元エステティシャンが送るオーガニックよりなブログ

2019年03月16日

ほんの少しのゆとりを持てるようになると。

私が住んでいる岡崎市では
大木の桜が沢山の蕾を付け
開花の瞬間を今か今かと
タイミングをうかがっているようです。

開花してしまえば
瞬く間に散ってしまう桜。

蕾の期間が長ければ長いほど
感動を増すと分かっていても
それにしても待ち遠しいです。

個人宅の軒先や
小ぶりの木々は一部開花している桜もあり
タイミングが少しずれてくれたおかげで
鑑賞できています。

身近にある美しい自然に敢えて足を止め、
鑑賞するくらいの余裕を自分の中に持てたほうが
世話しなく多忙な日々を過ごすより
人生にゆとりを持って過ごせるような
気がしています。

桜の開花、もうすぐです。

あなたは今、ゆとりある毎日を過ごしていますか?

こう聞かれたら、どう答えるだろうか。

今の時代、’ゆとり世代’とか
ネガティブにピックアップされがちだけれど
ゆとりを私流にたとえるとしたら
’ゆとり=フェイシャルマッサージ’
に近いものがあるのではと考えている。

特にエステティシャンのフェイシャルマッサージは
メディカルではないので
それをしたからと言ってシミが途端に消えることはないし
やらないからといって急に老けることもない。

だとしても、
プロのフェイシャルマッサージを定期的に受けたり、
その技術を自分なりに活かし日々のセルフケアに取り入れれば、
リフトアップだけでなく、
素肌の恒常機能を整えたり、
リラクゼーション効果など、
それだけでも何かと素肌へプラスに働きかける。

少なくとも、
流行にのって買ったコスメや
奮発して買ったエッセンス1本も
使い切れず残ってしまったボトルたちが
シンク回りを埋め尽くすより
フェイシャルマッサージが物理的に
増えたり、減ったりすることもない。

また、マッサージを積み重ねれば
素人だろうとそれなりに技術は向上していくし、
自分だけでなく、パートナーや子どもに
喜んでもらうこともできる。

物にあふれて、良いことは無いが
手さえあれば、プラスをも生む。

生きつく間もない世話しない時間や、
金銭に余裕がないギリギリな生活、
仕事以外で気を使いすぎる人間関係や、
自分を抑えつけてしまう考えは
どうしても窮屈になってしまう。

少しでも窮屈さを感じることがあるなら、
実は自分の身の丈を超えてしまっていて
ゆとりと真逆の場所に立っていると気づきたい。

責任転嫁はあってはならないけれど
その時々に優先すべきは何か決めて、取捨しなければ
ゆとり(余裕)は生まれない。

今、自分に必要か?

不要であれば捨てるくらいの潔さも必要で
窮屈だと感じてしまうようであれば
身の回りを見直す良いタイミングなのかもしれない。

窮屈し過ぎると
自分の頭で考えて、自分の心で感じる感覚すら
鈍感になっていくので
自分の場合はどうなのか、
自分だったらどうするか、
あくまで自分自身で考え選択していくことが欠かせない。

私は過去に
忙しい自分=充実、と思っていた。

ファッショナブルな装いに身を包み、
華麗なる人に囲まれたパーティや催しの常連になって、
そこからビジネスをつなげ、
SNSから日々更新される世界を
自分と比較していた。

「隣の芝生は青く見える」とは
よく使われるたとえだけれど
心から充実した豊かな人生を送っている人ほど
自分で考え、選択した人生を歩んでいるし、
優雅に見える人ほど
敢えてその様を公にしないし、
自分は自分、人は人、
と他者との比較概念を持たない。

窮屈になりすぎると、
面白いもので、もっと、もっとと心が枯渇して
満足の域に達することはないし
向けるべき先は、他者ではなく
今の自分自身だという本質さえ見失っていく。

なくてはならない、というわけではなく
地味で目立たないフェイシャルマッサージを
毎日のセルフケアに取り入れるほうが
物に頼らずに、何かと活かせるシーンは増えていくし、
ゆとりも同じことが言えないだろうか。

それでも育児や介護、
仕事の繁忙期や納期を厳守したり、
医者などタイムリーにこなさなければならないハードワークなど
余裕さえ持てない環境は
ケースバーケース誰しもあるわけで
忙しい中でも、ほんのヒトトキのゆとりを持てるような工夫が
人生にどれだけの影響力を与えていくのか、と考えると
やはり、蔑ろにはできない。

春限定の美しい桜の木々の下を歩ける日がくるものか
とても楽しみです。







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posted by Michi at 08:25| 美容・旅/居心地いい暮らし
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