ビゼン「新」ブログ

2019年02月17日

心の体力を鍛えたい時。

毎日の生活を送る中で
片足では、確定申告と月次の事務作業、
片足では、期待通りに事が進まず、さらに、追い打ちをかけるような件が重なって
私、久しぶりに落ち込んだ時間を過ごしました。

そんな時は、大好きなお菓子を食べ尽くして
自分を癒そう。
48.jpg

高級菓子の殻箱に
かろうじて蓋が締まる程
4袋ほど買い込みましてパンパンに詰めてみました。

いい眺め。

1袋20ケ入りくらいで売られていますでしょうか。

先日なんて
近所のドラックストアで88円セールで売っていましたよー
ありがたし。

高級菓子箱に入れてしまえば、
庶民の菓子もお上品なお菓子に様変わり。

実は、私より
主人が熱血なルマンドファンでして
先日、ちょっとお高めのバレンタインデーチョコを渡したのですが
「気持ちはとっても嬉しい。でもルマンドで良かった、というよりルマンドが一番嬉しい。」
ですって^^

そうか、こだわりの御菓子以上に勝るもんはないんだと
主人の甘味心に触れました。

さて。

落ち込んだ話を戻しますと
理由は、来て欲しくなかった女性の日を迎えたためです。

えっ、それだけ?

それだけです。
この落胆の深さたるや。

実は、今年に入りまして私は42歳にして
人生で初めて不妊治療をスタートしました。

不妊治療がどんなものなのか知っている方であれば
常識ですが
治療に取り掛かる前段階の
まさに通り門に、子宮卵管造影検査というステップがあります。

これは、
無事受精しても
受精した場所から着床に向かっていくまでの管(道)が
狭くなったり、何かしらの理由で異常をきたしてしまい
たとえ卵が正常で、
たとえ男性側も元気でも、
着床、つまり妊娠に至らないケースが少なくないようで、
これは検査をしなければ分からないようです。

しかし、この検査。

自然にしていれば
手がぜったいに届くはずのない身体の内部へ
敢えて医療の技術を駆使するわけでして、
大げさに例えるなら
ぐりぐり診るわけです。

人によっては激痛を伴ったり、
副作用がでるケースもあり、
こればかりは体質や感覚なので受けてみないと分からず
心地よい検査で無いことだけは確か。

意を決し、先月行きました。

いざ診察台に乗りましたら、
「卵子が18mmに成長していて、子宮内膜もちょうどよい厚みもあり、明日か明後日頑張れば、妊娠しやすいタイミングがきていいますよ。でももし今日検査をしたら、今回妊娠は出来ません。検査をしてもいいし、来月に見送って今回タイミングを取ることもできますよ。どうしますか?」
と先生に言われまして。

はっ、となりました。

ちなみに検査ですが
生理が始まってから7〜10日、
つまり、排卵の直前に受けるもので
卵子が成長しきったり、排卵してしまったら、
検査そのものができないようです。

私の場合、思っていたより
3日早い排卵のようで(それも知らなかったあせあせ(飛び散る汗))
恐怖の検査のつもりが、
所謂タイミングを取ろうとするまさに、そのタイミングでした。

「私の身体って妊娠できるかもしれないんだ・・・」

嬉しさや女としての自信が私の中にじんわり広がっていき、
私には初めての感覚であったのと、
プチ朗報でもあり、
「これは何かのタイミングかも」と
その場で検査を見送りました。

あれから3週間。

これまで私たち夫婦が味わったことがない
我が子を未だか未だと待つような
ほんと何の根拠もありませんが
温かい気持ちに満たされて過ごせたことは確か。

そして数日前。

基礎体温が落ち、
生理前特有の鈍痛が起こり、
まさかと思った女性の日を迎え、
初日は主人に伝えられませんでした。

落ち込んでしまった理由はここにあります。

ブログを数日公開できなかったのは、
実は他の理由で、事務作業にてこずっていました。汗。

私自身、年齢的なリスクは頭にあります。

簡単に妊娠できるとは限らないと
冷静に捉えているものの、
やはり、へこみました。

不妊治療中の方は皆さんは
味わっているであろう意気消沈。

私の場合、プラス、トントンと別の件も重なりまして、
そちらはどおってことはないのでここでは挙げませんが
いい事ばかりが続くのが人生ではなく、
思い通りにならないのも世の常で、
そこから自分がどう感じ、
自分自身を見つめるための
人生の醍醐味とも言える
心の中核かと捉えるに至りました。

落ち込んでしまうと、
日頃、淡々と丁寧にこなしている仕事や家事ですら、
手がつけられなくなる。

辛いのは、主人も同じ、と思うと
私だけが落ち込んでも仕方ないと
いつもと変わらず動いていましたが
この負の感情が引き金になって
些細な事にも過敏に反応してしまうから不思議です。

正直、問題は、
現実がどうこうではありません。

その現実に
自分の心が冷静に捉えるのか、
はたまたネガティブに捉えるのか。

ここが核心であって、
実はネガティブな在り方というものは
自分勝手にモードを切り替え、
結局のところ、
自分の足を自分で引っ張っているのが
一番の問題です。

おまけに
じめじめした心は
自分の言葉となって発し、
行動にも表れ、
自分の雰囲気を演出していきます。

長い間、ひきずってしまうと
生き方そのものがネガティブな形になり、
周りに悪臭を放っていきます。

そばに居る人からしたら大迷惑。

近寄りたくない
できれば関わりたくない
残念な人の出来上がりです。

逆に。
こざっぱりとした芯の通る、
でも穏やかな空気感を漂わせる人を目の前にしますと
その口から語られる言動すべてが心地よくさせ、
幸せな気持ちすら与えてくれ、
清々しい雰囲気を持つ人というのは
嘘偽りのない心そのものを映し出しているよう。

