
画像は先週に
母の誕生日プレゼントに買った
シルバーカー。
押し車ですね。
夫と弟を巻き込んで
3人でお金を出し合い
買いました。
これを選んだ理由は
・母が喜びそうな柄や色
・丈夫そう
・操作が単純
・籠部分が座れて、サイドに手すりがある
・籠部分の蓋がフカフカなのでお尻が痛くなく座れそう
・タイヤが2連なので丈夫、かつおしゃれ
です。
Amazonから
探しまくりました。
他に母が気に入りそうな
派手な柄がありましてそれと迷ったのですが
籠部分で座った際に
サイドの手すりがない構造と
タイヤの色が選べなかったので
こちらにしました。
シルバーカーで
検索するといろいろ探せます。
現物を見たら
母はそれはそれは喜んでくれて
嬉しかったなあ。
さてと
本題ですが
先日の記事に続いています。
私の備忘録もかねて
母の状態が悪くなり始めた
5年前に遡ってまとめてみます。
ちなみに5年前の2016年とその翌年は
私は他県で生活していたため
その2年は
母の話と私の記憶で記録します。
では、いきましょう。
5年前に起きた母の異変 2016年
・2016年を迎えようとする大晦日、いつもなら家族みんなで集まる夕食に顔を出す母。
ところが真っ暗な部屋で寝たまま、起きてこなかった。質問にはか細い声で返答する程度。
・本人曰く、ぎっくり腰のような状態に襲われ、急に動けなくなりそれが具体的にいつなのか
思い出せないらしい。
・痛みに耐え、とにかく寝ていた。
・食欲がなくなり、ほとんど食べていなかった。
・もともと痩せていたのにさらに痩せてしまう。(測定なし、外見)
・歯がすべて抜け落ちた。
・耳が遠くなった。
続く母の異変 2017年
・動けなくなる山場を越えたらしく、日常生活が戻り車の運転しつついつも通りの生活を送るが
電信棒にぶつけて単独事故を起こし、車は廃車。
・壁を擦ったり、駐車を誤ったり、車を損傷することが増えた。
・背中が丸まり、背筋を伸ばせなくなった。
おそらく身長が10pは縮む。(測定なし、外見)
・食欲は戻る。
・耳は遠いまま。補聴器を購入。
母の不調は高まる 2018年〜2019年
・相変わらず、車を損傷させることが増えた。
・足腰が痛いらしく、引きずるような歩行になる。
・やたらと感情的に陥る。
・話した内容をすぐ忘れる。話をコロコロ変える。説明した内容を理解できなくなる。
・瘦せ細ったまま体形は戻らず。
・耳は遠いまま。
・買う総菜や外食ではなく、私の作る総菜を
週2日から3日、届け、それをしっかり食してもらうように変えた。母(父も)はそれを食べていたはず。
母の不調で第三者を巻き込む 2020年〜2021年3月
・相手方のある接触事故を2件を起こす。(いずれも駐車場の接触事故で、保険会社にて解決)
・単独で壁にぶつけ、さらに1台自家車を廃車。
・足腰の痛みが強くなり、歩くのが辛いとこぼすようになる。
・姿勢よくいられず、支えがないと直立できない。
・よく物を落とし、物を壊すようになった。
・机一面を汚してしまい、食事を綺麗に取れなくなった。
・会話をしていると感情的というより悲観的になった。
・記憶力の低下?と思える節が増え、活舌が悪くなり、聞き取りにくくなった。
・瘦せ細ったまま、体形は戻らず。
・耳は遠いまま。
・食材の調味料(油、醤油、味噌、酢)、卵など、お肉は決まった店というように
自然派やオーガニック店のみで極力買うように切り替えた。
今年、大怪我 2021年4月
・自宅にて転倒し右手手首の骨折。3日後、再び同じ右手首を強打。
湿布かぶれの変わりに野草を蒔いて、手作りギブスで固定し、過ごした。
・明らかに危険に対する判断が鈍くなっている。
・骨折によりハンドルが握れないため、車の運転が出来なくなる。
・足腰は相変わらず痛く、右足か左足か忘れてしまったけれど、
どちらかの足を引きずってしか、歩けないようになった。相当痛そうだった。
・右手が不自由になったため、左手で日常生活を送り始める。
・会話をすると変わらず悲観的になる。
・記憶力の低下?は変わらず、活舌の悪さも変わらず。
・野草茶(ヨモギ、枇杷の葉、ウコン、生姜などなど)を濃いめに煎じ、それを
一日1L〜2L、毎日欠かさず飲んでもらった。
・朝食に調理パンを食べる習慣があったが、止めてもらった。変わりにホットケーキを作って、届けるようにした。
・牛乳をやめてもらい、代わりに時々豆乳を作ったり、それを飲んでくれるようになった。

