祖母は母が4歳の頃、
養女として迎えました。
母の中にかすかに残る
小さな赤ちゃんを
抱っこしていた記憶。
母は長い間、
その赤ちゃんが誰だったのか
疑問にも思わなかったようで。
おばあちゃんを偲ぶ思いで
記憶を繋ぎ合わせていったら
その赤ちゃんは
祖母の実子だったと分かりました。
母の義妹か義弟。
話は、そこから続きます。
幼い子供が3人も4人もいたら
それは賑やかだろうに。
時代が変わっても
やかましいほどの育児の様子は
変わらないでしょうから
祖母の忙しさは
相当だったでしょう。
身内の子だろうと
変わらぬ愛、になっていたのかな。
そのまま
すくすくと
どの子も成長していけたら
理想的な物語ですが
不運は突然やってきました。
祖母の実子が
当時には
珍しくなかった伝染病を患い
長女は5歳で病死し
下2子は原因不明で
幼児期に旅立ってしまったそうです。
幼い我が子を
立て続けて亡くす。
もう言葉が出ません。
自分を責めただろうに。
自分の運命を憎んだろうに。
消えてしまいたいと思っただろうに。
そこへ陰湿なお姑と
危険な夫との生活は変わらないだろうから
どうやって気持ちの整理をしていったのでしょう。
そこへ、一人
取り残された幼い母。
なぜ、二人が
こんな身を切るような思いに
向き合わなければならなかったのか。
乗り越えなければならなかったのか。
人を憎むな。
人を羨むな。
なんて一言は
いかに無責任で
綺麗事だと
二人を見ていると
思えてしまうのでした。
*******
母は
「なんで言うことを聞いてくれないの!」
「なんで家だけ駄目なの?」
「もう鬼母!」
どこの家でも飛び交っていそうな?
反発しまくる思春期時の
母子会話ですが
憎たらしい発言は
私です。
母は、私に相当手を焼いたようですが
内心うらやましく
映っていたそうです。
母は、
大人に甘えることを知らずに
成長をしていきました。
祖母に対して陰湿だったお姑や
祖父の冷酷さは
母に対しても向けられていました。
自分を育ててくれているから
感謝しなければいけない。
これが私の運命だから
受け入れるしかない。
母は、ずっと自分に言い聞かせて
毎日生活してきた
とよくこぼします。
そのせいか
母の胃腸は幼い頃から異常に弱かったようで
今も変わりません。
そばにいる人を
大切に思えることが
どれほど幸せなことなのか。
努力しても大切に思えない人と
一緒に生活しなければならない毎日は
自分にとっても、相手とっても
あまりに不幸です。
実母にのびのび育ててもらった私には
祖母や母の気持ちは
どれだけ努めても
分かりません。
えぐい表現に
なってしまうけれど
孫の私たちは、
「お前(あなた)はおらあ(私)の子じゃなねえ(ではない)でなあ。」と
※方言です。
祖母が母へ
事あるごとに口にする様を
目の当たりにしてきました。
けれど
孫の私たちにとって
おばあちゃんは温かい人だったので
おばあちゃん、ひどい!
とは、ならなかったのです。
大人になり
冷静に振り返る
恐ろしい暴力的な発言のオンパレードですが
このやり取りが
祖母と母との
いつもの光景でした。
ということで
祖母の暴言により
母は実母でないことを
知るわけです。
母も母で
冷たい一面がありましたし
長い、長い間
二人に立ちはだかった分厚い壁は
家族のだれも手がつけられませんでした。
ところが、ある日を境に
ガラガラと
少しづつ開き始めるのでした。
ああ霧が、晴れていく。
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