声をかけても目が合わず
会話はもちろん
飲み食いがまったく出来ない。
10か月ぶりに会った祖母は
変わり果てていた。
望みを持ち続けることや
身体を切り刻むような治療を
お願いすることも勝手だけれど
祖母はそれを望まないだろう。
弟は一番冷静だった。
「2週間持つかなあ。」
話は、
から続きます。
せめて
うめき声でもいいから
祖母の声が聞きたかった。
「おばあちゃん私だよ!」
「おばあちゃん、やっとこんでごめんだよ!」
「おばあちゃん、何かしゃべって!」
周りの迷惑を顧みず
祖母の耳元で何度も叫んだ。
画像;祖母と母と私

祖母は
病院の集中治療室のような
部屋へ移された。
体調の異変があれば
看護士さんに迅速な処置を
してもらうためだ。
画像;婿と祖母

私はまだ
祖母との別れの覚悟がつかず
子供じみた質問を
介護士さんにしてしまった。
慎重に言葉を選びながらの説明だった。
「もし、おばあちゃんに
会わせたい人がおられたら
連絡を取られてもいいかもしれません。」
悲しい気持ちを
いつまでも引きずっている自分が
感情を抑えられない子供のようで
恥ずかしくなった。
人の生死に触れるお仕事は
並大抵の精神では務まらないだろうに
改めて尊い業務だと思った。
私は母を助手席に乗せて
1時間離れた先の弟さんと
おばあちゃんと仲が良かった
近所にいる妹さん二人の家へ
向かった。
何十年ぶりに会う親戚の方々。
私にはみな変わらない親戚に見えたけれど
80歳を超えた
お年寄りになっていた。
元気なおじいちゃん
おばあちゃん。
動きが鈍くなり
自ら車の運転をおり
自宅でひっそりと
暮らしていた。
突然の訪問で
親戚も私に気づけなかった。
私の名前と
母の姿で誰かわかってくれ
それから大慌てで
身支度をした。
おばあちゃん兄弟姉妹は
みんな仲が良く、お人柄が
本当に穏やか。
兄弟姉妹から聞こえてくる
おばあちゃんの苦労話や
面白話は
おばあちゃんと会話しているようで
心が和んだ。
画像;祖母と100歳記念の銀杯

母がこれまで見せなかった
祖母の別の顔。
母が思っていたほど
底意地はまったく悪くない
温かい人だったのだと
親戚の方の話が
祖母を客観的に見る感性を養わせる
母の先生のように思えた。
祖母は
危篤状態に陥ってから
わずかばかりの水分を
口にするようになっていた。
画像;祖母と
娘(母)だと言って
肌身離さなかったチンパンジー

といっても
棒の先端に
コットンやスポンジを絡ませ
そこにお茶やジュースを
口に運ぶ程度。
祖母は
嫌がると
右手を出して
意思表示できるようになっていた。
わずかに見せる体調の変化。
それはごく良好な日だけに限られたけれど
家族が差し入れたお茶や
ドライフルーツやゼリーを
ピューレにしてもらい
口に運ぶことができた。
回復の兆しかしらと
悪足搔きをしてしまったけれど
せめてもの
施設側の取り計らいだと
じきに気付いた。
画像;祖母、口にする

ここへきて施設は
祖母が自炊していた頃に作っていた
田舎味噌を再現したい、
味あわせてあげたい
と提案して下さった。
レシピは
母がすべて受け継いでいる。
施設の待合室に
即席ミニキッチンが設けられ
私たちは必要な材料を準備し
母の調理が始まった。
恥ずかしがっていた母も
施設側の女性陣が興味津々になって下さり
逞しい
調理場の女将のような顔を見せた。
こうして振り返ると
母を祖母が嬉しそうに
眺めているよう。↓
画像;母が再現する田舎味噌