人の雰囲気は
嘘をつけないものですね。

女性だけに限らず、
男性でも雰囲気が良い方は、
人としての品格や美しさすら感じてしまいます。

素敵な人だなあと自分の心が素直に感じることほど
確かなのかもしれません。

さて、私ですが
今では、気持ちを切り替えており、
ほやほやのうちに
先日の心理状況を客観的に捉えていますが
それが今日のブログのタイトルでありまして。

さくっと心を入れ替えられるほど
私は出来た人間ではないなあと
改めて自分の弱さに気づきましたし、
美味しいルマンドをどれだけ並べて眺めたり、食べ尽くしても。

ぼんやり過ごしても、
頬をどれだけ涙がつたわろうと、
私の心はまったく癒えませんでしたが
人様の美しい生き方、そして文章に触れ、
私のもやもやした霧が、一気にはれていきました。

大げさでも何でもなく
辛い現実と向き合わなければならなくなった時、
人は初めて、心の体力を
常日頃自分がどれだけ鍛えているか
試されているような気がしています。

実は、その文章は
ほぼ毎日といっていいほど目を通している記事です。

しかし明らかに
幸せに満ちあふれた絶好期に心に響く感覚と感動度合が異なります。

つまり、何を見て、何を取り入れたいか、
それらをどう感じるかは
自分の心が基準になっている。

こうして考えると、心の体力は、
どん底の時にこそ鍛えられ、
それ以上もそれ以下もないものかと。

心の隙は落ちこんでしまった時にぱっくり口を開ける。

何を自分の心に響かせ、
自分と向き合う冷静さの材料にして、
次への行動に移すのか。

どん底と思える時は
ある意味クリアーになっている状態なので
心に響く情報が
暗示(マインドコントロールとも言える)のように
間違いなく、自分の心へダイレクトに飛び込み、
人生そのものに影響を与える力すら持っていきます。

何が響いていくのか、もちろん人それぞれですが
「誰かに聞いてもらう。」
「祈ろう。」
「占いに行こう。」
と、もしその行動が自分の内ではなく、
外へ向かったら?

ここで絶対にやってはいけない鬼門として
他者の答えは、あくまで他者の基準。

あくまで一つの意見として捉えられる賢さがあれば
足をすくわれることはないのかもしれないけれど
他者に頼りきってしまうと
いつの間にか
自分の心がどう感じているのか向き合わなくなり
他者の在り方がすべてになっていき、
人生のすべてを捧げる行動へ走っていく
力をも養う。

「この数珠さえあれば救われるんだ」
「これさえ唱えさえいれば、よい方向にいくんだ」と
こうして全財産を投じ、
首が回らなくなっても自分を止められない
まるでブラセボ効果を信じてやまない
心の感覚がマヒしていく構図とも捉えられました。

そういった類の
目をギラギラしている姿からは
人間性を通り越して
人生の滑稽さすら感じてしまうし、
後々、取返しのつかない危険を孕んでいる
その人そのものが時限爆弾のように思えてなりません。

つまり、心の隙は
当たり前に過ごしていれば
誰にでも定期的に訪れている。

自分だけに限ったことではないことを
忘れてはいけない。

だからこそ、
いつも自分の心にとことん問いかけ
自分で答えを出していく在り方が
鍵になるわけで、
常に自分自身に向き合う姿勢は
いざというとき、自分を救う。

今回、つくづく感じました。

落ち込むような事態は
本人にとっては、本当に、本当に辛いこと。

しかし、どんな問題だろうと、
所詮、その現実は自分の問題にすぎません。

何かあるたびにワーワー騒ぎたてる大人になってしまうと
たとえその人がどれほどに外見やスタイルがよくても、
どんなに立派な生き方をされていても、
どんな立場や功績を残されていようと、
その在り方からは
残念ながら、品格や、美しさとはかけ離れた、
幼ない姿にしか映りません。

子どもがそんな大人をみて???
してしまうのもうなずけます。

逆に自分の中で
静かに解決している人って、
見ていて正直、美しいし、
その類の人たちが自分と何が違うのかと
謙虚心すら養われていき、
拭い去れない魅力となっていきます。

今日明日とすぐに
その習慣を身に着けられるほど簡単ではないからこそ、
可もなく不可もない心が健康な時に
鍛えておくことが
とても大切なのかもしれません。

自分の内面に向かうからこそ
心が鍛えられると捉えた時、
それでも向かった方向が自分の内面ではなく、
もし外に走ってしまったら?

どこまでも自分の選択であり、
他者がどうこうできる領域でもなく、
自分の人生です。

私にとって
心に深く、広く染み込んだ美しい言葉や、
自分の心が素直に感じた他者の生き方が
血となり、肉となり、人生の一部になっています。

心の体力、どう鍛えますか?





=======================
=======================


posted by Michi at 10:38| 40代妊活奮闘記
Powered by さくらのブログ