母は大のホットケーキ好きなので
こんな感じでしょっちゅう焼いて渡しています。
画像は、黒糖入りホットケーキなので黒い。
バターは一切使っていません。
いよいよ、回復の兆し 2021年7月
・足腰の痛みが日増しに取れ、完全に感じなくなくなった。
・骨折の痛みも無理しない限り感じなくなったようで、右手で箸を使えるようになった。
書き物ができるようになり、筆跡が健常時に戻った。
・包丁で、強い力を込めて使えうことができない。重いものは持てないまま。(一升瓶を下げれないなど。)
・車の運転は今後しないと覚悟できた様子。
・本人の意思で、自ら近所周りを歩き始める。
・食生活は継続し、プラス市販の甘いジュースやアイスも極力控えるようにして
自宅で漬ている果実ジュースを飲むようになった。
・よく聞こえるようになり、私との会話であまり聞き返さないようになった。
見違える変化 2021年8年
・足腰の痛みは嘘のようにまったくなくなった。
・骨折の状態も良好のようで、大き目のリンゴ1個くらいであれば袋に入れたものを30分程度なら
持ち続けられるようになった。
・中指、薬指、小指は握っているかのように丸まり手の平をまっすぐ伸ばせなくなった。右手首の骨はひん曲がったまま。
・姿勢が正せるようになってきた。(丸まってしまった背中は戻らない。)
・元気さに’はき’が出て、表情がとても明るくなった。少しづつ体力が養われている様子。
・活舌はよくなり、明らかに会話が成り立つようになった。
記憶に残っているような話ぶりをするようになった。
・話をコロコロ変えることがなくなった。
・話題も明るくなり、笑うことが多くなった。
・会話中、聞き直すことが極端に減った。
・聞こえ方が変わったのか、という良好さ。
・食生活は継続し、さらに8月下旬からは一日2回漢方を飲み始めた。
ひとまず、こんな感じです。
振り返ると
2016年から始まった母の異変は
外見的にも内面的にも日増しに悪くなり
それは今年春まで約5年間続きました。
きっと、の憶測ですが
悪くなる予兆は5年前からあったのでしょうが
私は近くに住んでおらず
会っても注意深く見ていませんし
深刻に捉えていませんでした。
この記事を読んでくださっている方の中には
なぜ病院へ連れて行かないの?
と思われていることでしょう。
私も、何度もそう思いました。
5年前の大晦日、
真っ暗な部屋にうずくまっている母を見た時は
さすがに死を覚悟しました。
あんな大晦日
もう二度と過ごしたくない。
病院へ行って必ず回復するのであれば
そうしたかった。
でも、あくまでそれは本人の希望があってこそ
出来ること。
私の母は違います。
よそ様に身体を見られ
切り刻まれるくらいなら
たとえ耐え難い痛みでも死んだほうが幸せ。
心からそう思う人です。
そんな人を病院へ連れていくことが
果たして幸せだろうか。
無理やり連れて行ったら
私の気持ちを優先させていないだろうか。
私には本当に難しいです。
いつかは必ず
誰しもこの世を終えます。
なので
私は母の幸せを優先するよう頭を切り替えました。
ということで
自宅療養以外選択肢がなかったわけです。
母は見るも無残に
痩せ細りました。
外出すると
たいていの人が
母を振り返り、ジロジロと見られます。
偏見とか
被害妄想ではありません。
すぐ隣にいるので
周りの状況がよく見えてしまうので。
正直に言いますと
60代以上の男女が多いかな。
あと子供さん。
こそこそと話しているのも
見かけます。
で、母は気づいていまして
私に「どうしてあんなに見てくるんだろうね。」てな具合です。
まあ、相手にしていないほど
母は平和です

改めて思います。
何が人様に迷惑をかけることで
どこまでが自分の出来る限界なのか。
そして、どこからが
助けを求めるべき線なのか。
この境界線を見極めることは
責任感が強い人ほど容易くないわけで
とても難しく
自分が想像以上に衰えている、弱っている様を
受け入れるのは
さらに難しい。
だからこそ、
病の経過を赤裸々に
動画やブログで公開している方や
食材についての危険性について情報公開している内容や
経験談には救われましたし
私には命を左右しているのではないかと思えるほどの
重要なポイントになりました。
一見アンチかと思える内容です。
それらを厳かに受け止めまして
生活習慣の改善へと
活かしました。
答えは、母の変化だと
後になって気づきます。
それらを公開されている方々には
感謝してもしきれません。
本当に本当にありがとうございます。
正直、
情報を知っただけでは
何も、何も変わりません。
知り得た情報から
そうしたらどうなんだろうか?
そうしなかったらどうなんだろうか?
てな具合に迷路のような問いに想像を巡らせて
で、出来ることは生活に活かし
やがて変化が訪れることがあるんだと
学びました。
母は
「墓場に片足突っ込んでいるからね。後が短い人生だけど笑って過ごせたらそれが一番の幸せよね。」
と口にしつつ
「もしよ、もし人生90歳だとしたらよ。あと20年先があるわけで、子供が20歳になるって考えると
墓場まで近いようで、まだ先はあるよね。どうせ生きられるのなら自分の足で歩るける元気な人生で全う出来たら
そんな幸せってないよね。」
「ほんとそうよね。」
なんて会話が
成り立つようになりました。
ほんの半年前は
考えられなかった会話です。
隣近所の母と似ている症状のおじさんやおばさんを
重ね合わせながら
医師でも学者でもない私は
考察します。
たぶん、異変、不調は
脳から
来ているんじゃないかと・・・。
独学ですけどね



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