元エステティシャンが送るオーガニックよりなブログ

2019年07月18日

幸せは顔に刻まれる?




私が住んでいる岡崎市では
7月に突入し、蝉が元気に鳴き出している。

ようやく夏本番、と言いたいところが
例年ではあり得ない涼しい夏で
異常気象かと不安を覚えるものの
過ごしやすさといったらこの上ない。

7月と言えば
主人の会社の決算申告期限であり
私は、この会社の会計を担当しているので
特に6月と今月は一人慌てる月であるけれど
慌ててしまった理由に
会計入力環境を良くしたいためソフトごとパソコンを乗り換えようと試みた12月。

それが予想以上にメーカーから発行されているマニュアル通りに進まず
申告延期届を出そうかと一瞬頭をよぎったほど長い事手こずっていた。

そんなこんなあったけれど、なんとか期限内に終えることができ、
あとは納税書類が税理士から届くのを待てるまで来た。
残す今月中のタスクは、
ビゼンの上半期の締めと、家計簿のまとめ。

これらを終えることが出来れば
私の中の穏やかな日常を気兼ねなく送れることになり
一時中断しているDIYをようやく再開、できるはず。

私はDIYをしながら
頭でイメージした家具が自分の手で仕上がっていく過程が
なんとも楽しい。

日々の暮らしと
DIYだけして生活出来たら私には幸せこの上ないかも。
そのくらい私には楽しいこと。

仕事も同様で頭に描いたタスクをこなせた時の達成感は
難しければ難しいほど充実感は強く
その達成感の合間合間に入る催しがあれば
尚更、手に出来る報酬プラス充実した時間となって
ライフスタイルの豊かさまで帯びていくような気もしていて
仕事や、何かを仕上げた時の達成感の醍醐味はここにあると
個人的には思っている。

これも一重に、
それに集中できる時間があってこそ、
そして自分を信頼してくれる主人や
巡り巡ってクライアントさんの他ならない。

楽しさとか、幸せは
目の前にある仕事やタスクと引き換えなのかもしれない。

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私が今住んでいる家から近い場所に
美味しいと評判の割烹料理店があって
いつも満席、予約なしに入れるなんてまずあり得ないほど人気で
ある日、主人のお得意さんとの会食がこのお店でした。

冷やしジュレ的な前菜から始まり、
三河湾でとれた鮮魚のお刺身盛りや煮付けや
このお店オリジナルのはんぺんなどなど
贅沢過ぎる魚介のオンパレード。

どれも美味過ぎるお料理ばかりで
予約なしで入れた私たちはラッキーとすら思えた。

気心知れた人達との楽しい席に着きながら
「仕事を頑張ってきて良かった。」と
接待時間がご褒美に感じてしまったほど
いい時間になりました。

とある日は、
中々終わらない事務作業に没頭する私を労ってくれた主人が
近所にある老舗カフェへ連れて行ってくれた。

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このカフェの一押しは、ナポリタン550円↑。
そして、カツカレー770円?。

一般的女性の胃袋なら、まずこれを平げることは難しく、
ラーメンチャーハンをペロリ平らげられる大胃袋持ちの主人ですら
完食は厳しいまさに大食い向きのカフェ。

毎度、沖縄を思い出させる量で
食べ終えた時の胃の苦しさをすぐ忘れ
また行ってしまう、まさに中毒性の高いカフェも
私にはいつも以上に贅沢な時間となった。

とある日は、外食を終え、
夫婦で初めてビリヤードへ行ってみた。

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映画のハスラーを思い出させる凄腕のプレイヤーの隣に
何とも場違いなビーチサンダル姿の夫婦二人。

場違いでも、ビリヤードの腕は天下一品よ!と在れば
絵になるはず・・・と想像を膨らませつつ
実は、お店にいた私たち以外はマイキューを持参するほどの
常連さんたちばかりのお店だった。

そんな空間がゆえに、へたくそな私たちが妙に目立ち
親切にアドバイスして下さる店員さんが場を和ませてくれたり
なんとも楽しい時間となった。

もっと上手になりたい〜欲すら出てきて
夢中になりすぎて本来の生活を蔑ろにしてまで
はまらないならない程度に楽しめたらいいな。

仕事の合間合間の美味しく、楽しい一時。

仮に、仕事やタスクすら自分になく
さらに贅沢な食事や、楽しい催しが毎食、毎日続いたら?