再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
付録です♡
☆おばあちゃん伝授の田舎味噌レシピ☆
材料
・油
・緑ピーマン
・味噌
・甘味
・醤油
・生姜
・かつお節
千切りした緑ピーマンを
油で炒め
味噌、黒糖、砂糖などの甘味を入れて
少々の醤油と
水分を加えながらよく溶かし
混ぜる。
最後に千切りした生姜と
かつお節を加えて
混ざったら完成。
清潔に冷蔵庫で保存すれば
2か月以上は保存が可能だ。
冬であれば湯豆腐にかけたり
夏であれば冷やっこに。
おにぎりの具材にもなるし
野菜をディップしたり
野菜炒めに使ったり
煮物に使ったり
何でも活かせる田舎味噌。
画像;おばあちゃん伝授の田舎味噌

画像;香りはしっかり感じているはず、と
施設の方の呼びかけ。

画像;田舎味噌を咀嚼してほしいな。

画像;施設の方のように口に運んでみるけれど
これが結構難しい。

この企画がそもそも現実になったのは
祖母を看てくださっている
チームの方々の善意から成り立った
提案にほかならず。
みなさんの気持ち一つ一つの優しさに触れ
母も私も感動し
その行動力に脱帽した。
画像;呼びかける母と私

あれだけ傷ついていた母。
あれほど祖母を避けていた母。
施設の方々の飾り気ない
穏やかな眼差しが
母が抱く祖母への優しさに
再び光を与えた。
母が祖母を見つめる表情は
キラキラしていた。
この日、私たちが帰ろうと
エレベーターが閉まろうとした時
みなさん
それぞれお忙しかろうに
何人もの施設の方が祖母を囲んで下さり
一緒になって見送ってくれた祖母からの頬には
たくさんの涙がこぼれ落ち
目は、ちゃんと私たちを見ていた。
画像;肌身離さなかった祖母と母

祖母には
90歳を超えた妹さんが
一番仲良しだった。
妹ばあちゃんに
私がこの春から
畑を始めたことを報告した。
妹ばあちゃんは
畑にまつわる
いろんな話を
聞かせてくれた。
さつま芋、サトイモ、大根
地元で育てる野菜のいろは。
そんな中で
祖母が元気で家庭菜園をしていた頃
毎年植えていた
キナ瓜(甜瓜)がある。
祖母は、それが
大好物だった。
なので古紙を折り返した上に
キナ瓜の種子を窓辺に干しては
大切に保管して
次のシーズンが来たら、また植える。
それを毎年繰り返していた光景は
私の記憶にもしっかり残っている。
その種子を
なんと妹ばあちゃんに渡していたようで
以来、毎年美味しいキナ瓜を
食していたと教えられ
うるうるしてしまった。
ところが
なぜか去年、実をつけず
種子は息絶えてしまった
と。
種子自身が
祖母とリンクしてしまい
寂しさと、悲しさと、
自然の偉大さに触れたような
なんとも例えがたい感動に陥り
鳥肌が走った。
そしてようやく
私の中で静かな覚悟ができた。
本当にお別れなんだ・・・。
私は去年の春から
実家が野ざらしにしている畑で
家庭菜園を始めているが
県外の種子屋を調べ
様々な野菜の種子を
仕入れた。
キナ瓜も忘れなかった。
画像;甜瓜の種子

祖母の種子が受け継げたら
物語が続きそうだけれど
そうはうまくいきませんね^^
妹ばあちゃんと祖母の田んぼは
すぐそばなので
当時は仲良く畑仕事に勤しんでいたけれど
祖母が畑に
姿を見せなくなってから
妹ばあちゃんは
田んぼのお世話をしてくれていたと言う。
言葉が出なかった。
妹ばあちゃんは
私の畑話の悩みを聞くうちに
「おばあちゃんの畑をこれからはみっちゃんがやればいい。」
となりました。
後日改めて
私が引き継ぎたい旨をお願いしに伺い
今年から畑のスペースが
また増えるのでした。
画像;家族と親戚

5話に続く。
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