼んめたようで
とにかく、辛くて帰りたいの
一点張りでしたたらーっ(汗)

その様子は
またいつか記事にするかもしれません・・・。

そんなこんなんありましたが
無事1か月の入院生活を終え
いよいよ転院当日を迎えました。

私たち家族は自分たちの送迎を希望したため
車で母を迎えに行き
1か月ぶり母と対面しましたわーい(嬉しい顔)

すっかり顔色も元気で
よろよろしながらも
シルバーカーを
自ら押し歩いているexclamation×2

私はほぼ毎日差し入れをしていたので
シルバーカーで
歩行の練習を始めていた母を
廊下の離れた先で見ていたので
分かっていたのですが
父、夫は1か月ぶりのご対面。

想像以上の回復に
驚いていました。

転院先への道中は
募る入院生活話で
盛り上がったなあ。

無事に定刻時間に
転院先へ到着し
すぐさま受け付け→担当医面談。

面談の待ち時間になると母が
「入院はもうしたくない!」
とだだをこねはじめましたもうやだ〜(悲しい顔)

しかもキレたように。

さきほどまでいた病院の
入院生活がフラッシュバックしたのか。

あたりは騒然たらーっ(汗)
まさかの展開です。

病院側はそのつもりで準備を整えているし
家族もです。

サンタクロースかと思うほどの
大きなバック3つを病室に運んだり
準備を整えたのに。

母は、
術後たった1か月で
傷は完全に癒えていないでしょう。

筋力は衰えたままだろうし
どこでいつ転倒してしまうか
心配なりません。

家族は母が帰ってくる日のために
自宅の障害物をすべて撤去する大掃除の真っ最中だし
退院という準備は皆無。

母を迎え入れる準備が整っていないがく〜(落胆した顔)

こんな状態で帰ってくるなんて
どう考えても無理無理。

あまりの大声で
だだこねてたので
「不慣れな入院生活で疲労したケアが必要だって思われて違う病院(精神内科)へ搬送されてしまうよ。」
となだめるのが精一杯。

で結局、
母の強い思いは家族の心を動かし
医師面談を再度していただき
転院から
急遽退院の手続きと
変更しました。

こんなわがままでも
温かく接して下さったスタッフさん方には
頭が上がりません。

あまりの親切なご対応に
正直脱帽です。

こっそり
ある担当の方が
教えて下さいました。

「おうちに帰れて
お母さんのためには
良かったと思いますよ。」と。

その方の話によると
母のようなケースは珍しくないようです。

患者さんがどれほど自宅に戻りたくても
家族の受け入れ態勢、気持ちがないと
本人の患者自身ではなく
家族の意思を優先する、とのことです。

これ、仕方ないんですよね。

病院にお世話になれるなら
看護士さん、介護士さん、その他のスタッフさんが
しっかりサポートして下さるわけで
自宅に戻るのであれば
家族が回復までの期間
病院かわりのサポートをできないと
患者本人には
危険満載です。

ただ、現実的に
条件が整っているからこその選択肢で
現実手に難しい方もおられるので
本当に心が締め付けられる思いです。

こんな状態であるにも関わらず
私は退院したいんじゃ!
と断固意思を貫いた母の信念は
ある意味、誇らしく
逞しく思えてしまうほどでした。

この詳細もまたいつか。

にしても、とほほな急遽の退院劇によって
すべての予定が
変わりました。

ということで
その足で、退院おめでとうランチをしました。

母には1か月ぶりの外食です。

あの時の安堵しきった母の笑顔たるやわーい(嬉しい顔)

その足で自宅には戻らず
私たち夫婦宅へ。

そこから2泊してもらい
病院ではない一般家庭での
生活を過ごした後
いよいよ
荒れている実家へ。

で、我が家の場合
荒れているのは
なんと物理的だけではない
父と母との不仲ですたらーっ(汗)

娘の私からしたら
父母お互いに
「いい加減二人とも歩み寄ってくれ〜〜〜」
が本心です。

母の行動の源は
父の暴言から逃げるために構成されていて
もちろん母にも
父に突っ込まれる原因が多いにある
だらしない面をもっているわけですが
父の威圧感というか
攻撃力は凄まじい。(酒が入ってしまうと手が付けられない)

母の帰宅後
今まで通りの夫婦関係を続けるなら
きっと母は自分の危険行動を
止めることが出来ないのは
目に見えている。

となると、再度大怪我の恐れあり。

母がいない1か月、
私から父への説教が始まりましたちっ(怒った顔)

「父の悪い行き過ぎた面はここ。
でも、この面はとてもいいお父さん。
腹立ちすぎてそこばかり主張を貫くと
いい面が全部死んでしまうわ!
心入れ替えてくれ!」
てな具合です。

なので、家の整理は物と
父の心の在り方と
母の心の在り方の整理でした。

意味があったのか
なかったのかは定かではないけれど
母の術後レントゲン写真を見た途端、父が和らぎ
母の腕を支えて歩く献身的な父の対応に
母の心が和らぎ
お互いがお互いに
優しく接するように
ずいぶんと関係性が柔らかくなっています。

まだまだこれからでしょうけど。

本来であれば
今現在も
リハビリ入院中のはずの母は
退院帰宅は春予定。

その後も
リハビリは続き
まずは
半年〜1年の峠を越えなければなりません。

※峠とは;骨の結合でチタンを入れているために起こり得る感染症や合併症の恐れがある期間。

自宅内は
ミニシルバーカーと杖歩行。

あとは、週数回の
リハビリ通い。

それでも
転倒の危険は
常に隣り合わせ。

退院の選択が
本人とって家族にとって
正しかったか
正しくなかったか
その答えは
母が生涯を終えた時にしか
出ないでしょう。

ではありますが
今のところは
母も父も
家族も
もちろん私も
とても幸せです。

こうして
私にとって怒涛の数日。

えっ経った3日しか経ってないの?
という感じでした。

杏食べて、力つけよっと。



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