飽きる。
間違いなく、飽きるし、贅沢すら感じなくなるでしょう。

当たり前じゃないからこそ贅沢感を得られるのであって
これが毎日続けば当たり前になってしまい
贅沢は贅沢でなくなった時の悲しさは
人生すらつまらないものになりそう。

感動が薄れてしまうようでは
毎日つまらなくなってしまう。

だからといって、感謝が足りないからだ〜!
と言う考えもありそうなものの
本質って、目の前の仕事や生活を自分なりに精一杯取り組むからこそ得られるのではないだろうか?

右往左往しながらようやく
この在り方に落ち着けた時
私の中の幸せに対する考え、即ち、見える世界が変わった。

幸せって
目の前のすべきことを淡々とこなすからこそ得られる
自分だけの贅沢感。

贅沢感は、非日常だからこそ得られる
楽しいなあ、嬉しいなあ、幸せだなあと
自分が素直に感じられることであって
でも、当たり前になった途端、贅沢感は贅沢でなくなるものかと。

仕事があって、雨水しのげる家があって、
健康な身体もあるし、
今のところ戦争のない平和な日本で暮らせる環境そのものが
不遇な環境に生まれてしまった人からしたら
どれほど幸せなことなのだろう。

そして、幸せには
必ず人の存在がある。信頼できる人がそばにいるという安心感。
個人的には、独身生活があったおかげで
幸せを実感できるようにもなっているわけで
長い間、家庭生活に疲れ切ってしまったら
逆に、一人っきりが贅沢だと感じるという、これまたない物ねだりのような。

極論、たった一人、荒れ果てた環境の中で飢えに苦しみ切羽詰まれば、
今日、食べていくことだけで必死なわけで
そうなれば幸せとか不幸だとか、余計な事、いちいち考えていられない。

私、幸せじゃないかも〜
と頭をよぎったとしたら
実は余裕を持て余してしている証で
なんとも滑稽な様で、それが面白いように表情に出ていたなあと
起業したての頃の自分を今、冷静に振り返っている。

私の周りにいる
穏やかで、幸せそうで、所謂豊かな生活を送っている人達は
あなたは幸せか?とは絶対に聞いて来ないし
質問をすれば自分の人生を淡々と語ってくれるだけで、
自分のメッセージで
人生に活かすきっかけに変えるのは自分次第
という在り方をぜったいに崩さない。

だから、こうしたほうがいいとか、
仕事や事業繁栄のノウハウのようなアドバイスをすることはあっても、
人生のアドバイスはまずしない。
なんでしょう、あの温かい表情というか、肩に力が一切入らないリラックスな様というか。
まさに、穏やかさの代表格のような表情です。
また、面白いものでこの表情をする人は、
大金持ちとか、地位名誉があるとか、
豊かさに金銭の額が決して比例しない様が
これまた豊かさの本質を物語ろうとしている気がしてならない。

逆にこちらが質問してもないのに
幸せを自分の尺度で図ろうとしたり
こうしたほうがいい、とか、ああしたほうがいいとか、
「幸せとは!」と熱く語ろうとする輩もいる。

差別とか、偏見ではなくて、
本当に不思議なものでそういう類の人に限って、
顔に濃いシミがあったり、眉間にしわ、口角が下がっていたり、目じりが上がり、
実は、顔というか表情が怖い・・・。
表情が穏やかさからかけ離れてしまっている。

筋肉や骨格の構造ではない表情が間違いなく
内側からの雰囲気を物語るというか。
そう感じたことってないだろうか?

中には、話をだまって聞いてうなずくだけで
一切幸せを語らない自分を見せない人。

状況を読みながらコミュニケーションをしている人はさておき
明らかに自分の考えを持てない、語れない人もいて
どことなく人生のうしろめたさを感じさせるというか
幸薄そうなオーラというか
まさに幸せに対する概念そのものが
口で語る以上に表情がしっかり語っているなあと
社会生活の中でどうしても感じてしまうことがある。

言葉ではどこまでも盛る事はできても
表情は幸せか不幸か嘘をつけない、というか。

だからこそ人生は面白く、自分の在り方次第で
白にも黒にも変わるからこそ、奥深い。

幸せに浸り、穏やかに過ごせればそれだけで幸いであって
それもちゃんと表情に表れるのだと肝に銘じたい。

私、恐い顔になっていない?
さいきん撮った画像で確かめてたり。笑。
つまり、幸せって自分の中で素直に感じることで
人がどうこうジャッジするものではないかと。

日々、いろんな人と接するせいか
さいきんそんなことを考えながら暮らしています。











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posted by Michi at 11:36| Comment(0) | 穴場なグルメ店
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