ビゼン「新」ブログ

2019年08月06日

私の考える夫婦関係の理想。




自分だったらどんな夫婦関係が理想かなあと考えていた。

そもそも夫婦以前に元は赤の他人。
ある時を境に一緒に生活を共にするわけで
特に結婚した数年は相手を理解しようとすればするほど
何かと行き詰まったり、悩むのは自然の流れでしょうか。

この行き詰まりや、悩みが生じた時、人は言葉にすると心が整理しやすいと言う。
声に出したり、紙に書き起こしたり、端末で入力したり。

支離滅裂でも構わなくて、滝のように流れる自分の衝動を
言葉にして自分で確かめる客観性を養う方法。

これによって自分のもやもやがどこからきていて、何に違和感を抱いているのか、自分が見えてくるという。

私の場合、毎日の生活の中で感じることを
ブログで整理し敢えて公にする手段を選び、地道に積み重ねてきたら、
こんな夫婦関係って理想だなあというあることに気づいた。

それは、「この人といて居心地がいいなあ。」とじんわりでも感じられるか、だった。

中には、派手な暮らしをしているとか、
お金持ちとか、
地位や名誉があるからとか、
見た目がいいとか、物理的な部分が居心地の良さには欠かせないわ!
という考えもあるかもしれないし、自分自身を問い詰めて行って、その答えに辿り着いたならそれもそれ。

さて、居心地の良さはどんなシーンにも例えられると思うが
そもそも、自分にとって何が居心地がいいのかは
誰かが決めてくれるものではなく、自分の素直な感情からきている。
なので、まずは自分自身を知ることが必須だ。

ただ、自分を知っていくと私の場合、痛みが伴った。

たとえば・・・
良かれと思って主人にしていたその’良かれ’がそもそも自分のエゴの押しつけだという仕組みに気づいたり。

夢を追うことと、生活の線引きをはき違えていたり。

行き詰まると主人に悩みを相談する時があったけれど、そもそも人に話す前に自分自身に静かに向き合ってこそその時なりの答えを自分で出していくもので、そこを飛び越え、他者に投げかけること自体、逃げや甘えの塊という仕組みに気づいたり。

自分が良かれと思っていたことが傲慢だったと
謎溶けた時、そもそもの間違いに気づき、恥ずかしさを通りこして、ショックに陥った。

自己否定はもちろん、プライドもなくなるし、自分の弱さと向き合きあうけっこうな痛み。
でも、そこに目をそらさず、蓋もせず、自分の考えの習慣がそもそもどこからきたのか、さらに深めていくと、痛みが新たな自分を耕す肥しに変わっていった。

結局のところ、
自分をとことん自分が知っていく無用の用のような繰返しが一番気づきにくく難しいからこそ、
相手のどこそこが悪いせいだ!と責める簡単な手段を
人は安易に取ってしまう習性が勝る仕組みをすこし理解出来たような気がしている。

元は、生活環境も何もかも違っている者同士が
ある日を境に同じ屋根の下で暮らすわけだから、そりゃ戸惑って当然だと理性で分かっていても、
感情が付いていかない時もあるからこそ、実は自分を知る絶好のチャンス!と考えを切り替えられたらチャンスはいくらでも広がるような気もしている。

間違っても、行き詰まって、誰かに助けを求め、愚痴ってまえば、その時はすっきりし解決した気分になるかもしれないが、家に帰ればいつもの生活が待っているわけで、絶好のチャンスを失っているとしっかり目を向けたい。

行き詰まった時こそ一旦、社会の音をすべてシャットダウンして、書き出してしまえ。

居心地の良さって、そもそも人それぞれであり、誰それがどうこう決めることでもなくて
自分を知ることが第一歩という、人によっては当たり前過ぎる内容でございます。

なんか居心地いいなあと未完成というか、抽象的のようなそのくらい肩に力のはいらない夫婦関係に到達出来たら
その域こそが居心地のいい世界であって
幸せはそこにひっそり身を潜めているのかもしれないなあと、ふと。








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